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ヨーロッパの伝統やデザイン-2008年10-11月に考えていたこと。

2008/10/6

先週、学会に出席するためにイタリアにおいでになった日本の大学の先生とお会いしました。国際関係論がご専門です。ブレラ美術館の近くで、やや遅い昼食を食べながらの雑談でしたが、とても印象に残る言葉がありました。

「イタリアは三度目ですが、こうして色々とみていて、つくづくヨーロッパは伝統を守ってきたところだということを感じましたね。今更ながらなのですが、そう思ったんですね。それに対して日本は伝統を捨て去ってきた。やはり、日本の文化のもつ特性を活かす伝統のなかに生きないと、駄目ですね」

「日本はヨーロッパを歪んだ目でみてきました。アメリカを通したヨーロッパなんですね。近代合理主義そのものも、大量生産、大量消費というアメリカの解釈であって、ヨーロッパのそれじゃないわけです。これはまずいです」

伝統を守ることでブランドを構築する条件を整え、そこにプラスアルファの価値を追加することを可能にしてきた。それがヨーロッパです。他方、日本は過去をどんどんと捨て去り、変わり身の早さを得意としてきました。したがってブランドを作るための要素がバラバラに散在しているため、それらを一つのコンセプトにまとめあげるのに苦労が多いわけです。あるコンセプトを練り上げるには時間が必要です。なにもないゼロからのコンセプトというのは実は現実的ではありません。時と共に蓄積していくエレメントが、その結合に必然性をもってくることによって、その結果、ブランドがブランドたりうる条件をそろえるということになります。

過去は捨てるものではありません。生かすものです。変わり身の早さもある時まではいいですが、適当な時期にその癖は取り去る必要があるかもしれません。ぼくは、ヨーロッパのトップファッションブランドを眺めていてよく思うのですが、彼らの身のこなし方、あるいは装いの変え方、これは決して早すぎず、また遅すぎないのです。この妙がブランド維持するための時間感覚なのではないかと思うのです。このスピード感を身につけることによって「古臭くない伝統」のあり方というのが自ずとみえてきます。

2008/10/9

今週はじめ、アイルランドのダブリンに出かけてきました。この数年、毎年ダブリンに出張しているのですが、去年あたりから街の風景が変わり始めたかなと感じていました。アイルランドのクルマは、ナンバープレートをみると、何年に購入したかが分かります。2005年であれば、頭が05ーという表示になります。2-3年前までは、去年あるいは今年購入したクルマが非常に目についたのですが、去年あたりから2-3年前以前のクルマが多くなってきたなと思ったのです。

今回、空港に着いて乗ったタクシーの運転手が、すぐ金融不安について話を始めたので、やはり米国に近いだけあると感じました。そしてホテルについてカフェで軽い食事をとると、壁にかかった大きなTVでNY株式市場がどれだけ下がったかというニュースを延々とやっています。街に出るとメイン通りにあった有名なインテリアショップが閉店になっていて驚きました。1990年代、アイルランドはIT分野を中心に高度成長を遂げ、数年前まではちょっとしたアパートでも億円の値段がついていたのですが、様変わりをしている印象を強くうけました。

ぼくがここで思ったのは、2001年の911です。あのときもそうですが、TV、それも大きなサイズのTVで流れる映像が街の風景の重要な一要素になっているということです。そしてブラックベリーのような携帯端末で逐次ニュースを追うことで、気分の共有化が一瞬にして行われることになります。これは心理的連鎖をおこしやすい、つまり今回のような「金融不安」においても、非常にマイナスに作用する環境が作られていると思います。

しかし、世の中のリアリティは全てここにあるのではありません。とても強い地盤で日々何も変わらないように見える生活が厳然としてあるのが、世の中です。アイルランドの人たちが皆、青ざめた顔をして街を歩いているわけではなく、パブにいけば相変わらず陽気な人たちがわいわいとギネスビールを飲んでいます。街の風景のどこに変化があったのか、なかったのか・・・・もっと色々な局面を観察しないといけないです。

2008/10/10

ダブリンネタをもう一つ書きます。

ミーティングには欧州各国の人たちが集まっていたのですが、アイルランドの人たちのスーツがクラシック、または地味でした。それをイタリア人がこう言います。

「まったく、年に一回の葬式と結婚式で着るようなスーツばかりで嫌になっちゃうよな。ストリートファッションのようなダラーンとしたジーンズにTシャツを着ていたと思ったら、今度は冠婚葬祭の洋服。彼らには、イタリアのように中間のお洒落っていうのがないんだ。ちょっと凝ったシャツにジャケットっていうふうにね」

