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春は最高

ここ最近は、文章を書くことから離れていた。
それどころか文章を読むことや写真や映像を見ることも極力避けている。
毎年秋に心が敏感になるが、それが今年は冬を越し春が来ても続いている。
そんな時はこれ以上心が軋まない様に、仕入れる情報量を少なくするのだ。
通常であれば栄養となる友達との会話や暖かい本も、その交流が終わった後には気化熱の様に心がひんやりとしてしまう。温度差が生じるとそれだけで疲れでしまうので、平穏を保つよう努めている。

そういえば先日、医者から「あなたは双極性障害だ」と言われた。唐突だった。
いわゆる「躁鬱」というもので、元気な時としょげてる時とがある状態らしい。

…え、それって病気じゃなくて普通のことなんじゃないの?
と思ったのは家に帰ってからだった。
言われた直後はショックが大きく、病名を付けられるほど自分は深刻な状態なのかと動揺した。
調べてもいまいち当てはまっていない気がして納得できなかったので、次の診察時に医者に質問してみたが、それもいまいち要領を得ない返答だった。なので、私の中で答えを出すことにした。専門家ではないので間違っているかもしれないが、2つの可能性を導き出した。
(以下、病名が重苦しくて嫌なので躁sou鬱utsuの頭文字でスーちゃんと呼ぶ)

1:心の病気は目に見えないから、仮で病名を付けている。そうしないと薬を処方しにくい。
2:私は高校生くらいの頃からスーちゃんで、治ったり再発したりを繰り返している。多分一生これ。だが軽度のもののため、調べた内容に当てはまっていない感覚がした。

おそらく2が当たっている気がする。今までも心の温度差に耐えられなくなった経験が幾度かあるのだ。
スーちゃんは普段は私の中で大人しく眠っているが、ストレスや疲れや季節の移ろいで目が覚めてしまい、大きく伸びをし屈伸をしジャンプしたり踊ったりしている。それが私の身体に様々な影響を及ぼす、ということなのだと解釈した。

病名を告げられた時は衝撃だったが、このように解釈してからは「何だ、スーちゃんと仲良くすればいいじゃないか。」と思うようになった。
もうスーちゃんとの付き合いも長い。どのタイミングで目覚めて行動するかは何となく掴めているはずだ。
何より、悪いことばかりでもない。悲しいことを感じとりやすいが、嬉しいことも全身全霊で受け止めることができる。例えば今の季節の気温、匂い、風、日差し、鳥の声、花の色から注がれる喜びは、私だけのものだ。
喜怒哀楽で言ったら「喜」と「哀」を行ったり来たりするけれど、そんな自分を自分で認めて、おもろいねって思えるようになってきていると思う。

きっとこれを自己肯定と呼ぶのだろう。しかしこれは気候が良くなってきたことと仕事が落ち着いてきたことによってスーちゃんが眠りに入っただけで、きっとまた秋頃にスーちゃんは起きてくるのだろう。
その時に、今の気持ちを思い出せるように。手紙を書くような気持ちで文章を綴っている。

ちなみに最近5kg太ってなんか全身むちむちしてるけど、そんな自分もプリティーじゃんって思っている。
スーちゃんが寝ている時の私はこんな感じだから、またつらくなっても、きっと大丈夫。

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