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積まれている本を眺めて思い出す



 ゆい奈さんがカラマをもうすぐ読了しちゃうっていうのをさっき記事で読んで、最高に羨ましいである。いや、締め切りはよ終わらせて読みたいんだけど、全くもってうまくいかない。集中はしてるの、してるんだよ…早く読みたいんよ…。

 毎月ゆっくり買っていこうと思っていたんだけど、どうもそれは厳しい気がしてきた。というのも、読み終わったら次買おう、という労力がまず湧いていないのと、むしろまとめ買いしておいてバーっと読みたいっていう気持ちがあって、おいおい徳島のどこに光文社のカラマは置いてあるんやい?となっている。うん。今見たらメルカリではそこそこの値段で売ってた。買うか…でもブックオフで見つけられる可能性をちょっとだけ期待してるの…。

 

 今日は病院だった。目覚めた時は肌寒くて、今日は長袖だなと思い着て行ったものの、あれ?案外日差しが痛いな?と思い腕を捲ったら、日焼け止めを塗り忘れていたので見事にじんわり日焼けしてしまった。本当にじんわり。ああ。やってしまった。今年は焼いてなかったのに。曇り空を舐めていた。やってくれたな。


 カウンセリングを受けている時に、最近あった出来事がとてもわたしの心を掻き乱していたのでたくさん話を聞いてもらった。泣きすぎて倒れるかと思った。マスクがツートンカラーになった。複雑性PTSDという言葉を聞いた。ああ、そうか、そうだな、そういう生き方を確かにしていたししているなあと思った。心というのは単純なことでも複雑にできていて、どんどん奥があって、深くて、それは生きてきた時間分だけあって、果てはあるけれども果てしなくも感じる。傷はいく層にも重なっていて、消えるということはなくて、とりあえずガーゼを被せているけど、消毒しているわけでもないから癒えてもいなくて、むしろ悪化して燃え上がることもあって、また鎮まって、を繰り返す。傷がどういうものかもあまりわからぬまま。そうやって生きてきた。これからもそうやって生きていく。ただ、苦しい時にどうやって乗り越えていくかを考えるのが今ということらしい。そういう星の巡りなのだと思う。気づかせてくれる人が医者であることも含め、傷と向き合う時間をもち、痛いけど傷を晒して消毒をすること。回復していくことを見つめていくことを努力しようと思う。


 もう、二十九日。もうすぐ九月が終わる。

 そうそう、わたし、十八の頃、二十七歳で死ぬんだろうなって思っていた。ギター弾きながら。それくらいで死ぬんだろうなって。妙な直感めいた、なんとも不思議な予感。理由はない。でも、二十七歳がゴールのような気がしていた。

 おばあちゃんになっている自分を想像できなかった。今でもできてないけれど。

でも生きている。生かされている。生きていくと思う。



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