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なぜ「コ・デザイン」である必要があるのか?ーデザイン文化との関係で考える

3年ほど前から、デザイン文化についてリサーチを重ねています。きっかけはバルト三国の一つリトアニアにあるカウナス工科大学デザインセンター長、ルータから「デザイン文化は人々が社会的展望をもつに貢献する」と聞いて、「そうか!」と思ったからです。旧ソ連からの独立30年近くを経ても、社会の人々が自分で考える習慣をなかなかもてない。ルータは実験的経験を踏まえ、そこを打破するにデザイン文化が有効であるとの確信をもち、昨年からリトアニア政府のデザイン政策を審議する委員会のメンバーとしても活躍しています。

デザイン文化に関するリサーチの経緯

それではデザイン文化が定着して、それが十全に稼働している社会があるか?と問うた場合、ひとつの例としてミラノが挙げられます。1960年代、家具や雑貨の海外市場開拓を狙ったミラノサローネが、見本市の枠に留まらないビジネスと社会を統合した「デザインを促進する」場に発展したことにより、そこからさまざまに新しい考え方や試みが生まれました。これを今年7月、武蔵野美大ソーシャルクリエイティブ研究所主催のウェビナーで話しました。以下、記事にしてあります。

ミラノとその周辺で建築家のもつ素養と職能が「プロジェクト文化」として花開き、これがその後に「デザイン文化」に言葉が置き換わったのですが、言葉の置き換えがプロジェクト文化の神髄を低下させた一面は否めず、再び「プロジェクト文化」の要素を強くもったデザイン文化の必要性が認識され始めています。

そうした問いかけを一緒にしているのが、ぼくのパートナーであるミラノ工科大学でデザインを教えるアレッサンドロ・ビアモンティです。実は彼は、冒頭で紹介したルータがミラノ工科大学でデザイン文化をテーマとした博士論文を書いたときの指導教官です。その彼がデザイン文化をあるアングルから書いた本”ESSERE DESIGNER "(デザイナーであること) が今秋、出版されました。ぼくも企画の時から関与している本ですが、これは従来の職能としてのデザイナー、経済社会の僕としてのデザイナー、これらを越えた存在としてのデザイナーに目を向けるよう強調しています。新しい定義のデザイナーとは何か?その新しいデザイナーにはどうやってなれるのか?と。

今、これをぼくはボチボチと翻訳しています。というのも、日本の方たちともデザイン文化の勉強会を今夏からスタートさせており、今はエツィオ・マンズィーニの"Design, When Everybody Designs"を皆で読んでいます。これを読み終わったらルータの博士論文を読む予定で、それにあわせアレッサンドロのイタリア語の本の要約も参加者に紹介しようと思っているからです。

一体、何が課題なのか?

デザイン文化について考えるうえで、ひとつ参考になる指標があります。以下は前述の記事で紹介しているマンズィーニが作成したチャートです。"Design, When Everybody Designs"に掲載されています。

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上図はデザインが活きる領域を示しているのですが、左が問題解決、右がセンスメイキングと分け、上を専門家領域とし、下を非専門家の領域としています。ぼくが、この3年半間ほど、ベルガンティが唱える意味のイノベーションのエバンジェリスト的な活動をしてきたのは、問題解決に世の中に目が行き過ぎ、意味形成がなおざりにされ、かつそれにどう立ち向かえばよいか多くの人が気づいていないとみたからです。左に重心が傾き過ぎていたから、右に重きを置いたというわけです。上下で言えば、上はビジネスセクターで、下が軽視されてきました。この下がマンズィーニのフィールドです。

実際には4つの象限が相互に交じり合って相互作用していくものですが、傾向としていえば、状況が安定的な時は上の部分だけでも社会は回ることが多いが、状況が流動的な時は下の部分が活性化しないといけない、ということです。即ち、マンズィーニは下の部分におけるデザインの役割や働き方を説いており、それを踏まえてアレッサンドロの本では、主に下の部分におけるデザイナーのあり方を説いているわけです。そして、この4象限のそれぞれが、バランスよく活性化できる土壌が「デザイン文化がある」と言えるかと思います。

ところで、現在、多くのことは下の部分を無視したまま上の領域が成立するというのが、難しくなっています。専門家がある特定の領域で活躍すれば、残りの人たちもハッピーになるというのが、あまり期待しにくいのです。というのも、あまりに多くのことが多様に絡み合い、エキスパートと称される人たちだけに任せておいてもたいした好転は見込めないことが増えてきました。環境問題など最たるものです。

つまり下の領域をいよいよ放置しておけないタイミングとなりましたが、専門家以外の人たちも当事者としてコミットしていけば、少なくても何らかの前進が見込まれることが(一部のひとたちの間で)認識されはじめたのです。これがマンズィーニの上掲の本と、ぼくが翻訳に関わった『日々の政治』で指摘していることです。

さらに課題をもう少し突っ込んでいえば、状況が体系的に把握しづらくなる一方、ある状況のある部分を区切ることで体系的な知識やノウハウをもつとされたエキスパートには手に負えなくなったがために、総力戦でいくしかないシーンが頻出するようになった、とも表現できるでしょう。それも笑顔で、です・・・。

