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嫌いの根源は無知の恐怖(2024/05/24 22:55:16)

僕には嫌いなこと,嫌なものと言うのが多い。

例えば人。
例えば新たな環境。
例えば食べたことの無い食べ物。
例えば感情。

どれもに共通するのは,僕には分からない,理解の出来ないものであるということ。
そして分からない,理解できないというのはとても恐ろしい。

ある人がある人に仰った言葉で,「あなたの嫌いは怖いから来ているのかもしれませんね。」というのがあった。
それを聞いた時に腑に落ちるくらいには,僕は恐怖による嫌いが多いのかもしれない。

逆に経験が豊富なものや,分からないが無いものに対して嫌いなどのネガティブな感情を抱いたことはないような気がする。
が,ここで問題なのは僕には分からないと思うことが多い。

まずは感情。
ここが僕にとって分からない,恐ろしいの根源だ。

感情が分からなければ,理解出来なければ,感情によって引き起こされる言動に対して理解に苦しむことが増えてしまう。
感情が分からないから,感情のある人間が恐ろしくなる。
そして,自分の感情も分からないから,なにかに迷ってしまう。

感情が分からないというのは,それだけで恐怖や迷いを増やす。
だから感情とはこれからも向き合うのだが……ここをこれ以上書くと過去に書いたものと丸かぶりするのでここらで止めて置く。

感情だけではない。
五感もそうだ。

知らない味のものを食べると嫌いと錯覚してしまう。

知らない音を聞くと不安になってしまう。

知らないものを目にすると困惑する。

知らないものに触れると恐怖を感じる。

知らない匂いを嗅ぐと息が苦しくなる。

五感で感じるものも,知らなければ全てが恐ろしくなる。
特に僕はそうなることが多い。
知らない分からない理解できないは,ネガティブを沢山引き出してくる。

だからこそ僕は学ぶのだ。
だからこそ,経験をするのだ。
それだけで僕のネガティブは減るから。
勿論,その学びも経験も,最初は知らないものだから怖い。嫌いだと思うことばっかりだ。
けれど,それでもいつかそのネガティブを克服するために,今は頑張ろうと震える足に鞭を打つ。

嫌いなものを少しでも減らすために。
ネガティブを少しでも減らすために。
自分が少しでも生きやすくするために。

嫌いの根源が無知による恐怖なら,好きの根源は有識による安心感といったところだろう。
新たなことを知り,それに安心感を覚える。それこそが僕のポジティブの形成だ。

最後に,ここまで読んでくれたあなたへ。
あなたが少しでもネガティブに感じるものが減ることを願って。

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