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サッカーは少年を大人に、大人を紳士に

僕は文章に触れるのが好きだが、球に触れるのも好きである。

僕は6歳から18歳まで、サッカーをやっていた。

中学時代には、ひょっとして将来プロになれるんじゃないかと淡い希望を抱いたこともあった。

高校時代の監督は、「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉を教えてくれた。
これは「日本サッカー界の父」と呼ばれるドイツのデッドマール・クラマー氏が遺した名言の一つらしいが、サッカーが人格形成にも役立つことを表現した素敵な言葉だと思う。

僕はサッカーに育ててもらった。
子どもの頃はサッカーに費やす時間が日常の大部分を占めていた。

引退して10年以上経った今でも、サッカーのことは常に気になっている。
ネットニュースでサッカーの最新情報はいつもチェックしており、欧州の主要クラブの選手達の移籍情報までバッチリ掴んでいる。

いちサッカーファンとして、日本人選手のクラブでの活躍を心から願っているし、日本代表の試合も毎試合全力で応援している。
今年の11月にはカタールW杯がある。今から楽しみで仕方ない。

観るだけでなく、草サッカーやフットサルなら、今でもたまにやる。
プレーする度に実感するが、やはりサッカーは良い。
ボール一つあれば、皆、サッカーで一つになれる。
年齢も国籍も思想も関係ない。

ちなみに、サッカー関連の体験について書くのは今回が初めてである。
書きたいとずっと思っていたのだが、今日に至るまで、なぜか書き始めることができなかった。
なんというか、気が重かったのだ。
サッカーをしているときに感じていた胸の内を文字に起こすことが怖かったのかもしれない。

僕のサッカー人生において、成功体験と呼べるものもいくつかあったのだが、最終的には、全然うまくいかなかった。
当時10代だった僕は、壁にぶち当たったときには原因と向き合うこともなく、時には人のせいにしたり環境のせいにしたりしていたと思う。

今ならわかる。決して周りのせいではなかった。
当時の自分は、未熟だったのだ。
その未熟さを直視して言葉にするのがきっと怖くて、これまで書けなかったのだと思う。

でも、そんな過去と向き合ってでも、サッカーのことを書いてみたかった。
文章にすることで、もやもやしていた自分自身の気持ちにもきっと整理がつくはずだから。
そして、言葉にできるようになっている頃には、一つまた大人になれたといえるのではないかと思う。

ところで、「サッカーは子どもを大人に、大人を紳士にする」と言ったが、僕の場合、紳士になるのにサッカーは必要なかった。
生まれつき、紳士なんでね。

そんなわけで、紳士によるサッカー談義を始めようと思う。

数本の記事に分けてアップしていくので、しばらくお付き合いしてもらえたら嬉しいです。


おわり

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