最後に残るのは、そのひとの「価値観」
実家に帰って、86歳の母と何日も過ごしていると、
話題に困ります(-_-;)
母との会話から、感じたことを書いてみたいと思います。
出来ていたことが出来なくなる
母は、昔「編み物の先生」をしていました。
編み物、裁縫、パッチワーク、、
とても器用でした。
しかし、先日のことです。
母の希望で、施設入所の申し込みをしました。
いつ入れるかはわからないけれど、
私が帰省している間に、出来るだけの準備をすることにしました。
衣類やタオルなどに「名前」をつける必要があり、
名前を書いた白い布を、服などに縫い付けました。
私が一日がかりでミシン掛けをしていたところ、
母が一枚取り出し、手で縫おうとしました。
しかし、
「やっぱりだめだ、、」
縫い目はあちこちに飛び、長さもバラバラ。
あんなにも器用だった母が。。
「時間は有り余るほどあるから、やろうと思ったんだけど。」
母は、とても悲しそうでした。
歳をとるって切ないですね。
母の今の楽しみは
母は、読書も好きでした。
しかし目も悪くなったので、今は朗読アプリを聞いています。
それ以外は、ほとんどテレビを見ています。
夏の甲子園の大会が行われていた時は、
地元青森の高校の応援をしていました。
地元の高校が準決勝まで進んでくれたので、
母が長く楽しめて、ありがたかったです。
また、青森は「相撲」が盛んで、
私の実家では、相撲中継のある時は必ずテレビで見ていました。
母は、今も相撲中継を見ています。
私の情報は「若貴」あたりから更新されていないので、
今の関取は知らない人ばかりです。
母は、地元出身の関取が出てくると、
「〇〇さん(地元の知り合い)の親戚だ。」
などと言います。
オリンピックも相撲も甲子園も終わってしまい、
テレビ番組は「普段見ていたもの」に戻りました。
「まだやってたのーーーー??」
という番組があり、本当に驚きます。
NHKのど自慢とか
アッコにおまかせとか
新婚さんいらっしゃいとか(笑)
目的がないと
母と食事をするとき、無言なのもなんなので(-_-;)
私がaddressで出掛けた先に「こんなところがあったよ」とか
ランで知り合った人にこんな人がいるよとか話します。
しかし、どうも反応がいまいちなんですよね。。
例えば山に登った話をすると
「どうして(山に)登ったの?」
、、どうして、、??
松本で走ったところがとてもよかった話をすると、
「(松本には)走りに行ったの?」
、、走るためではないけど、、
addressの宿泊先に友人が遊びに来た話をすると
「その人が来るから、そこに行ったの?」
、、「その人が来るから」ではないけど、、
目的もなく旅行に出ることが、理解できないらしい。。
結婚してる?子供はいる?
そして、母が必ず聞くこと。
ランやaddressで知り合った人の話をすると、
「その人は結婚しているの?」
「子供はいるの?」
先日テレビを見ていたら、自民党総裁選のニュースをやっていました。
小泉進次郎が出ていて、
「何でもいいけど、これくらい若い人にやってもらいたいね。
あんなおじいさんばっかりだと、
そりゃ若い人は関心無くすでしょ。」
と私が言ったら、
「この人は、子供何人いるの?」
と。
「知らん。関係ある??」
どうでもいいけど、イラッとする(笑)
「新婚さんいらっしゃい」を見ているのは、
こういう人なんでしょうね(笑)
他人の「なれそめ」とか、興味あります??
最後に残る「価値観」は?
私たちのときは、どんな80代になるのでしょうね?
多分、演歌は聴かない(すでに聴かないか、、)
多分、巣鴨の地蔵通りで服を買わない
多分、高齢者というくくりのサークルや催しには行かない
そして、
結婚しているしていない
子供がいるいない
これらも、共通の話題では無くなるでしょうね。
結婚していない
結婚しても子供がいない
子供がいてもあれこれ干渉しない
私たちの「家族観」は変わっています。
昔は「家族愛」をテーマにしたテレビドラマが、たくさんありましたよね?
いまだネットニュースによく上がる芸能人の「結婚」「離婚」話。
いまや、違和感を覚えます。
人生の目的が「家族」だった。
そのあと40年余りも変わらなかった母。
出来ていたことがだんだんと出来なくなるなかで、
最後に自分という「価値観」が残る。
私たちが80代になったときは、何が残っているのでしょうね?
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