天皇杯アルバイトで脳がやられた話
学生時代に、サッカーの天皇杯のアルバイトをしたことがある。
仕事内容は、元日の天皇杯決勝戦、国立競技場の入場ゲートで、来場客にチラシを配るだけ。
それはもう、カンタンなお仕事である。
1月1日の朝から夕方までの時間を捧げる必要はあるが、バイト代として1万円貰えるし、試合の後半はスタジアムの中で生観戦できるし、サッカー好きな学生には嬉しいバイトだ。
元旦だけの単発アルバイトなので、朝集合して仕事内容を言い渡されて、それを実行するのみ。
バイトスタッフとしてやらないといけないことは、来場客にチラシを配るときに、あるメッセージをしっかり伝えることである。
あるメッセージとは、「こちら、抽選番号の載ったチラシです。試合で使われたサッカーボールが抽選で当たります。」というもの。
マニュアルはこれだけ。なんてカンタンなお仕事だろう。
バイトに課せられたこのセリフだが、チラシ配布を進めるうちに、だんだん省略して伝えることになっていく。というか、省略せざるを得なくなる。
なんせ、配布作業が追いつかないのだ。
天皇杯決勝は、4万人以上の観客が国立競技場を訪れる、超ビッグイベント。
チラシを渡す相手が多過ぎて、長い文言を一言一句伝えている余裕はない。
そうなると、伝えるメッセージは、
「チラシでーす!抽選でボール当たりまーす!」と短くなっていく。
マニュアルと比べると大分省略されたが、情報量としてはこれで十分である。
ただ、このセリフすら、あまりに繰り返していると訳がわからなくなってくるのだ。
単純な作業でも、繰り返しているうちに、脳が麻痺してくるらしい。
はじめにその症状が表れたのは、バイト仲間のTくんだ。
僕の隣で、僕と同じ作業を繰り返すTくん。
Tくんは途中まで、「チラシでーす!抽選でボール当たりまーす!」と確かに言っていたはずなのだが、僕は途中から彼の言葉に違和感を感じ始めた。
彼の言葉、何かがおかしい。
耳を澄ませてみると、彼はこう言っていた。
「ボールでーす!抽選でチラシ当たりまーす!」
!?!?
ボールを配って、抽選でチラシをプレゼント…
いや、チラシ当たっても何も嬉しくねえわ!
僕はTくんに、「逆になってるよ!」と伝えた。
Tくんは怪訝な表情で僕を見た。
僕は、「ボールとチラシ!逆!」と伝えた。
Tくんはそれで気付き、自分でおかしくなったみたいで、吹き出した。
僕も、気がつけば声を出して笑っていた。
その場に居合わせたお客さんたちも笑っていた。
中には「バイトの若造、ちゃんとやれ」と思っていたお客さんもいたかもしれないが、真冬の昼下がり、そこに流れていたのは、Tくんの言い間違いを愛す、暖かい空気だった。
ちなみに、そのあと僕にも定期的にボールとチラシが混同する現象が訪れ、何度か「ボールです!抽選でチラシ当たります!」と言ってしまった。
終盤になると、「今配ってるのは、どっちなんだっけ?えーっと…今手に持ってて配ってるのは、チラシだよな?抽選で当たるのは、ボールだよな?」と自問自答してから例のセリフを言うようになっていた。
以上が僕の、天皇杯アルバイトの思い出。
元旦の国立競技場とは、チラシとボールが錯綜する、不思議な場所である。
今日はすごく冷えるので、温かいスープを着て、厚手のセーターを飲みたいと思います。
おわり
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