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デザインや言葉について考えるー2009年2月のブログ

2009/2/13

小説家の水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)は、ネットの世界でも大いに話題になりました。シリコンバレーにいる梅田望夫氏の2008年11月7日のブログが口火を切ったようで、小飼弾氏も梅田氏のブログの紹介で、この本を読んだと11月9日に書いています。ぼくも遅まきながら、今週、読了しました。本書はデザインにおける文化距離感を考えるにも参考になるので、複数回にわたって、これを取り上げます。

実際、すでに<叡智を求める人>は、今の日本文学について真剣に語ろうと思わなくなってきている。今の日本文学について真剣に考察しようと思わなくなってきている。だからこそ、今の日本では、ある種の日本文学が「西洋で評価を受けている」などということの無意味を指摘する人さえいない。

ここで書いている「西洋で評価を受けている」本が何を指すか、具体的な名前を挙げずとも、分かるでしょう。そして、これは文学に限らず、アートやスポーツの世界にもあることだと思い浮かべられると思います。

言葉について真剣に考察しなくなるうちに、日本語が西洋語に翻訳されることの困難さえ忘れられてしまったのである。近代に入り、日本語は西洋語からの翻訳が可能な言葉に変化していく必然性があった。日本語で読んでも西洋語の善し悪しがある程度分かるのはそのせいである。

日本は雑種文化とも定義づけられてきましたが、この雑種であるがために、日本文化は輸入文化をローカライズする術に長けてきたといえます。したがって、ヨーロッパのデザインについても、「ある程度」分かるわけです。しかし、それが西洋においては違うというのが以下の部分です。

ところが、西洋語は、そのような変化を遂げる必然性がなかった。西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の真の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。わかるのは主にあらすじの妙であり、あらすじの妙は、文学を文学たらしめる要素の一つでしかない。
それは漱石の文章がうまく西洋語に訳されない事実一つでもって、あまさず示されている。実際、西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない。日本語を読める外国人のあいだでの漱石の評価は高い。よく日本語を読める人のあいだではほど高い。だが、日本語を読めない外国人のあいだで漱石は全く評価されていない。
以前『ニューヨーカー』の書評で、ジョン・アップダイクが、英語で読んでいる限り、漱石がなぜ日本で偉大な作家だとされているのかさっぱりわからないと書いているのを読んだときの怒りと悲しみ。そして諦念。常に思い出すことの一つである。

拙著『ヨーロッパの目 日本の目』で、東洋文化に関心の高い欧州人は、その文化体系に評価のポイントをおいているので、日本の雑貨や家具デザインを前にして、「とりあえず褒めておこう」という傾向が強い旨を指摘しました。この漱石に対する評価が真っ二つに分かれる現象は、欧州人の日本デザイン評価と非常に近いものがあります。日本人の欧州デザイン評価、欧州人の日本デザイン評価、この二つを比較したとき、前者のほうが「ある程度分かる」率が高いのです。ただ、話はあくまでも「ある程度」です。

2009/2/14

昨日に引き続き、水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)からの引用を続けましょう。明治期に生まれた新しい文体に関する記述です。

もちろん、言語一致体がめざしたリアリズムに刺激され、和歌も俳句もルネッサンスというべき黄金期を迎える。新体詩も現れる。カタカナという表音文字も西洋語の音を表す文字として生まれ変わり、日本語の表記もさらに複雑にする。同時に、西洋語からの翻訳文という新しい文体も加わる。
「親愛なるあしながおじさん」などという日本語ではありえない文章も、西洋語の翻訳文として何の違和感もなく日本語の一部となって流通するようになる。日本人は、あたかも車のギアをシフトするごとく、西洋語の翻訳文を読むときは、読みのモードをシフトして読むようになったのである。これほど多様な文字と文学の伝統をまぜこぜにし、しかもそれぞれの歴史の跡をくっきりと残した文学ーそのような文学は私が知っている西洋文学には見当たらない。

「日本人は、あたかも車のギアをシフトするごとく、西洋語の翻訳文を読むときは、読みのモードをシフトして読むようになったのである」とあります。日本人はなんと器用なのでしょう。まさしく、この翻訳能力が、日本の近代の力であり、その能力こそが日本の強みであり続けてきたのです。だからこそ、西洋文化と日本文化の二本立ての教養は、日本が欧州に何かを売り込むとき、何かをコラボレーションするとき、優位性をもつ鍵になりうるのです。つまり、デザインについて言えば、欧州のデザイン文脈の読み込みをして戦略を立てるに際し、最初の土台がそれなりにあるので、より迅速かつ柔軟にできるというアドバンテージがあるのです。

日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼ばれるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、当時の日本の<現実>が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える<真実>がちりばめられた文章が、きら星のごとく溢れている。それらの文章は、時を隔てても、私たち日本語を読めるものの心を打つ。しかも、そういうところに限って、まさに翻訳不可能なのである。

