No.44 僕と父と演劇
どうも、れいぽんです。
こういうのは、四十九日が過ぎて落ち着いた頃に書こうと思っていたのですが、今の自分が押し潰されてしまいそうで、心の整理のためにもちょこっと呟かせてください。
最近、父が亡くなりました。
戦前生まれで、平均寿命よりちょっと長く生きました。
僕は現在、29歳です。
世間的にいえば、おじいちゃんと孫ぐらい歳が離れています。
人生で初めて、身近な死と対峙しました。
歳は離れまくってますが、親子ですから、いろいろありました。
本当にいろいろありました。
いなくなって、大量に湧き出た感情といえば「寂しい」でした。
ふとした瞬間に、寂しいという化身に襲われて、泣き出してしまう日々。(持病の薬ととても相性が悪くて、主治医が頭抱えてました)
びっくりしちゃいます。何もできなくなる。
寂しさで、再起不能になってしまいます。
ふと、動かなくなった父の身体を思い出してしまい。
ふと、焼かれた肉体に残された骨を思い出しては、寂しくなるのです。
あぁ、もう、本当にいないんだなと。
父はザ・昭和の頑固親父でした。
僕は父から褒められたことよりも、怒られた数の方が多いかもしれません。
そんな父は、演劇をやる僕を応援してくれていました。
それも、スーパー激烈甘々な青倉玲依ファン。
怒られた日々はなんだったんだろうと思うぐらいに、演劇の土壌ではそれはそれはいっぱい褒めてくれました。
僕が出ていたり、僕が作った作品を見に、ほぼ毎回劇場に足を運んでくれました。
全部、よかったよーと言ってくれるのです。
学生時代。曽根崎心中を扱った舞台をやった時、僕はお初と心中する徳兵衛という役をやらさせてもらったことがあります。
その舞台を見た父は「お前は、この道に生きるんやな……」と、愛に溢れた言葉をぽつりと空に向かって投げるので、思わず静かに泣いてしまいました。
父は、演劇と向き合う僕を誇ってくれていたのです。
お前には才能があると。
演劇に関していえば、全肯定してくれる存在でした。なにぶん、ハイパー甘々ファンなので。
(これに相対するのが、ハイパー青倉アンチの母です)
今振り返って考えてみても、父が僕の演劇を観るラストチャンスは2020年でした。
僕もその年の3月に大学卒業を控えていたので、自団体のLPOCH本公演を打とうと考えていました。
コロナが全部、無に帰したのです。
コロナという存在が憎いです。
憎悪。
どうやったって、許せる気がしません。
父に僕の新作を見て欲しかった。心残りです。
道が続く限り、どこにでも行けると言っていた、お父さんならきっと辿り着けることでしょう。
軽くなった身体で、劇場に来てくれたらいいな。
お父さんのことで正直、稽古どころじゃないけど、精一杯頑張るね。
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2024/12/6〜7
LPOCH第1回本公演『歪』
扇町ミュージアムキューブ(大阪市)
よかったら、皆様もお越しくださいませ。
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