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さりげなく尻尾が触っていく


 町内の雰囲気が日常に戻りつつある。お正月休みを終えた人たちが、再び仕事に従事している。
 相変わらず生活に大きな変化がないのだけれど、少しずつ自分のメンタルに大きなブレがなく過ごせるようになってきている、気がする。

 勝手に涙が溢れ出ることもなく今は落ち着いているし、突然電源コードを抜かれたように何もできなくなる、というのは今のところはない。単に年末年始にたくさん動いたからかもしれないけれど。もしかしたら反動があるのかもしれないなあなんて思いつつも、あまり深く考えないようにしている。

 新年早々、吉本ばななさんの新しい短編集『ミトンとふびん』が、先月下旬に出ていたので新年早々第一回目の初買いの本とするべく本屋を巡ったが、どこもかしこも在庫切れだった。みんないいなあ。もう手元にあるのかい。そうかいそうかい、ととぼとぼ店を出ること、3店舗。行った書店チョイスが悪かったのか、断念するしかなかったのだが、こないだ、ご近所に住んでる友人からラインがきて、たまたま書店に売られていたのを見つけてくれて、代わりに買ってきてくれたとのこと。なんと優しい。LINEの文面を見て嬉しくてやったー!!と声に出た。だって嬉しいよね。そんなの。思わず嬉しすぎて揺れてしまったよ。

 そして、友達の家に行くと念願の本と共に、シルバニアファミリーの赤ちゃんまでプレゼントしてくれた。最近集めてなかったので嬉しい。また心は小躍りした。こんなにいいことあっていいのかい。初詣で引いたおみくじが大吉だったからって、そんな。嬉しくてたまらなかった。

 また、美味しいサツマイモがあるから食べようといって勧めてくれたのがまた期待を裏切らずに美味しくてびっくりした。去年から、やたら美味しいサツマイモを食べる機会に恵まれている。
 徳島県で有名なサツマイモは鳴門金時。安納芋の方が私にとってはマイナーに位置するくらい、鳴門金時の方が堂々たる存在感を放っている。
 だけど、安納芋を食べた時の衝撃は忘れられない。今までずっと鳴門金時を食べていたので、あのほくほくした、身の詰まった感じこそがサツマイモだと思っていたのに、安納芋のあの柔らかい、ペーストみたいな、ぶにゅっとしていて、蜜がたくさん溢れてきて、指がベトベトになるような、そんなサツマイモを食べたことがなかったので、その柔らかさと、鳴門金時とは違う甘さにびっくりしたのだった。
 そうして出た結論は、『嫌いじゃないけど、鳴門金時と安納芋を目の前に並べられたら、迷わず鳴門金時を選ぶ』だった。
 
 用意してくれた鳴門金時も、またこれも身がぎっしり詰まっててとても美味しかった。このままバターと牛乳を入れて混ぜてスイートポテトにできるね、お砂糖いらないね、という具合の甘さ。

 鳴門金時という名称で売られているサツマイモは徳島県のどのスーパーにもあるけれど(大体が生か石焼き芋?で販売してるんよね、専用の機械で石焼にされててさ)、スーパーで食べる安いものはどれも味が薄い印象で、(薄いしなんかボソッとしている)こうして農家の人からもらったサツマイモは全部美味しいというもので、なんなんや、スーパーのあの鳴門金時って、ウソモンなんちゃうの、なんて真剣な顔で言ったら、友達は笑っていた。ほんまにそうやって。あれもこれも鳴門金時やで?などと言いながらペロリと一本食べ切った。確かその前に、正月太りしましたね〜痩せなきゃね〜なんて言っていたんだけど。お昼ご飯の代わりってことでいいか、ってオチになりました。その後じゃがりこ食べたけど。

 そうして楽しい時間も日も過ぎていって、はやくも金曜。今週は三連休らしいね。
 週に3、4回、Twitterの方では魔女見習いの修行をやらせてもらっているし、空いた時間では読書やら書き物やらをしている。穏やかに時間は過ぎている。

 しかし『ミトンとふびん』買ってよかった。まだ半分しか読んでないけれど、残り半分を読み切るのが惜しいとすら思う。ばななさんの本、もっと色々読みたいな。集めようかな。

 夢を見た。寒い風の吹く、凍りつきそうな海岸を、私と外山くんは歩いていた。うみねこたちがにゃあにゃあとうるさく泣いている。たくさんの白い翼が陽を受けて飛行機のようにきらっと光っていた。ふたりの足跡が、砂浜に並んで美しい線を描いている。海は満ちていて、もうすぐ波に洗われて消えてしまうだろうと思う。 

『ミトンとふびん』より抜粋

 もう、この始まり方が美しいよね。表題作になるだけある。はあ…

 本は読み終わるのが惜しいと思うものと、面白過ぎていつの間にか読み終わっているものの二つに分かれているな。
どっちにしろ最高ってこと。

夜はまだまだ長い。

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