優等生やめたい

私が優等生であることを知らない友達たちに会いに行く電車の中、この文章を書いている。今日は気持ちの良い秋晴れで、遠くの友達に会いに行く。心が楽だ。

小学生の時、私はほとんどの期間が不登校だった。
ことの始まりは2年生の1学期終わり。「2学期からは学校に行かない」と宣言をした。そこから先の発言はあまり覚えていない。母曰く「学校に行くと先生の言うことを聞くロボットになっちゃう」とか言っていたらしい。確かに、担任に面倒ごとを押し付けられるということは幾度もあった。
校長室登校をしたり、山奥の学校に忍び込んで授業を受けさせてもらったりと、ごくたまに学校という場には行っていたが、不登校児が学校という場に触れるための苦肉の策といったものだった。

1年生の時はそれなりに楽しかったとは思うが、それでも小学校は私にとって苦痛が多い場所だった。
まずテスト。100,90点を取ることは当たり前のことでなくてはならず、80点だと冷や汗。60点なんて取ってしまった日には人生が終わるかと思うほどのショックを受けた。親から厳しく指導されていたわけではない。自分で自分を追い込んでいただけなのに、今でも当時を思い出すと締め付けられるほどの苦しみとなるのは一体何なのだろう。

中学は高校までの一貫校で、とにかく自由な学校だった。校名に「自由」とあるくらいの自由さだった。
ここにはテストも校則も無い。数字で評価されるのは体育祭くらいのもので、それすらも「たまには数字で出すのも面白いっしょ」という共通認識があったように思う。舞台や芸術をする生徒が多く、至る所で「あの人の○○、良いよね」というような会話があった。心が動かされたという感情が人の間で行き来しているのが心地良かった。小学生の頃とは全く違う心の持ちようになれて、「私はきっとこの状態を保ったまま生きていけるんだな」などと漠然と思っていた。

高校を卒業してからはファッションを学ぶ大学へ進学した。高校時代に踊っていたダンスの衣装を自作していて、それが楽しかったからだ。
進路は迷った。舞台で表現をする人になるか、服を作る人になるか。後者を選んだのは「浪人しなくて良さそうだし、将来食っていけそうだったから」である。(この辺りで既に不穏だなと、今となっては思う)

大学へ進学し、久々のテスト。一箇所も間違えないようにタイトスカートの製図を何回も練習した。一語一句不正解の無いよう繊維の性質を覚えた。「Sはまず取れない。Aでも取れたらすごい」と言われる立体裁断の授業は、夜間のセミナーに通ってでも理解するようにした。単に楽しかったのもあるが何かにずっと追われているような気がしていたし、自分を追い込んでいた。
「大学生は暇」とはよく言うが、勉強や自分の製作を頑張っていたので、たいして暇ではなかった。

現在はアパレルの端っこのような業種の会社に勤めている。
市場調査をする。商品企画をする。デザインをする。製品検査を手配する。サンプルチェックをする、可否判定をする…。これらの流れは通常なのだが、受け持っている量が多い。その上追加の業務も発生する。大変。「きついですぅ〜」とヘラヘラ笑いながら、でもやる。会社に認められたいから。
客観的に見ればある程度認められている方だとは思うのだが、もっとできる人はいるしその人を越えたい。評価されたい。やっぱ流石だねって言われ続けたい。

でも本当のことを言うと

全部やめたい。

評価とか人と比べるとか追い込むとか、私が人にしたくないことを、自分自身にしてしまっているのだと気がついた。一種の自傷行為である。そのため、最近は心身に異常をきたしている。中高の時のような、健やかな心持ちを取り戻したいがなかなか上手くできない。

本当に、もう全部やめてやろうか。遠くの山奥にでも移住するか。そうも考えたが、今住んでいるマンションは居心地が良く都会にも近い。住むのは都会方面の方が性に合っている。

通院と投薬を始めたのでとりあえず仕事は騙し騙しやるしかない。今フリーランスになるのはインボイス制度の導入も含め、怖いことや不慣れなことが多すぎて危うい。
仕事量のことは上司に上手く言って、自分の印象を下げずに調整することができるだろう。
だって私は優等生なのだから。

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