SMは愛情と信頼の賜物

1.自分とSM

多くの人は性的好奇心を持ち始める時期があると思う。
私の場合は8〜9歳頃だった。それとほぼ同時期に“SM”と言う関係性にも興味を持つようになった。痛いことや怖いことを敢えてする意味とは何なのかと気になった。

インターネット接続が時間料金だった頃なので、情報収集は主に某古本屋だった。時代からか規制が緩く、成人向けの漫画や雑誌を容易に購入することができた(単に店員さんが目を瞑ってくれていただけかもしれない)。

知識が未熟なので、ありとあらゆるジャンルの本を買っては
「これは意味わからんな」とか「これは好みだな」とか判別していった。
その中で特に心惹かれたのがSMだった。理由はそのときはわからなかった。

インターネットが定額料金になった頃、動画を探すことも覚えた。
私が好きなのは淡々と緊縛を施していき、縛り終えたら縄を解いていく、静かな動画だった。マゾヒストの女性の息づかいや、ただ縛られているだけなのに気持ちが良いのか「う゛っ」と声を少しだけ出すのが何ともエロティックなのだ。
しかしそんな動画は数少なく「SM」で検索すると雑に罵倒するサディストや挿入シーンがあるものばかりで、それを観るとがっかりした。SMは挿入しないで完結してほしい。その想いの理由はそのときはわからなかった。

成人してもSMへの興味は尽きず、実際にその行為をしている場に居合わせてみたいと思った。たくさん調べて、ルールがしっかりしている店を探した。
“服を脱がない”とか“プレイ前に飲酒しない”とか“嫌なことをした人は即出禁”とかその辺りのルールを設けている店を見つけた。
ホームページに住所は載っておらず、駅から指定場所への地図、そこまで来たら電話するように。とのこと。そんな店に行くのは初めてのことで、大冒険だった。「初心者緊縛練習日(見学も可)」という日に見学で予約を入れた。

当日、住んでいたところからは少し遠い某駅に向かい、指定場所まで歩き、店に電話をかけた。電話から聞こえた声は怖くもなく、わざとらしく優しくもなく、いたって普通で「そこから見える〇〇があるビルの〇〇号室へどうぞ。着いたらインターホンで予約名を言ってください。」と教えてもらった。このときはSMとか関係無く、ただこの非日常感が面白くてたまらなかった。

店に入ると15名くらいの人がいて談笑していた。縄プレイの店だが蝋燭プレイ好きの人がいて、希望者の手に溶けた蝋燭をたらしてみたり「これ、良いでしょ!」「ん〜まぁ確かに」とかいう会話を普通のテンションでしていて朗らかだった。
常連客が多いようだ。新顔の私に自己紹介をしてくれたり、よく勇気出したねと声をかけたりしてくれた。
中でも印象的だったのは黒髪艶々ロングヘアの快活な女性が「へ〜こういうところ初めてなんだ!縛られたいの?縛りたいの?」と爽やかに聞いてきたことだ。
ここは世間から変態とみなされる人が来る店。皆変態だから爽やかにこんな会話ができるのだが、私は不慣れだったので「えと…縛られたい方なんですけど…今日は見学で…」ともごもご言ったらその女性は「そっか!楽しんでってね!」とやはり爽やかだった。

緊縛練習会が始まった。初心者の練習会で、上半身の緊縛を練習するのが目的のようだ。2人1組で、縛られる人と縛る人がペアになっている。縛られる方は感じている様子も無くちょっと笑っちゃったり真顔だったり退屈そうだったり。縛る方は真剣そのものである。エロさのかけらも無く、本当に練習会。
その時の私も、ヨガのレッスンを見学してもこんな気持ちだろうな、というくらい何も感じないフラットな心持ちだった。

