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飛べないからこそ空を見上げる


 久しぶりに家族4人揃って出かけた昨日。特別な所へ行ったわけでもなく、市内のデパートへ買い物へ行っただけなのだけど、本当に久しぶりの事だったので、嬉しさで胸がいっぱいになっていた。日曜日のデパートに行くことも久々で、客の多さに酔いそうになりながらも、家族仲良く過ごすことが出来たので安心した。

なんとなく、欠けていたものが満ちたような感覚だった。

 その反動か夜は涙が止まらなくなってしまい、気が済むまで泣いて、泣き疲れて、眠った。そして瞼を腫らしている、いま。白湯を飲み、炬燵に潜り、薬を飲み、猫と戯れながら日記を書いている。


 昨日、運転している時に橋を渡ったのだけれど、川の下流側から白鷺と水鳥の両方が飛び立ち、橋のうえを飛び越えているところに遭遇した。水鳥の群れと白鷺の群れが空の上段下段に別れ、同じ方向へ飛ぶ姿がとても綺麗で、白鷺は特に橋のギリギリを飛び越えて行ったのでとても近くにみえた。青空に白がよく映え、うつくしくて、それだけでも泣きそうになった。

彼らは橋をまたいで川の上流に向かっていったのだけど、飛び立ったところから降り立ったところの距離は1キロもないようにみえたが、水鳥も白鷺もどうしてもそこへ行きたかったのだろう。降り立った場所でも水鳥の群れと白鷺の群れは付かず離れずの距離で固まっており、水鳥は浮き、白鷺は川の中で突き出ている岩に止まっていた。橋の下を潜るということは思いつかなかったのだろうか。それとも飛んでみたくなったから飛んだのだろうか。


 写真を撮ることは出来なかったから、瞳のシャッターを押しまくった。本当に美しかった。 でも鳥たちは己の羽ばたく姿がうつくしいと思って飛んでいなくて、ありのままに飛んでいるだけだというのに、私の心は震えていたし、いつかわたしが死んで霊体にでもなれたら、こうやって橋の上を飛んでみたいとすら思った。

 感動しても泣いてしまう私の感性は、少なからずまだ死んでいないのだと思うと安心した。


 そうして昨日は家族と出かけた先で本屋により、リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』を買った。最近、TwitterのTLでよくみかける。もともとブローティガンのことはすきで、『愛のゆくえ』が好きなのだけど、ほかの作品を読んだことがなかったのでこれを機に読もうと思う。

『愛のゆくえ』も、内容は少しヘビーだけど本当にいい作品なので、ぜひ読んでみてほしい。


 明日はやっと心理相談ができるので、今日は焦らずゆっくり過ごすことにする。思いついた言葉をメモするだけで一日が終わりそうだ。

ダメダメな日も愛せるようになりたい。



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