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「機能的な花とは何なのか?」ーエットーレ・ソットサスのメモを読み返す。

今年後半、過去のブログを何度か読み返す機会がありました。そのなかでも2018年4月28日に書いたブログは、今、ぼく自身が考えていることの指針になっています。

ミラノトリエンナーレ美術館で開催されていたエットーレ・ソットサスの回顧展に関するものです。1990年代、ソットサスの言わんとするところがイマイチよく理解できなかったのが、作品に接しているうちにだんだんとデザイナーの考え方に親しみを覚えるようになり、2017-2018年の回顧展で「これだ!」と思えたのです。

トリノに住み始めた当時はバロック様式が嫌いだった。しかし自分なりの解釈ができたら、トリノやイタリア文化の深みに入っていった。この経験と似たところがあります。数週間前にサンケイビズのコラムに自分の言葉を探すとの文脈で書いています。

ただ、2018年のブログから3年半を経て違う点があります。それは当時は思っていなかった、ポストモダンをラグジュアリー文脈でおさえるとの観点を今はもっています。ソットサスがオリヴェッティのデザインは合理的思考でデザインできたが、ポストモダンは合理的思考では手におえなかった。その点がまさしくラグジュアリー領域の言語と同じなのです。なおかつ、これこそが「意味のイノベーション」の領域のテーマなのだと気づいたのですね。

因みに、この展覧会ののち、何人かのイタリア人の建築家やデザイナーと話した際、このぼくのソットサスに対する解釈の変遷を話したら、彼らから「似たような感想をもっている」と聞きました。

以下、2018年のブログです。

18/4/28

デザインウィークで多くのデザインを見ながら、自分の好き嫌いを意識します。しかし好きにも色々あり、一目で惚れること、長い時間をかけて好きになること、両方あります。今回出会ったデザインで長い時間を経て好きになるものがあるかなあ、とぼんやりと考えていて、エットーレ・ソットサスのことが思い浮かびました。

ぼくがソットサスのことを知ったのは多分、1980年代末で、メンフィスの活動が終了した頃ではないかと思います。ただ、ジュージャロの世界に近づきたいとトリノに来たぼくに、ポストモダンのデザインの面白さが、当時のぼくにはよく分かりませんでした。いや、正直に告白するなら、トリノのカーデザインに接していた身にとって(確か80年代の前半か、イタルデザインを舞台にしたタバコのセブンスターのTVCMがあって、これもカッコよかった)、家具・雑貨のミラノのデザインはそうワクワクするものではなかったのです、そもそもが。90年代、ブレラの街角で80に達するかという年齢のソットサスの姿をみて、ただ者ならぬ存在感に驚きましたが、かといってそれ以上の興味はもてませんでした。

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その後、ビジネス上、ソットサスのデザインした作品に多く接するようになります。ポルトロノーヴァ、オリヴェッティ、ビトッシなどの製品に実際に手に触れていくうちに、だんだんとソットサスの秘める想いや思考に惹かれます。2007年、彼が亡くなった後に、いくつかの展覧会をみました。しかし、2017年9月から今年の3月までトリエンナーレ美術館で開催された「There is a planet」で、壁に書かれた彼の1994年の初公開のメモの文章を読み「こうだったんだ!」とソットサスの存在そのものがぼくの身体の内側に入ってくる錯覚を覚えました。

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それは「デザイン:機能的な花って?」というタイトルです。まず「デザインとは産業とデザイナーを繋ぐものではなく、産業と社会を繋ぐ試みなのだ」とデザインの社会的性格に触れますが、「デザインは美と付き合うのではなく、存在に関わるのだ。が、現時点できっとそれはきわめて稀な現象であり、存在そのものは審美的なイベントとして想像されるだろう」とちょっと難しい話になってきます。その次に簡潔に「産業は願いを作る必要があり、デザインは問題を解決するのではなく、願いをつくるのだ」と一気に今のぼくの関心領域に入ってきます(ベルガンティ『突破するデザイン』で触れる意味のイノベーションですね)。「2本以上の鉄のパイプを溶接するのはとても簡単だ。2つ以上の色を一緒にするのは非常に難しい。ピカソはよく言ったものだ、3つや4つの色を一緒にするには、相当の経験がないといけない」とグサッときます。

ここから「デザインするというのは、存在のあり得るメタファーを果てしなく探し求めることだ」ときて「イタリアにおいてデザインは職業ではない。生き方だ」と一息おいて、「オリヴェッティのためにデザインするのは大変だったに違いない、と人は言うが、メンフィスの方がすごく大変だよ、と答える」と佳境に入ります。はい、最終フレーズはこれです。

「機能主義・機能・機能的という言葉は、今世紀(20世紀)はじめの猛烈な情熱のなかで生まれたものだ。すべてのものは理屈だけで解決すると見られた」と近代の成立要件に疑問を呈するのですが、それを次の言葉でまとめます。「問題は、私のとても若い、はじけんばかりに愛する人に花束を贈りたいと思い花を選択するとき、私は合理性をどう使ったらいいか分からないのだ」

この一連の文章にぼくは膝をうちました。メンフィスのデザインがなぜ難しかったか、というのがこれで分かります。このメモを書いた時、ソットサスは80才ちょっと手前でした。彼は59才の時におよそ30才年下の30才周辺だった女性と一緒になります。若き愛する女性とは、この展覧会をキュレートしたバルバラ・ラディチであると思われますが、そうした勘ぐりはどうでもいいとして、2018年現在のデザイン論議のネタを彼は1994年時点で全て出していました。ソットサスだけでなく、さまざまなデザイナーも当時から語っていた内容とは思いますが、ロジカルな問題解決デザインが如何に「ちょろい」ものであるか、良く描けたメモです。

ぼくは、こうして自分の視点がソットサスのそれに合って(バッチリとは言いませんが)きたことを実感し、ソットサスの作品がより好きになったのですね。まったく遅まきながら(つまりは恥ずかしながら)、やっと存在として近くによったという感をもつのですね。そして花屋のお姉さんに花を選んでもらっていちゃあいかん、とも思うわけです。

写真©Ken Anzai

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