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「競争」から「協同」への転換 ―『学び合い』の取り組みを通して(5/5)

以上のような取り組みを下支えする考え方として「学びの協同化」という視点は欠かす ことができません。ここからは私が「学びの協同化」を目指して取り組んできた授業改善の中でも、西川純氏が提唱する『学び合い』についての取り組みを紹介したいと思います。
まず、今回の学習指導要領の改訂の大きなポイントとして、

我が国の優れた教育実践に見られる普遍的な視点である「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善(アクティブラーニングの視点に立った授業改善)を推進する ことが求められる。

とあるように、「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」を目指した授業改善は我々教師に課せられた使命です。

また、前の記事でも少し触れましたが、文部科学省は平成30年6月5日に「Society5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」を提言しました。少々長くなりますが、今後の学校の在り方を展望する際に避けて通ることはできない大切な視点となりますので、ここで引用します。

特に、共通して求められる力として、1文章や情報を正確に読み解き、対話する力、 2科学的に思考・吟味し活用する力、3価値を見つけ生み出す感性と力、好奇心・探求 力が必要であると整理した。まず、知識・技能としての語彙や数的感覚などの学力の基 礎に加え、人間の強みを発揮するための基盤として、文章や情報を正確に理解し、論理 的思考を行うための読解力や、他者と協働して思考・判断・表現を深める対話力等の社 会的スキルなど、読み解き対話する力が決定的に重要である。また、人と機械が複雑か つ高度に関係し合う社会となっていく中、科学的に思考・吟味し活用する力が不可欠と なる。機械を理解し使いこなすためのリテラシーや、その基盤となるサイエンスや数 学、分析的・クリティカルに思考する力、全体をシステムとしてデザインする力がこれ まで以上に必要な力となる。加えて、現実世界を意味あるものとして理解し、それを基 に新たなものを生み出していくことは、AIによって代替できない人間ならではの営みで あり、AIの活用分野が爆発的に広がっていく新たな時代においてますます重要となる。 自然体験やホンモノに触れる実体験を通じて醸成される豊かな感性や、多くのアイデア を生み出す思考の流暢性、感性や知性に基づく独創性と対話を通じて更に世界を広げる 創造力、苦心してモノを作り上げる力、新しいものや変わっていくものに対する好奇心 や探求力、実践から学び自信につなげていく力などが重要である。(中略)
Society5.0における学校は、一斉一律の授業スタイルの限界から抜け出し、読解力等の 基盤的学力を確実に習得させつつ、個人の進度や能力、関心に応じた学びの場となるこ とが可能となる。また、同一学年での学習に加えて、学習履歴や学習到達度、学習課題 に応じた異年齢・ 異学年集団での協働学習も広げていくことができるだろう。

以上の学習指導要領・文部科学省の提言は、私が学級で行ってきた授業改善の理念と深く通じ合う部分があります。その授業改善の最初の取り組みとなったのが「一斉一律の授業スタイルから『学び合い』のスタイルへの転換」でした。

まず、誤解がないように述べておきたいのは、私が一斉指導を完全に否定し、全ての学習をいわゆる『学び合い』のスタイルで行うことを推奨しているわけではないということです。教えるべきことは教え、伝えるべきことは伝えていく必要があることは言うまでも ないし、その際に学級全体に指示を出したり、一斉にインストラクションを与えたりすることは学習を進める上で必要です。

しかし、ここで考え直したいのは、子どもたちの主体的な学びを実現するための方法として、45分の全てが教師主導で行われる(今の学校現場で主流となっている)授業スタイルが果たしてベストかどうかということです。現状の一般的な学校の授業は45分間のほとんどが教師主導で進められていることがいまだに多いのです。

そのスタイルの基本は「教師による課題の提示」「教師による発問と指示」「教師による板書」「教師によるノート指導」「教師によるまとめ」といった流れを基本とします。 このスタイルは、「学習は教師主導で進めるものであり、子供たちは教師よって教え導かれる」という関係性を強化するのに役立っています。それを6年~9年間繰り返せば、「主体的・対話的に学ぶ子」よりも、「指示に従って学ぶ子」「教師の与えてくれるものを黙って待つ子」が育っていくことにつながっていきます。それを危惧して いるからこそ文部科学省は先の提言で「一斉一律の授業スタイルの限界から抜け出し」と いう表現を使っているのではないでしょうか。

私は、必要な学習内容を一斉で教える部分は残しつつも、子供たちが主体的・対話的に学ぶ授業スタイルへの転換を実現してきました。しかし、それは一朝一夕に実現できるも のではないし、安易に『学び合い』を取り入れたことで子供たちの深い学びが阻害されてしまっている学級の例をいくつも見てきました。

伝統的な一斉一律の授業スタイルを『学び合い』の授業スタイルへの転換は注意深く行っていく必要があります。なぜならば先ほども触れたように現行の教科書やテスト等の教材、子供たちが大半を過ごす教室そのものまでもが伝統的な一斉一律の授業スタイルを前提としてデザインされているからです。

