見出し画像

「またね」が別れの言葉だなんて

「アコーディオンの音色は人を幸せにする」安西はぢめです。今日のお話しは私の大切な人の死について回想しますので、話題が苦手な方はご遠慮くださいませ。彼女が実在した人物で、私の人生に参加してくれた事を書き残しておきたいと思ってこの文章を綴ります。

まりちゃんのこと

私にはとても大切で大好きなお友達がおりました。大学の同級生で、彼女は英米語学科、私は中国語学科でしたが、共通の友達も多く何度か顔を合わせるうちに仲良くなりました。私が毎日中国語の勉強と音楽系のサークル活動など好きな事にだけ没頭してガキっぽいのと対照的に、物静かで大人っぽい立ち振る舞い、そして冷静な考え方とそこから繰り出される指摘にはいつも感心させられていました。卒業後も交流は続き、文通(時代ですね)をしたり、たまには電話を掛け合うこともありました。お互いの近況や悩み事、仕事の愚痴などを安心して吐き出し合える、かけがえのない存在でした。その関係は私が海外駐在になっても途切れる事なく続き、大きな心の支えになっておりました。

忘れられない嬉しい一言

会社員の才能がないことをつくづく悟り、また、自分の本心である音楽で身を立てて行きたい夢に従い25歳で辞職、その後は私生活でも波乱が相次いでしばらく連絡を取り損なっていた頃がありましたが、何とか音楽家への道をよちよち歩き始めていることを彼女に告げた時「素晴らしいわ! 自分の夢を叶えているのね!」と掛けてくれた言葉は感動的でした。その当時、これ以上の言葉を掛けてもらえたことは誰からも、ただの一度もありませんでした。応援していると言いながら「そんなこと言って食べて行けるの?」「趣味にしておけば?」などと否定される事が殆どだった時に、自分が夢を生きることを無条件で肯定してくれた彼女には、今も心から感謝しています。

ある夏の日、久しぶりに二人で食事に行き、楽しくあれこれと積もる話しをしました。その頃彼女はあまり体調が良くなくて、会社を長期間休むこともあるとは聞いていました。確かに以前とは違う様子が現れていました。「あたしね、副作用で着たい服が着られないサイズになっちゃったのよ」と笑う彼女に、その時私がどんな言葉を掛けたのか今となっては思い出せません。本当に人間というのは人から掛けてもらった情けや、された事、受け取った物事はよく覚えているのに、自分がしたことは簡単に忘れてしまうのですね。

【彼女の見立てで仕立てた竺仙の浴衣。だいぶヨレて来ましたが大切にしています。着物は記憶を着る文化なのだなと、つくづく思います】

画像2

「またね」が永遠の別れの言葉

楽しい時間はあっという間。彼女と別れ際「年内にでもまた会えたら良いね」と言葉を掛け合っていつものようにギューッとハグをして、みなとみらい駅に吸い込まれて見えなくなるまで見送りました。その後、秋のイベントシーズンやクリスマスシーズンを迎え、ちょっとバタバタして彼女とは連絡を取らぬままに新しい年を迎えようとしていました。

やがて年が明け、今年は彼女から年賀状がなかった事に気付きつつも、具合が悪くて書けなかったのかも知れないと思いながら数週間が過ぎました。そんなある日、共通の友達から連絡があり、暮れに彼女が急逝していたことを知りました。私は仲良しだったけれども学科が違ったので連絡網から漏れていたようです。お葬式ももう済んでいました。一進一退の病状とはいえあまりに突然の出来事で、まさか、あの日が生きた彼女と会うのが最後で、「またね」が別れの言葉になろうとは夢にも思いませんでした。葬式というのは良くできたもので、本当に「生きている人間のためのセレモニー」だと思います。だから、「お別れ」をしていない私の中で彼女はまだ生きていて、おっちょこちょいな私が何かやらかす度に「らしいわね」と笑われている気さえします。

今の私は、良く友達と自撮り写真を一緒に撮ります。好きな人には大好きだと直接伝えています。毎日だって言いたいくらいです。音楽家や芸人さんにも自分の気持ちを伝えたり、差し入れに添えて「お身体に気をつけてご活躍ください」と言葉を贈っていますが、それもこれも、彼女が教えてくれた「人とは急に会えなくなる事がある」という大切な教訓のお陰です。私は感謝を込めて、その方の存在を言祝ぎたいのです。

私は「死は生の延長」と捉えている節があり、あまり怖くありません。それにあの世で、また彼女に会えた時にどんな話しができるのか楽しみにさえしています。人は死ぬまで生きている。今日も今を精一杯を生きます。

画像1

ハッピーアコーディオン安西はぢめ

フォロー&スキ・サポート大変励みになります。どうぞよろしくお願いします!

いつも温かいサポートをどうもありがとうございます。お陰様で音楽活動を続けられます!