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たとえばやけに明るい秋の午後に


 起き上がることもままならずにうなだれていた朝の数時間。昨夜、とある本を読んでいたら涙が止まらなくなって、たとえるならば懺悔のような、そういった苦しみの中で泣いていたことをぼんやり思い返す。詳しくは省くけれども、誰にも知られずに流す涙ほど純度の高いものはないように思う。

 その時の感情も、空間も、すべてが一人きりのわたしで作られているあの時間、確かに正直な思いばかりが溢れ出ていて、誰に救われることも、慰められることも求めない代わりに、誰からも責められず、ありのままの思いを湧き上がらせて苦しくなって悔やんで、自分のために泣くというのは、時々、わたしには必要なのだ。

 スッキリしたから眠ったように思ったのだけれど、目が覚めたらとても体が重かった。でも、肌寒いどころか十分に寒い部屋に、冷たい風を送り込んでやりたくなって、そうしないとなんだか澱んでいるような気がして、のたのたと窓を開けにいった。開けてすぐに、ひや〜っとした最初の風が、わたしの顔と首筋、少しだけ出ていた腕を触ってきた。そのまま、わたしの体温が僅かに残っていた布団のぬくもりにも触れてからドアの方へ向かい、奥の部屋のすでに家族によって開けられている窓へと流れていった。見えてはいないけれど、見えた気がした。そうしてみるみるうちにわたしが昨日泣いていた時間も、そこで眠っていたわたしの温もりも、悲しいとか反省だとかそういった感情も、もうここには存在していない、という空気になった。新しい風のみがある部屋。いつの間にか体のだるさが抜けて、もう体を動かそうと思っていた。いつも通り、白湯かお茶を飲めば、掃除から始まる朝。

 玄関と玄関を繋ぐ廊下に飾られている複製品の絵画、エルグレコの『受胎告知』と児島虎次郎の『睡れる幼きモデル』の額縁を拭いた。しばらく額縁を拭いていなかったことに謝りながら、細かいみぞに溜まっていた埃を取り除いた。見落としていることをひとつひとつ見つけては拾い上げて手で包み込んでいるようなものだなと思った。

 

 一通り終わった後に読書。アサノタカオさんの『読むことの風』で、とても好きな詩があって、そこだけを読んで、その後はカラマーゾフを読んだ。亀のようなスピードなのだけど、読んでいるとみるみる話の面白さに比例してページを捲る速さが加速していった。アリョーシャ推していたんだけどなんかイワンもなかなかいいな…といううっすい感情も持ちつつ、『大審問官』のところでグッとくるものがあってアリョーシャとわたし対イワンという立場になっていた。わからないところもあるけれどもその熱意と感覚はわかる。ドストって本当にすごいな。夜になっても読み続けているが、夜になる前に夕方、山本文緒さんの訃報が届いた。SNSの海より流れ着いた訃報。知らないところで病と戦われていたのだと思うと胸が痛くなった。『自転しながら公転する』を作っていたときにはもうすでに患われていたのだろうか。どうしても読めなくて、いつかは読もうとは思っていた作品。不思議と読めなかった山本さんの作品。なんとなく、何度も、書店に積まれているのを見てはどことなく怖くって手に取れなかった。まだ触れられないと思っていた。そして、もう今後山本さんの作品を手に取るときには弔いの気持ちも含まれる本。

 午後、あれほど冷え込むからねと言われていたのにも関わらず、天気がとても良くて、明るすぎやしないかい、なんのサービスかなと思ったくらい、それは気持ち良い午後だった。そんな中誰かの冥福を祈るのだから、本当に何が起こるかわからないと思う。チャドウィックボーズマンの時は本屋さんで、マスクに涙をぐしょぐしょに染み込ませながら歩いていたことを思い出す。本を愛する人、またその作家を愛する人、とにかく必ず、救われたことのある誰かは、泣いているのだろう。わたしもそうだったように。

 ご冥福をお祈りします。どうか向こうで穏やかに過ごされますように。

 この記事もまた、ネットの海に流れていく。波打ち際に着いた小瓶を拾い上げた誰かが、中身を取り出して、同じように祈ってくれるかもしれない。そうだといい。

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 照明のような明かりは欲しくなくて、柔らかな灯りが欲しくて、夕方、陽が陰った頃からキャンドルと月を並べて読書をしている。そういえば『読むことの風』にも似たようなシーンがあったことを思い出した。詩を読むつもりではないし、なんならカラマを読んでいるのだけど、確かにこの時間はとても大切だと思う。天井照明では感じられない温かさを炎の色とゆらめきで感じることもできるし、指先が冷えればキャンドルの上に持っていき温めたらいいのだから。

 お守りのような本。何度も開いて開いて、癖がついてしまった本。誰にも渡すつもりのない本。そんな本がいくつか、いつまでも近くで、静かに佇んでいる。


 気が済むまでカラマを楽しもうと思う。眠れないのだから眠らなくてもいいよね、ということで。



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