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バッテリー残量

飲んだ帰りに考えたこと。
Twitterに書こうとしたけど、なんかもったいないからここに書く。
こうしてハードルが上がる。

携帯のバッテリー残量が20%を切る。
途端に1%1%に重みが出る。
こちらの気持ちとしてもそうだし、実際1%減るのが遅くなる。

最後の1%の粘りったら、すごい。
90%から75%に減る時くらい、粘る。


人間も同じな気がする。
あ、やばいかも。
あ、そろそろ充電したい。
あ、一旦フルで使うのやめないとな。
あ、熱持ってる。
あ、充電するもの家に置いてきたじゃん。


なんとなくやばいのは分かってる。
たくさんのピンチ信号を受け取り、「やばいな〜」のまま、なんだかんだ、続ける。

「まあいけるっしょ」さえ、生まれる。
だんだんそれが強くなって、「なんだかんだいけちゃうのよな」になる。
ピンチ信号を受け取りすぎて、見くびり始める。


するとやっぱり、1%は、
プツッといきなり0になる。

携帯にたとえたら、まあそりゃそうだよね、ってなる。
ディズニーの帰り、YouTube観たまま寝落ちした時。誰もが体験しうることだから。


人は結局、体験したことしか分からない。

かといって、そう簡単にはいかない。
プラグを挿すだけで、ぐんぐんライフが甦るほど単純かつ精巧なつくりをしていない。
そもそも、数字で残量が見えない。

それが大きな違いだ。


あ、ちょっとしんどいかも。
しかもしばらく、復活のチャンスないかも。

このピンチ信号を、自分なりのピンチ信号を、見逃さないように。

食欲がない、眠れない、もしくは暴飲暴食。
様々あるだろう。


私の場合、ライトな不調だと、物欲がなくなる。
なので手っ取り早くZOZOを開いてみた。
見事に今日、渋谷で1万ちょっとするリュックを買った。勿論気に入ったものだし、憧れのブランド、大満足。


社会人になって、少し落ち着いてきてから、
1000円、5000円、10000円札をそれぞれ、
お楽しみチケット梅・竹・松、みたいな認識で使ってる節がある。
松を使う時の合言葉は
「こんくらいしないと、毎日なんのために頑張ってるのかわかんなくなっちゃうもんな!」
だ(長い)。

適応障害を言い渡された時から、
そもそものバッテリーの劣化が激しくて(iPhoneだと設定で見れるやつだ)、今までと同じ使い方では同じようには復活しないかも、、、?と思い、
一生懸命「頑張らない」ことで低電力モードで生きるよう心がけた。


それまで考えもしなかった、
自分の「これ以上頑張ったらダメになりそ〜」みたいなサイン。
見つける。覚える。逃さない。
ピンチ三原則。
これ大事にするようにしてから、ちょっと生きるの上手くなった気がする。
おかげでちょっと、自分のこと好きになれた。

就活でもやったし、ハニホーも好きだし、自己分析はいっぱいしてきたけど、比べ物にならないくらい自分のことわかった。

自分の弱さと向き合うって、その瞬間は苦しくて逃げ出したくて堪らないけど、
絶対良いこと待ってるなあ〜。


おわり。

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