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脱社会的交換日記

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小市民たちの日記。交換日記と名乗ってはいるけれど、その実、ペン売り場の長いロール紙のような無法さである。
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2023年8月の記事一覧

母と友達

 親子の物語、とりわけ「母」の物語に、私は弱い。今回、改めてそう感じた。弱いというか、感傷的になってしまう。とても考えこんでしまう。同じことか。  私の母は約10年間、スナックの「ママ」をしていた。小さいころの私の疑問を、そのまま再生する。「どうして私の母親は、誰だかも知らぬ男たちから、『ママ』などと呼ばれているのか?」  彼らが求めているのは「女」なのか、それとも「ママ」なのか。「女性」を欲しているのか、それとも「母性」を欲しているのか。よくわからなかった。それら2つの役割

観察と断面

何かを言葉にするとき、わたしたちは物事のある面を否応なく切り取る。わたしはきっと、文字にせよ語りにせよ、言語化に取り憑かれている。何かを言葉にする、それ自体が極めて面白いことだと信じて疑っていない。そう、言語化、大きく言ってこれは「萌え断(サンドイッチなどの食べ物のカラフルで美しい断面を楽しむこと)」である。 サッカーは、手の使用を極端に制限された球技である。 この断面はどうだろうか。広いピッチを駆け巡るスポーツであるサッカーが、急に窮屈に感じる。通常では感じられない、金

「言葉にできない」のうそほんと

 文化。私にとってのそれは読書である。最近、漫画『進撃の巨人』をようやく読み終えたのだが、その中でアルミンというキャラクターが「雨の日に部屋で本を読んでいるとき、生きていて良かったと感じる」みたいなことを言っていた。古いネットスラングで言うところの「禿同」というやつである。正確に言えばアルミン、雨の日じゃなくても部屋じゃなくても同じように感じなさいとは思うが、まあ良いだろう。激しく同意。  さて、私は「文芸批評」と呼ばれるジャンルを好んで読む。例えば小説世界の設定をひとつひと

労りの喜び

例えば、満員電車。知らない人同士が肌が触れ合うような距離で運ばれている。この時期のそれは暑くてなおのこと不快だ。少しでも不快な現実から目を逸らすと、飛び込んでくるのは広告で、 まったく、嫌な短歌である。 社会で認められるには、環境に適応して生産的でいることが求められる。他人よりも価値を持っていなければいけない。だからこそ、このような社会からの強烈なメッセージは「わたしたちに欠陥を補うための行動」を迫る。そうやって、わたしたちの自尊心を、社会はいともたやすく傷つける。 そ