しかし、ミラノのビジネスファッションというのも、相当に定番的で、先日もミラノの洋服店の主人がこんなことを言いました。

「ミラノのビジネスマンは、シャツは白か青。スーツはグレーか紺。本当に冒険しないんですよ。洋服タンスをみて御覧なさい。だいたい白いシャツが20枚、青いシャツが20枚、こんな感じです。色の柄物は休日用として売れるけど、ビジネスシーン用には少ないんだ」

それではどこが違うかということになりますが、まず同じグレーでも紺でも、素材の違いでミラノのスーツのほうがソフトに見えます。シャツも化繊ではなく綿100%ですから、どこかゆとりを感じることができます。また、色そのものに思わず見入ってしまうような魅力がある、それがミラノの洋服ではないかと思います。たぶん、こういう洋服に見慣れていると、ダブリンのビジネススーツ姿は、どこか立体感に欠けるように見えてしまうのではないか・・・そんなことを考えていました。

2008/10/14

昨日、ミラノのファッション業界で長く仕事をしている方と話していると、「この数年、ミラノのファッションリーダーたちが冒険しなくなってきましたよね。ファッションリーダーというのは、お金に余裕があって好きな服を好きな時に買うような人たちだけではなく、やはりファッション業界のなかで働いている人たちです。後者はおよそが従業員で固定給をもらっているわけですが、この人たちが色や形で遊びをしないんです。やはり物価高で遊びのための洋服にお金を使わないのです」と話します。

要するに、「余裕があったときは、5つ洋服を買えば定番を3つ、残りを遊びとできたわけです。でも経済的に厳しいと定番で終わりになってしまいますよね。いまじゃあ、パリやロンドンのほうが、そういう遊びのあるファッションに出会えますね」と言うのです。多分、こういうことは数年サイクルで起こることだし、今の金融問題でロンドンの金詰りがファッションに与える影響は近々少なくないと思うので、あまりフィックスして見立てることじゃないとも思います。それでも、なるほどね、と思います。

ぼくがなるほどと思うのは、ファッションの世界でミラノが若干面白みが低下しようが、前回のダブリンについてエピソードを書いたように、ミラノ一般の人たちのファッション度は平均的に高い、それが文化の実力ではないかと考えます。景気や流行によって業界の人たちの間では浮き沈みがあろうと、その社会の平均値はそう簡単に変わるものではないわけです。ロシアが経済的に繁栄し、お金をもつ人たちが多くなった。この2-3年前までは、モスクワから来る人たちは、とても派手な装いだった。でも、最近、この人たちの格好がシックになってきたようです。

バス用品は居間や寝室のデザイントレンドからすると2-3年遅いといいますが、そうしたインテリアのトレンドはファッションの流れの後をいっているというロジックからすると、ロシア、それもモスクワの人たちのインテリアがシックになってくるのは近いのだろうなということが予想されます。そして、それで平均値がどうなのか? そこを見ていかないと文化を見たことになりません。

2008/10/20

先週は6日間、メトロクス社長の下坪さんと一緒でした。ミラノやイタリア各地を旅したのですが、こういう旅を毎年するようになって10数年が経ちます。サプライヤーの工場やデザイナー事務所を訪れるだけでなく、アートの展覧会、デザインや建築に強い書店めぐり、アンティークショップ・・・さまざまな場所を訪問し、さまざまな人と会います。以前、フランスでピエール・ポランとの話を書いたように、イタリア国内だけでなく欧州のほかの国にも行きますが、今回はイタリアだけでした。

アートの展覧会も重要です。バウハウス最後の巨匠と言われるマックス・ビルのアートポスターの製作を企画したのは、ミラノの王宮におけるマックス・ビルの展覧会が契機でした。

今回はミラノのトリエンナーレからスタートしました。今年の初めにオープンしたデザイン博物館をみて、次にどんなデザイナーの作品を取り上げるといいのかを考え、フェラガモの歴史を総括した展覧会では、ブランドの構築の仕方を語り合うという具合です。ミラノ市内にモダンデザインのアンティークショップが増えてきましたが、下坪さんは「やっとイタリアの人たちも、自分たちのモダンデザインに経済的価値を認めはじめたということでしょう。ぼくはイタリアに初めてきた10数年前、イギリスやフランスに比べてその種の店が少ないのに驚いたものです」と語ります。

ミラノがデザインの中心と言われながら、これまでミラノのデザインを一覧できる場所がなかったのは、不思議でした。トリエンナーレのデザイン博物館が出来たことにより、アンティークショップも「博物館に保存された作品を売れる」わけですから、博物館というのはマーケットを形成するうえで貴重な存在であることがここからも分かります。今まで「MOMAにある作品」や「クリスティーズに出展された作品」というのがお墨付きの一つだったのが、もう一つ増えたことになります。今後、このマーケットの活性化がコンテンポラリーデザインにどう影響を与えていくのか、それをフォローしていかないといけません。