ディテールから積み上げていく日本文化、大きな枠組みでコンセプトを構築してからブレイクダウンしていく西洋文化、この文化の違いが、小説において語っていることが、そのまま他の分野にも適応できます。そして、その「心を打つ」部分が翻訳不可能であるというのも、日本文化を知らない人達にジャパンデザインをアピールするとき、考慮にいれないといけないことです。

2009/2/14

Design it! w/LOVE というブログを書いている棚橋さんという方が、「知る力より観る力」というエントリーで、柳宋悦の『手仕事の日本』を引用しながら、次のようなことを書いていらっしゃいます。

すこし前に「自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」というエントリーも書きましたが、物の好みを知ることが自分自身を知ることであるように、物を見ることそのものが日本の文化の有り様を理解することになるのでしょう。
けれど、実際はこれほど多くの物が生活のなかにあふれているにも関わらず、ほとんどの人が自分の生活を取り囲む物にちゃんと目を向けていないのではないかと感じます。
物をじかに見る目を持たず、他人の評価やマーケティング情報を介してしか物を知ることができなくなっている。自分の眼で見て、自分で使って評価するということができなくなっている。知識ばかりに頼って、自分自身の生活そのものを織り成す物にきちんと目を向け、そこから何かを感じとろうとしていません。

真摯な良い指摘だと思います。ブランドというのは、「知識」「愛情」「信頼」などの複合要素によって成立するものですが、それを構造体として裸にしすぎたブランドビジネスは弱体化の道を歩みます。直接「観て、触って、使う」というプロセスを待たないで、即ち時間をかけて熟成しきっていない段階で急いでブランドを形成しようとすると、いわば化けの皮が剥がれるわけです。

ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」において、「ヨーロッパにおけるカトリックとは何か」というエントリーで、西洋紋章デザイナーの山下一根さんの文章を紹介したことがあります。ヨーロッパでカトリックが、(大きな凋落傾向が見えようが)長い年月を経て生き残っているのは、カトリックは知恵の結晶であるからだと彼は語っています。それに対して、日本のカトリックは知識として受け止められている傾向があるといいます。彼が欧州で学んだカトリックによれば、以下のような表現が出てきます。

人が壁にぶつかったときに、どのように耐えるか、、例えばローマの父親代わりの多くの枢機卿は、僕の日本への出発前に口を大にしてこのように「あえて」いいました。『ぶち当たったら希望を持つな、現実をみてカトリシズムに基づいて歩め!』。これは、一見聖書の言葉とあい矛盾するように見えます。しかし、人間は現実と向き合って、どんな困難にあってもそれを一度受け入れ『なにくそ~』という力を育てたいということからなのです。

優れて現実主義であることが、最高の解決策であり知恵であるわけです。ミラノサローネにおいて文化リアリティをつかむとはどういうことかを考えるのあたり、一つのヒントになります。

2009/2/16

先週の月曜日にアーサー・D・リトルの川口盛之助さんが日経BPオンラインに書いた、光岡自動車を「クルマを愛せないのは誰のせい?」を時間感覚への問いかけかもしれないと記しました。今日、その続き「市場に任せる「ケーレツ2.0」を作れ  愛情喪失とは無縁の光岡自動車(2)」がアップされたので、この記事のポイントを紹介しておきます。

ポイントは「市場と協力して完成させる自動車」です。完全無欠な完成度の高い車両を少しの車種だけ出すのではなく、寸止めした冗長なクルマを市場というまな板の上に素材として差し出すという謙虚な姿勢です。

この例として、オタクの「痛車」を挙げています。外装にキャラクターを描いたクルマが、今、カスタムカーとして市場を作りつつあることを以前、紹介しています。

どこまでいじらせるのかというのはもちろん重要な話です。安全性抜きに自動車の話はできませんから、ここを供給側が担保する仕組みは不可欠です。エ ンジンだけもらってきて自己責任で型式認定まで行う光岡のような臓器移植の執刀医レベルから、痛車のように表皮だけいじるネイルショップのような美容サロ ンまでの間に、様々な階層の「いじる専門医たち」がひしめき合っている状態が理想的です。
今はそこがバサッと抜けています。がゆえに、この手のカスタム化の論陣を展開すると、「そんな小規模経営の理論を大メーカーに持ち込むのはナンセ ンス」という読者のお叱りを必ず頂きます。しかし高付加価値化でしか豊かさを維持できない我が国のモノづくりの未来に、他に選択肢はあまり潤沢には残され ていません。大きな発想転換が求められているのです。

ぼくの別のブログ「ヨーロッパ文化部ノート」でも、高価格・高品質に「逃げ込む」形は決してMADE IN JAPANが長期戦に勝つ方向ではないと書きました。

いろいろ食い散らかすように話をしてきましたが、要は既存の大自動車メーカーを頂上に頂くヒエラルキー構造に自己否定の視線を持つ度量が求められて います。痛みを伴う構造改革。自己否定なきところに前進はありません。大局に立って新時代の「ケーレツ2.0」の構造を先に打ち立てた者が、変極点を超え た次の時代の勝者となるのです。日本のトラフィックの風景を変えるくらいの処方が必要な転機かもしれません。
自動車メーカーは儲からなくなるよという声が聞こえてきそうですが、ヒントは中身のブランド化とエレベーターのようなメンテビジネスです。中身の部品であっても、「インテル入ってる」から、カール・ツァイスレンズ、ゴアテックスやドルビーのように差別化は可能です。要は「プリウス入ってる」になればいいのでしょう。

