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適応障害1ねんせい、修了。

うだるような、どろけるような、あの重く苦しい夏から1年。


また降りる車両を間違えた。
いや、乗る車両を間違えたんだ。
乗り換え駅でボンヤリしてたからだ。
いやほんとはわかってるんだ。先頭車両ほど、最寄駅の一個しかない改札に最速で行けること。
だけどもうそんなこともどうでもよかった。
別に死なないし。
誰にも迷惑かけないし。
とか言いながら、陽炎ゆらめくJRのホームを、意識が飛びそうになりながら端から端まで歩いた夏の帰り。


もうそんな日は来なくていい。


キラキラ新入社員を夢見て、配属ガチャ大外し。
頼る人、可愛がってくれる人、仕事の出来る人、尊敬できる人、皆各々の理由で離れていく。大半がネガティブなものだった。
限界だ、と相談した上司には「甘えだ」と鼻で笑われ。
絶望も絶望、

向かった先は心療内科。

知らない街で、健康体で病院嫌いの私が、一人暮らし4ヶ月目にして最初にかかる病院が、まさか心療内科とは。

これまで縁もなかったし、そんな日が来るとも思ってなかった。
心療内科と精神科の違いだって、考えたこともなかった。


行くきっかけは、大きく2つ。

5年以上付き合いのある友人の「○○クリニックいいよ、行ってみ〜」という、新しくできたカフェを勧めるかのような軽い一言(こういうところがとても好き)。彼女も自身のもつ障害のために、そこに通っている。以来、勧められたクリニックにはずっとお世話になっているので感謝だ。

もうひとつは、同じ職場の中途の同期。
同期とはいっても、私より10歳近くお姉さんで、仕事の経験もかなりある人だから、業務開始時期も配属も先だった。
それでもすごく仲良くしてくれて、仕事に対する考え方とかも似ていて(僭越だけど)、だからなのか、お姉さんが同じ配属先で苦しんでいるのを見ているのは「明日は我が身」的な恐怖があった。
そしてマジで「我が身」だったのでこれは本当にあった怖い話なのだけど、、、
お姉さんが心療内科にかかって、「適応障害だった〜漢方もらってちょっとずつ落ち着いてるんだ〜」って話を聞かせてくれた。その時の私はまだ、意地悪ババアに目の敵にされてなかった。

それから3ヶ月。
私は心療内科にかかった。


初めて行く病院、初めて会う先生にもらった四字熟語は、初めてだけど「答え合わせ」だった。


適応障害。


ほーらやっぱりね、私もそれだったんだ。
そうだと思ってたさ。
この辛さ苦しさには、ちゃんと名前があったんだ。
名前があるってことは、前例がたくさんあるってことでしょ?存在が認められてるってことでしょ?
大きく捉えればさ、私は1人じゃないってことだとも思うわけ。

ふーん、なるほどね。
渡された診断書を見て、私は少しだけ笑った。

書き連ねられた、症状のデパートメント。
これには苦笑い。
誰だ、私をこんなにしたやつは。

偶然だけど、その先生も漢方推し(そんな言葉ある?)で、漢方を処方してくれた。
効く日もあれば、効かない日もあった。

その後も別の症状でカタカナの名前の薬を処方してもらったこともあった。

薬ってお守りだ。
頓服だし、ありがたいことに普段飲むことはほとんどなくなったけど、必ず持ち歩くことで気持ちが落ち着く。



処方薬もだけど、
一人暮らしをやめたり、
人付き合いを見直したり、
健康的な食事や睡眠をとれるようになったり、

自分を受け入れる、可愛がる、甘やかす練習をしたり、

これでもかってくらい、自分と膝突き合わして対峙して、見つめ直して、話し合って、

辛かった日を思い出して泣くことも、
1人が怖くて押しつぶされそうになることも、
頭が動かなくて消えてしまいたくなることも、
かなりかなり減って、

まだ、毎日サイコー!ハッピー!とは言えないけど、かなり「普通」に近づいてきた、今日この頃。


1ねんせい、よくがんばりました。
自分で言います。私がんばった。


適応障害をはじめ、精神疾患のスタートやゴールがわからないので、卒業や引退はせず明日からは2ねんせいに進級します。
それは、前向きな気持ちからです。

適応障害になったことで、
自分を守れるようになった。
大切にできるようになった。
共感できる他者の痛みが、増えた。

ならないに越したことはないけど、
なったことで得たものもかなりあります。


それを糧に、時にはネタに、生きていく。
それが私の選んだ道。


今では何もマイナスなことなんてなくて、
人生の選択における大きな指標でもあります。


自分の心とともに、今日も生きる。

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