しかし、そのスタイルの転換は教師にとって多くの学びをもたらしてくれるのも事実で す。私にとって一番の学びは「子供は有能であり、自ら学び、自ら伸ばし合っていくこと ができる」「学び合うことで子供たちは非常に主体的になり、驚くような成長を見せてくれる」ということを心から実感できたということです。

私は子どもたち主体的な学びを実現する上で、「子どもたちが自立した学習者として育っていくことが保証されていること」「子どもたちの無限の可能性を教師が心から信じていること」が決定的に重要になってくることを学びました。それがなければ、『学び合い』の学習は「単なる放任」や「形式的な学び合い」へと堕してしまい、「深い学び」を 実現することは不可能となってしまいます。

【事例】『学び合い』の授業への転換
私は前任校で3年生を担任していました。学年は3クラスで、それぞれ30名程度の在籍人数であったと記憶しています。算数の学習は習熟度による4クラス展開で行われ、私は一番学習が遅れがちなクラス15~20名の「ゆっくりコース」を担当していました。

そのクラスには、学習に対して無気力な子、すっかり自信を失っている子、何らかの発達障害があるのか常に大きな声を発している子、授業の妨害をし続ける子、かけ算九九すら身に付いていない子など、実に様々な子供たちがいて、授業がなかなか成立しにくい状況がありました。

私は「子供たちが興味をもつような教材の開発」「楽しんで取り組める授業展開の工夫」「45分間集中し続けるような発問と指示の工夫」等を行い、一か月後には何とか授業が成立するようになり、にわかに自信を深めました。そして、休み時間や放課後の時間を使って、特に遅れがちな子への補習授業を繰り返すことにしました。はじめは5割を切っていた平均点も、次第に6割~7割に届くようになっていきました。私は自分自身の努力が実を結んだことに満足し、さらに自信を深めました。しかし、心のどこかでは、 それでも救えていない数名の子供たちがいること、全員が合格点には至っていないこと、このやり方では無尽蔵に時間がかかることなどが引っかかっていました。そして、 いくつ単元が進んでも全員を合格させることはおろか、子供たち全員に充実した学びを 保証できるには至りませんでした。そして何よりも私自身が休み時間や放課後の時間を全て補習に注ぐことで疲弊していきました。そこで、藁にもすがる思いで試してみたのが『学び合い』のスタイルへ転換でした。

それまでの算数の授業の進め方は、「1課題となる問題(子供たちの興味を引くよう に考え抜かれたもの)を板書し、2問題をつかませ、3自力解決する時間を確保し、4 何人かの児童にそれを発表させ、5全体で考え方を共有し、6練習問題に取り組ませ、 7確認テストをし、8学習のまとめをする」という問題解決型の授業をスタイルで行っており、そのやり方にある程度自信を持っていましたが、それを以下のように大きく転換し てみることにしたのです。

①全員が課題を達成することがこの時間の最大の目的であることを全員で確認。
②今日の学習範囲と、学習課題(○○を理解し、△△を友達に説明する)の確認。
③自分が理解したら、立ち歩いても、しゃべってもいいので全員が合格するために行動することを徹底。(理解した児童が分かるようにマグネット等で課題達成者を可視化する)
④全員が理解したらその範囲の確認テストを行い、全員が100点をとることを目指す。
この①~④の流れは、いわゆる『学び合い』の授業スタイルなのですが、はじめてそのスタイルに転換した単元で、早くも驚くような結果が出ました。単元テストの平均点が90点を超え、最低点も70点台になったのです。この結果はその他3つのコースの結果を凌ぐほどのものでした。

しかし、私が驚いたのは単元テストの結果よりも子供たちの変容でした。それまで受け身だった子どもたちの授業態度が主体的なものに変化していったのです。特に、場面緘黙の女の子が大人しい男の子とヒソヒソ声で学び合っている姿を見た時は思わず目頭が熱くなりました。

我々は早急に「工業時代の学校」から「情報時代の学校」への転換をしていく必要があります。その際に必要なのは、「教育システムの変革」というマクロの変革と「一人の教師における内面の変革」というミクロの変革です。その両輪がかみ合ってこそ、真の教育改革が大きなうねりになっていくはずです。

最後に主張しておきたいことがあります。それは、いかに高邁な理想を掲げたとして も、どれほど優れた教育的環境を整えたとしても、またどんなに理想的なカリキュラムを 編成したとしても、最前線で子どもたちと関わる「教師の心の変革」なくして「教育の変革」は起こりえないということです。

目の前の子どもの成長を心から願っているか。彼らの内面にある可能性を心から信じているか。その可能性を引き出すことに情熱を注ぐ決意はあるか。
日々、自問自答を続ける教師であることを何よりも大切にしていきます。

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