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【キャメルサファリ】砂漠の真ん中で一泊してきた

JAN 2019


ジャイサルメールでの目的だったキャメルサファリについて。


午後15時にTOKYO PALACEを出発し、ラクダとの合流地点までは一緒だった日本人の男の人とジープの様な車の荷台に乗って行った。

集合場所につくとフィンランド人のニーナという女性も合流して3人+ガイドのおじちゃんと付き添いの若い男の人で出発。

ラクダに乗るのは思ったより難しい、というか想像してたよりも高くて結構怖い。

立ち上がる時に前足or後ろ足から順番に立ち上がるので、バランスを取ってしっかり掴まっていないと普通に落ちそうになる。

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ああ、ラクダ可愛い。

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やっぱりラクダ可愛い。


だいたいいつも休憩するときは同じ方向に向いていて(向かされていて?)あまり動かず一点を見つめている感じにとても癒される。

宿泊地点につくまで30−40分ほどゆっくり、時々駆け足で移動。

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道中、もらったペットボトルのそこに穴が空いていてカメラや携帯以外で背負っていた(メインのバックパックは宿に置いてあるので、少しの荷物のみ)荷物が水浸しになるというトラップが発動し、携帯のモバイルバッテリーが動かなくなっていた。

旅の序盤だったので、少しショックを受けつつ目的地に到着。

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砂漠の真ん中のテントが今日の宿。

このときダメ元で砂漠の乾燥度に頼り、モバイルバッテリーをテントの外にぶら下げておいたところ、次の日の朝出発すると気にはなんとバッテリーが復活していた。(1年以上経った現在もまだ使用できている!)

見渡すと砂漠だけが続く方向と、逆側には風車の様なものが立っている。

すごく遠くから響いて人の声らしきものも聞こえてきた。


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ここで見た夕日は今ままでの自分が知っているより大きく、早く沈みながら空の色をみるみる変えていった。
誰も何も話さず沈むまで静かに見ていたので、それが余計早く感じられた。

撮り方によって全く違う太陽に見える

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日が沈むと温度は一気に下がり、ダウンをきていてもかなり寒い。

夕食は焚き火で作ったベジタブルカレーとチャパティと瓶ビール。とチャイ。

寒いの中みんなで寄って座って話しながら外で食べるご飯が美味しくない訳ない。

砂漠で過ごした時間はどこをとっても、もう一度経験したいと思うものばかりだった。

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フィンランド人のニーナはソーシャルワーカーとして働いていて、インドのコルカタにある学校の運営管理しているという。

インドに毎年数ヶ月間きている彼女は、10年以上結婚していた旦那さんと最近離婚したそうだが、自分の本当に好きな事ができている今が幸せだと言った。

とても丁寧で優しい話し方をする彼女と会話していると、自分も優しく温かい気持ちになり、彼女の口から聞くフィンランドの話をきっかけに北欧にとても興味を持つことになった。

気候のせいもあるのか、他のヨーロッパ人に比べて物静かで内向的、でも思ったことはストレートに伝える。年間のほとんどが寒い時期なので、温かい時期には皆外に出て他のどの国よりも春夏を謳歌し、太陽が登ったままの夜に出歩く。

ニーナとは旅の最終日近くにネパールで再開することになるのだが、またいつか彼女に会いにフィンランドに行きたい。

結局真ん中に張ったテントには誰も寝ず、焚き火の近くでおしゃべりしながら、眠くなったら焚き火の横に敷いた布団と寝袋に包まって、満点の星空を見上げながら気づいたら眠っていた。

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翌朝は7時半ごろ朝日で目が覚めた。

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昨晩使った食器を片付ける際に、少しの水と砂を使って綺麗に銀食器を洗う様子には見入ってしまった。

準備をし、昨日きた道をまたゆっくり、時々駆け足で落ちそうになりながら30−40分かけて戻る。

ガイドとして付いてきてくれたおじさんはパキスタンで生まれたといって言葉や料理を教えてくれた。

彼は時期によってはほぼ毎日砂漠で違うゲストたちと夜をともにするので簡単な言葉なら何ヶ国語も知っていたし、それぞれの特徴、失礼で嫌いな客の話、今は別々になった家族の話をしてくれた。

先のこと、昔のことは関係なくて、今幸せかそれだけが大切だ、と何回も言っていた。

よく聞く言葉だし、聞く人によっては責任感のない発言だと思うが、毎日砂漠で生活し、家族を失って一人で生きているおじさんの言葉は、よく聞く言葉とは違う聞こえ方がした。


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