2008/10/22

メトロクスは歴史からの評価を大事にします。それは必ずしも、あるブランドに寄りかかるということではありません。長く支持される良質のデザインを追求するということです。50-70年代のデザインを多く扱っていますが、今のデザインが駄目だというのではなく、時の試練に耐えうるとみれば積極的に取り組んでいきます。しかし、それには古いデザインを多数見慣れることが同時に必要であることを語っています。

先週、60-70年代に多数の新しいデザインを世に出してきた経営者と会いました。「私はいくつかの成功を手にしましたが、沢山の失敗もしました。今だから言えるのですが、このデザインなんかもそうです。プロトタイプでは大変良かったし、それをサローネに出展したらすごい数の注文が殺到したんです。そこで欲が出て、金型投資に金をかけて素材を安いものにした・・・それが失敗だったんです。予想のというか、投資回収の前提とした数の10分の1も売れませんでした。結局、この製品は数年の命でした」 今みても良いデザインです。しかし、ちょっとした戦略ミスで、あまり世では知られない製品となってしまったのです。

その後、この作品をデザインした当のデザイナーと会いました。彼は30年前には「なんで、これがこれしか売れないのだ!」とメーカーを随分と煽ったようですが、今はその理由が良く分かっているようでした。古いデザインを見るというのは、こういうことも含むわけです。ビジネスストリーをひっくるめて当時の全てを考えなおしてみるのです。このデザイナーのスタジオがあるビルのエレベーターは、120年前から使われており、毎日こういうエレベーターに乗るとどういう思いをもつものか、それは新しいエレベーターと日頃接するケースと明らかに異なってくるのも当然といえます。

2008/10/24

メトロクスが取引するメーカーにもいろいろありますが、基本的に古いデザインと新しいデザインの両方をカバーしています。ジョエ・コロンボのBOBYを生産しているB-LINEは、スーパーレッジェーラやボネットの復刻版だけでなく、若手デザイナーの作品も扱っています。セラミックのフラビアも同様です。フォルナゼッティやソットサスを作る一方、カリム・ラシッドのデザインも発表しています。また、他方、古いデザインへの要望が強く、結果的に古いデザインがメインとなっているメーカーもあります。ソットサスのウルトラフラーゴラなどを作るポルトロノーヴァが一例です。

下坪さんとぼくは、こういうメーカーを巡りながら、世界各国のマーケットでの販売状況を知るだけでなく、次の新商品開発計画を聞いていきます。古いデザインの場合、デザイナーの「生誕〇〇年」「没後〇〇年」というケースを除き、どういう事情で、あるいはどういう時代の読みで、その作品をあえて取り上げるかを知るのは非常に重要なことです。「ミラノサローネ2008」でも書いた、文化トレンドの把握の一つの方法です。歴史の掘り起こしと、新しい感覚の発見、この二つを同時にやっていくのがいいと思います。

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上の写真はB-LINEの社長、ボールドィンです。確か40歳周辺です。自分でこの会社を興しました。後ろにマルチチェアやスーパーレッジェーラが見えます。彼のことやB-LINEについては、来月、より詳しくご紹介していこうと思いますが、BOBYを基軸に確実に商品の幅を広げていっています。ポルトロノーヴァの社長も30代の女性です。かつての栄光のブランドを買い取ったのです。新しい世代が過去の財産をどう発展させているのか、こういう経営者の世代分布をみていても分かります。

2008/10/27

先週、ヴェネツィアに滞在しました。以前はよく足を運んでいたのですが、4-5年ぶりに出かけました。9月中旬から開催されている建築のビエンナーレを見学するためです。駅で電車をおりてまず見たのは、カラトラバが設計した橋です。ローマ広場との間の運河の上にかけられたこの橋は、ヴェネツィアで約300年ぶりの新しい橋。泳ぐ魚のイメージそのままで大変セクシーです。橋の下側は魚の骨のようになっています。新しいヴェネツィアの姿です。

大運河に面した建物も修復を終えて綺麗になっていたり、あるいは修復中が多く、ここにも変化が見て取れます。ある有名なレストランが中国人経営の手に渡ったというのは、中国人の観光客の多さを見てうなずける話です。しかし、ヨーロッパで初めてコーヒーをサービスしたと言われるサン・マルコ広場のカフェ・フローリアンは、相変わらず世界各地からの人で一杯です。ため息橋周辺は工事中で、ランチアのクルマの大きな看板が覆っています。クルマのない街でのクルマの宣伝、なかなか意味深です。