「コ・デザイン」が必要とされる

状況を体系的に把握できないなら、それに対して同様に体系的ではない、しかし前進するに有効なアプローチが必要になります。そこでアレッサンドロも「人文学の一つと言えるかもしれない」と指摘するデザインが有力候補にあがってくるのです。これはきっちりと体系的ではないがゆえに、さまざまな解釈が施され、「言いたいことは何となくわかるような気がするけど・・・」との感想が出ます。だが、実際にやってみると「そうか!こういうことだったか!」と確信をもつやっかいな代物です 笑。

そこを何とか、ある程度の素養をもつ人たちが峠越えのための説得に回って欲しい、願わくば行動して欲しいとの願いで書いたのであろう本が、『コ・デザイン —デザインすることをみんなの手に』だと思います。書いたのは専修大学ネットワーク情報学部教授の上平崇仁さんです。ご本人はもともとデザイナーですが、デザイナーではない人たちにデザインを教える経験をたくさんしてきた人です。

本書を読んでいると、マンズィーニの言葉を十分に消化したうえで、ご自分の言葉になっていると想像されるところがいくつかありますが(上の4象限のチャートも引用されています)、彼が説くコ・デザイン(co-design)は、デザイナーではない人たちー利用者や利害関係者ーが共にオープンにある状況と向き合うアプローチです。この概念はスカンジナビアの思想から色濃く影響を受けて出てきているもので、上平さんは以下のように説明しています。

1970年代の労働争議に端を発した社会民主主義的な参加型デザインが一つの「祖先」です。

参加型デザインは、デザインプロセスや意思決定が特権化されていた時代において、対等な目線と自分たちの権利を求めるためのものでした。それは人々が平等に生きていく社会を実現するためのコンセプトでもあり、強い政治色(社会民主主義の精神)を帯びていたと言えます。

経営側と労働者という対立を協力関係に変換するに貢献したのがデザイナーだったのです。そのためのロジックとツールをデザイナーたちが用意したのです。

コ・デザインのもう一つのルーツがワークショップです。1990年代に一般に普及しはじめたコンピュータが、知識へのアクセスを容易にした時代を背景にしています。

他者とコミュニケーションをとりながら何かを行っていく中で社会的に意味をつくりだしていくことだ、という考え方、すなわち「社会構成主義」的な学習観が普及していきます。(中略)それぞれの個人の潜在能力(ケイパビリティ)や知識の差異や多様性は、「補うもの」ではなく、そのコミュニティの中で「活かせるもの」と見立てることができます

そして、この学習観の変換が創造性の考え方をアップデイトし、それまで個人の才能とされていた創造性が、「問題対象の中にある葛藤とそれらを解くため立ち向かおうとする姿勢が創造の源泉」と見られるようになりました。こうして「人々はデザインするプロジェクトを目的としながら、人々が学習できるプロジェクトである」とステージを変えていったのです。

上平さんは、コ・デザインに似た言葉としてみられやすい「コ・クリエーション」「インクルーシブデザイン」との違いを丁寧に説明しています。彼が概念の成り立ちの背景や周辺事情にとてもセンシティブなところに好感がもてます。学者としての姿勢もさることながら、この輪郭と深みをしっかりと説明することで、読者がここを起点として次が考えやすくなっています。

結論です。

マンズィーニの4象限の下の部分は、単独で行う世界ではなく複数で行う領域である以上(そして、オープンループの途中経過を共に喜び合うことを目標にする限り)、一緒を意味する接頭語「Co-」をベースとしたセオリーとアプローチである必要があるのです。

そして、何よりも大切なのは、目の前にある現実を動かせないものとみるのではなく、動かせるもの、必ず状況にはどこかに突っ込むに相応しいほころびがあり、そこに新たな選択肢を提示することができると考える習慣です。この習慣があることをデザイン文化が定着していると称するのです(だから、共産主義時代、個人で考える習慣がなかったリトアニアで、デザイン文化が現政府の関心対象になるわけです)

したがって、デザイン文化があるところで、コ・デザインの取り組みが発生しやすいと想定できます。これまでビジネス上の閉じた領域限定的なデザインー4象限の上の部分ーでデザイン文化が問題になりにくかった理由はここにあります。そして、今、ビジネスセクターの変質により上の部分でもデザイン文化が関心の対象になりつつある理由もここにあります。

このテーマは今後、さらに重要になっていくでしょう。以下の記事で書いたように、各国で15-minute cityと呼ばれる生活圏の再編成が検討または実施されています。都市であれ、都市郊外であれ、田舎であれ、徒歩かバイクで15分の生活圏がより求められれば、分散型コミュニティで生きる非エキスパートたちによるコ・デザイン(co-design)活動は必須になります。

例はこれだけではありません。ですから、これから<分散型 →小さな単位→当事者のデザイン参加>という関係式が大きな潮流になるはずです。

<12月28日、このコ・デザインの記事の続編を書きました>


写真©Ken Anzai




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