先ほどの爽やか女性はインテリ風の男性と一緒にちゃぶ台をひっくり返している。
え?何してるの?と思っていたら、先ほど「よく勇気出したね」と声をかけてくれた女性が動きやすい服装に着替えて出てきた。
爽やか女性とインテリ男性に指示され、ひっくり返されたちゃぶ台の上に横たわり、指定のポーズをとる声かけ女性。これからちゃぶ台に拘束されていくようだ。
様子を見ていると、インテリ男性はかなりの重鎮で、爽やか女性を”才能ある後輩”とみなしていて色々アドバイスをしたりしていた。
初心者緊縛会のはずだったが、そこだけ異様に濃い緊縛がされていた。
(インテリ男性のパートナーは初心者の練習台になっている。なんかもう色々自由。)

私は見学なので烏龍茶か何かを飲みながら、ぼーっと見たり隣で同じく見学しているおじいちゃんと喋ったりしていた。おじいちゃんはほにゃほにゃしていて柔らかい人柄だった。周りの人も言っていたが、このおじいちゃんは常連さんで、この道長いらしい。縄の扱いが上手らしい。特定のパートナーはいないらしい。
話しているうちにこの辺りまでわかって、私はうーんと迷いながらも言った。

「もし、嫌でなければ縛って頂けませんか?」

おじいちゃんはびっくりしていたが、少し考えた後、快諾してくれた。

まずは末端神経のチェック。おじいちゃんと指の第一関節同士を組み、引っ張り合う。「力ちゃんと入るね。」と確認した後、いよいよ緊縛が始まる。(繰り返すが、この店は着衣厳守である。)

私は腕を後ろで組み、おじいちゃんが縄で私を縛っていく。ほとんど後ろで作業されるため、私には何が起きているのかよくわからない。が、確実に上半身の自由が奪われていく。なんというか、その動けなくさせられる感じが心地良い。

「できました。」とおじいちゃんが言い鏡で見せてもらった。着衣だが、身体の形が”ここが、これ”と見せつけられている感じがして気恥ずかしかった。
おじいちゃんは余った縄で私のお腹を良い力加減で押さえつけたり、縄を解いていくときに縄の端を足の指の間に通らせたりと、緊縛初体験者にはちょうど良い塩梅でちょうど良いことをしてくれた。
縄を全て解き、再度末端神経の確認。危ないことをするからにはこうやって安全確認をするのだなと感心した。
その後、少しおじいちゃんとお話しをして、1人で店を出た。

私のSM体験はこれ一度きりだが、これではっきりとわかったことがある。
以前より薄々感づいていた「SMとは愛情表現であり信頼表現である」という説が当たっていたということだ。
信頼関係が強くないとあんなことできない。
痛かったり怖いことをするけれど、マゾヒストが本当に嫌なことはサディストはやらない。だからこそ信頼して身を任せられる安心感。信頼する人からの刺激は甘いものであれ辛いものであれ心地が良い。そういうことなのではないか。
おじいちゃんがしてくれた緊縛は物理的な心地良さはあれど、精神的には「???」という感じだった。それはおじいちゃんとの間に愛情も信頼も無かったからだろう。

疑問に思っていたことが晴れた気持ちになった。
私がSMに魅力を感じていたのは、幼い頃からその本質に気付いていたからではないか。
SM動画の挿入シーンが嫌いだったのは”それ”をするための前戯として信頼関係ごっこをしていたという嫌悪感だったのではないか。

本当のSMをしている人の信頼関係とはどんなに強固なものだろう。
親に複雑な想いを抱く私は信頼関係に飢えていたのだ。
信頼と愛情と性欲の区別がつかなくなってぐちゃぐちゃになった時期もあった。あの頃迷惑をかけた皆さん、今私は反省しています。