ヴェネツィアで美味しいレストランを探すのは至難の業とでもいえるほどです。どこの地域にも観光客が入り込み、やはりどうしてもいわゆる観光レストラン的なものが多くなります。ですから、やはりここに住んでいる人、または頻繁にこの地を訪れて熟知している人、こういう人たちのアドバイスが普通の場所以上に貴重です。今回入った二軒のレストランは、その点でとても満足がいくところでした。

宿泊はブラーノ島です。とてもカラフルな家が連なる島です。こうした一軒の家に泊まりました。ヴェネツィア本島から船で1時間以上と遠いのですが、それだけの価値はあります。レストランも昼食用がメインで、夜になると殆ど閉まり、極めて静かな空間です。ここでヴェネツィアの魅力って何なのだろうかと考えました。水と共に生きるということだけではなく、ヴェネツィアの歴史が飲み込んできたものそれ自身が発酵したような味、ここにポイントがあるんだろうけれど、これを紐解いてみたいという誘惑にかられます。

2008/10/29

ビエンナーレは各国館があるジャルディーニ、元造船所の場所を使ったアルセナーレ、そして街の各箇所にある展示、この三つで構成されています。どれが一番面白かったか?と聞かれれば、アルセナーレです。街の中にある展示はほんの一部しか見ていないので、そこに抜群の作品があるかもしれませんが、なんとも言えないのです。少なくても、ジャルディーニよりアルセナーレのほうがずっと刺激的だったとは言えます。

今の世の中、新しい考えを提示するのに大変苦労しています。その苦労ぶりがジャルディーニであまりにはっきり出すぎているのですが、アルセナーレでは、「そんなの苦労じゃない、ここに楽しみがあるんじゃない」という展示が多いと思いました。それと、ここでは世界の人たちに通じるデザイン言語を使っているのが素敵です。作品のあいだを歩きながら、頭のいろいろな部分を刺激されました。しかし、これもアルセナーレの場所の力も大きいとも感じます。古い大空間の威力は偉大です。

それにしても、アーティストが活躍する時代は何かを模索している証拠ではないかとも思うのですが、今回のビエンナーレのテーマはOUT THERE: Architecture Beyond Buildingです。このように「超える」ことがテーマになった時、アーティストの表現手法や力量がより求められることになるでしょう。建築家がアーティストとコラボレーションする機会も増えるのではないかなと想像します。

深いことがことさら要求されているのです。普通にしているとあまりに簡単に浮上してしまい、表面を撫ぜることばかりが多くなってしまう。そういう世の中であるからこそ、下に引っ張る力やメカニズムのありようが問題になってくるのでしょう。

2008/11/8

今週、ミラノの弁護士数人とミーティングがありました。日本の会社と仕事をしたことがある弁護士がやや苛立ち気味に語ります。

「どうして、日本の人たちは欧州をまともに見れないんだ! 米国系の大規模ファームに一括して頼み、そこから欧州にコンタクトしてくる。だから、ミラノの我々はロンドン経由で日本の会社と付き合わざるをえなかったりする。でも、それじゃあ本社が何を考えているかサッパリ分からない。そりゃあ、そのほうが経費削減に寄与するかもしれない。でも、問題の対象は欧州にあるんだ。そして、決定権は日本にある」

「まず日本の人たちは、米国と日本は別なんだ。違うんだ。それを認識しないといけない」と強調します。

ぼくは、まさしく本に書いたことを言っているイタリア人弁護士の言葉に大きく頷きました。日本でよく言われる「欧米」という表現は非常に誤解を招きやすく、何の根拠をもって米国と欧州を一緒にしているのでしょうか。英米という意味のアングロアメリカを指しているのであれば、大陸ヨーロッパはまるっきり無視していることになります。そのような全く曖昧でいい加減な概念が一人歩きをしているところに、今の日本の危うさがあります。

以前、イケアの本を紹介しましたが、そのなかで、イケアは米国市場に参入した当初、米国のライフスタイルにあわせた大きなフワフワのソファを投入せずビジネスが思うように伸びず、また欧州で一般的な収納棚をそのままもっていったが部屋の大きな米国の家には不要だった、というエピソードが書いてありました。最近、ある欧州人が新聞記事の話していました。フランスの若いカップルは米系ファーストフードのお店に行きたがらず、仮にそういう店に入るときは、二階席の奥に座る傾向にあるというデータです。道行く人たちから顔を見られない場所を選ぶというわけです。

こういうエピソードには例外が沢山ありますが、ある傾向をやはり十分に語っているとみるべきでしょう。






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