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あなたの番は、あと何年ありますか?

ここにいるのは、延々と続いて来たバトンを、今たまたま持っているだけ。
そんな話をしてみたいと思います。

誰にも似ていない


先日、友人とお酒を飲んでいたときのことです。
彼女には、子供が2人います。
こんな話をしていました。

子供ってさ、私にも旦那にも似ていないところってあるよね。
私の方のおじいちゃんかおばあちゃんか、
旦那の方のおじいちゃんかおばあちゃんか、
でも、もっともっと先祖代々の誰かの遺伝子かも(笑)。


ファミリーヒストリー


NHKの「ファミリーヒストリー」ってご存じですか?

ストーリー概要だけでも感動しますよ。

調査をしてもらったゲストが、先祖の誰かと思わぬ共通点があったり。
祖母や祖父の、想像を絶する過酷な人生があったり。

又吉直樹さんの回について、こちらで紹介されています。

又吉さんの父方の祖父にあたる又吉宝善(ほうぜん)さんの人生。
又吉さんは大阪府寝屋川市出身ですが、父と母は沖縄県の出身です。
宝善さんが生まれる直前に、父親(寶蔵:ほうぞうさん)はハワイへ出稼ぎに行っていました。
宝善さんは16歳のとき(1924年)に、ハワイにいる父を頼って出稼ぎのために海を渡りました。サトウキビ畑で働き始めますが、当時は安い賃金に劣悪な労働環境。
その後、宝善さんの兄:寶傳(ほうでん)がホノルルで営むレストランで皿洗いから始めます。
ゼロから英語を勉強し、パン屋で必死に働き、お金を貯めて沖縄に帰りました。
ハワイに住んでいる間にこのようなことがありました。
・当時子供(ヱミ子)がいて、2歳の時に亡くなっていた
・兄:寶傳も35歳の若さでハワイで亡くなっていた

沖縄へ戻り2年後に、又吉さんの祖母にあたる方と結婚しました。
沖縄へ戻った半年後には太平洋戦争が始まっていました。
地下壕の中に避難していた際、アメリカ軍が投降を呼びかけていると理解し、命が救われたようです。
終戦間際に、病気で最愛の息子(長男)を亡くすという悲しい出来事もありました。
その後、又吉さんの父が生まれます。

私の祖母は樺太からの引揚者です。
こちらで書きました。

祖父は漁師で、樺太はとても豊かな漁場だったようです。
子供は9人、使用人もたくさんいて大きな家に住んでいたそうです。
戦争が「終わった」あとの、ロシアによる侵攻。
その後の引揚げ。
52歳から人生の再出発をせざるをえなかった祖母でした。

祖父は私が物心ついた頃には、既にこの世にはいませんでした。
父方の両親についてはどんな人生を歩んだのか、ほとんど知りません。


家系図作成


以前「家系図作成」サービスの話を聞いたことがありました。

ファミリーヒストリーの様な調査までしてくれるようです。

ちなみに、アメリカでは「家族のルーツを探る」のは、
なんと、二番目に人気の「趣味」なのだそうです
(一番人気は「ガーデニング」です)

オンライン上で、自分で調べられるサービスが普及しているそうです。
その家系図会社の一つ、アンセストリー・ドットコムについて、
こちらで詳しく書かれています。

日本とはずいぶん事情が違うんですね。


自分の「番」をどう生きる?


会った翌日、友人がラインで送ってくれました。
「これ好きなんだよね。」と

相田みつを 「自分の番 いのちのバトン」

父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で千二十四人
二十代前ではー---?
なんと百万人を超すんです
過去無量の
命のバトンを受けついで
いま ここに
自分の番を生きている

それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです

今ここに
自分の番を生きている。

偶然にも、今ここを生きている。
自分の番は、あと何年あるのでしょう?

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