今、私は30代。緊縛体験は10年程前の話である。
最近の私は夫とゆるりと暮らしている。
平日はお互いの話を聞き合い、休日はお互いに一緒にいたければ一緒に行動するし、1人になりたいときは別行動。
ごはん作りや洗い物や掃除を一緒にしたり、身体がだるいときはうつ伏せになって夫に上に乗ってもらうと楽になる「圧迫療法」なるものを編み出したり、夫の髪を切ったり、SMではない愛情表現と信頼表現で満足している。
自分が何に幸せを感じるかとか好みなのかって変わっていくものなんだなと思った。でももし夫が「青ちゃんを縛りたい」とか言い出したらそれはそれで良いかもね。

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2.他の人のSM

以下、言ってしまえば推しの話である。

自分がするSMというものには興味が無くなったが、SM文化そのものへの興味は変わらずある。だがもう10年以上前のように動画等の燃料を探すことは無くなった。色々と落ち着いてきたからだと思う。

1年くらい前だろうか。休日にTikTokを観ていたら、たまたま“美らかのん“ちゃんという方を見つけた。適当にスワイプしながら見ていたのだが、かのんちゃんが「ご主人様が〜」という言葉を発したのでスワイプする手を止めたのだ。
どうやらSMの人らしいとわかり、即フォローした。
TikTokはゆるくて可愛らしい投稿が多い。一体どんなSMをしているのだろうと調べてみたら彼女の経歴がすごかった。

・14歳の時にミラ狂美さんを知り「私はこの人に会うんだ」と決意。
 (この人に会うために産まれたんだと思ったとも言ってたかも)
・ミラ狂美さんに会うためにAV業界に入る。
・ミラ狂美さんに焼印を入れてもらうため(もっとハードなプレイをするため)にフリーランスに。
・現在、2人で作品を出したり全国でショーを開催したりと活躍中。
・映像作品やハードなショーではめちゃめちゃ凄いことをやってる(ここには書けないので気になる人は調べて)。かのんちゃん曰く“日本一ハードなことをやっているSM夫妻”

経歴を調べるごとに、2人のTikTokのゆるゆるラブに癒されるごとに、興味が高まっていった。14歳の時に憧れた人と今一緒にいて、仲良しで、好きなことを共有して仕事にしているって。
全て愛を原動力として実現している様がかっこよすぎて衝撃を受けた。

今年になって2回、彼女達のショーを観に行った。
1回目は初心者向けのショー。2回目はハード系のショー。
(まずこうやって初心者向けを企画する精神が素晴らしい。観に行こうか迷っている人のハードルを下げて、間口を広げている。)
初心者向けのショーはエンターテイメント性もあり、怖いと感じさせるようなことは一切やらない。SMに興味が無い人が見ても楽しめるような内容だった。
ハード系のショーは流血する場面があった。私は普段、暴力や血は好まない。映画の暴力シーンは耳と目を塞ぐ程だ。しかしこのショーでのそれらには嫌悪感を抱くことなく、むしろ美しさを感じた程だった。その違いはやはり信頼関係が目に見えてわかるからだろう。
“普通”とされる感覚で観ると、ミラ狂美さんはかなり酷いことをしている。しかしかのんちゃんは「もっとして」という目をしている。「もっと来いや」という挑発のように見えることもある。
2人の視線が絡み合う。これが愛でなかったら何だと言うのだ。
「SMショー」というと怖い・変態的なイメージかもしれないが、私にはこのショーには「2人の愛情と信頼を観させて頂く」という意義を見出した。最高な時間なのでまた近々行きます。

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3.愛情表現と信頼表現

そもそも、信頼表現という言葉は存在しないと思う。しかし愛情表現と絡ませて敢えてここではこの言葉で表現させてほしい。

愛情表現も信頼表現も、人によって異なる。“愛を持ってこうしたが、それが裏目に出てしまった“なんてことはよくある。だからこそ、パートナーとの対話が大事になってくる。
何をされたら嬉しいのか、嫌なのか、好きなもの、嫌いなもの、その他にも色々。

それらを互いに話し合い、知り合うこと。時には衝突して互いの許せる範囲を作ること。
それがきっと、愛と信頼を深める一歩なのでしょうね。


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