日本にはイタリアのカロッツェリアや英国のバックヤードコーチビルダーのような文化がないので、クルマは大企業領域という固定観念がメーカーとユーザーの両方に強く、中間領域の存在を認めたがらない傾向にあると思います。川口さんは、まさしくその文化の欠如が、大メーカーの首を絞めていく大きな原因となっているので、その文化を創る方向を指し示しているのだとぼくは考えました。また、それぞれの分野の敷居を低くしておくというのは、ヨーロッパ文化一般のありようでもあります。

2009/2/25

トマス・マルドナードは耳にしたことのある名前だけど、誰だっけ?と思いながら、ミラノのトリエンナーレに入りました。マルドナードの展覧会入り口で履歴をみて「あっ!」と気づきました。90年代半ば、ミラノ工科大学に工業デザインのコースを作った人でもありますが、ぼくの記憶にあったのはウルム造形大学のマルドナードでした。1953年、ウルム造形大学はマックス・ビルを初代学長として招きスタートしましたが、1956年以降、マルドナルドが主導権が握っていた話を、プリアチェアをデザインしたジャンカルロ・ピレッティから聞いていたことを思い出しました。以下がピレッティの言葉です。

「わたしはね、マックス・ビルが はじめたウルム造形大学に行きたかったんだよ。準備もしていたんだ。でも閉まってしまったからね、いやあ残念だった。けれど後になって、ディレクターだっ たトマス・マルドナードがボローニャに教えに来ていたとき、わたしは彼の生徒だったんだ。いい仕事をした人だと思うけど、わたしを夢中にはさせてくれな かったなぁ。」

ピレッティというのはとても熱い人ですが、彼が惹かれなかったというのが、どうにも心のなかで引っかかっていました。マックス・ビルをウルム造形大学から追い出したようなイメージがついて回っていました。彼は1922年にブエノスアイレスに生まれ、最初はアーティストとして活動をはじめます。マックス・ビルとは1940年代後半にヨーロッパで出会い、その後、マックス・ビルもアルゼンチンに出向き、ウルム造形大学にはマックス・ビルがマルドナードを招聘したのでした。

この展覧会を見ていて、「なるほど、ピレッティとはケミストリーが合わないだろうな」と思いました。マルドナードのアート作品やデザイン、特にデパートのリナシェンテのデザインマニュアル製作やオリヴェッティの電動タイプライターのインターフェースやアイコン開発の数々を見ていて、彫刻的な作品に没入してきたピレッティとは正反対かもしれないと感じました。

この展覧会の真ん中に位置していたのは、まさしくウルム造形大学にいた頃のマルドナードです。1950年代半ば、哲学者のマルティン・ハイデッガーがウルム造形大学を訪問した際、マルドナードと言葉を交わしている写真が展示されていましたが、これはマルドナードが知識人としての階段を上がるに絶好の場面だったのだろうな・・・と、そんなことを考えました。また、1950年代、マックス・ビルは新しい時代の変化についていけなかったのだろうか・・・とも思いました。

2009/2/27

昨年6月「ぼく自身の歴史を話します」というタイトルで20数回にわたって、イタリアに来る前あたりからのヒストリーを書きました。カーデザインの巨匠であるジュージャロと一緒にイタルデザインを作った宮川秀之さんのもとで修行するのが、ぼくが日本を出る契機でした。

今日、その宮川さんと久しぶりに電話で話しました。その時に友人であった映画監督の故黒澤明氏のことが話題になりました。数年前に出された本、『黒澤明 VS。ハリウッド』のことです。1960年代後半の真珠湾攻撃を扱った映画『トラ・トラ・トラ』で黒澤明が監督をつとめていたところ、途中で解任された謎を探るという内容のようです。宮川さんが言うには、この本は米国と日本の文化論を語るに非常に貴重な内容を含んでいるのにも関わらず、黒澤明の個人的なレベルのエピソードとして読まれていることが多いのは非常に残念だということでした。

「日本の文化も、日本を離れて外国で実際に生活してみないと見えてこないよね」ということも語っていましたが、どれが文化論として摘出できるかどうかは、外国文化のなかで自国文化を相対化した経験をもたないと、その摘出すべき部分が目に飛び込んでこないのかなとは、ぼくも思います。ぼくもネットでの書評を読む限り、水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)を言葉論としてしか読んでいない人が多く、これを文化論として読めば良いのにという感想を言いました。

日常の細かいエピソードを如何に一般性のある話に持ち上げるか?というのが、極めて重要なことだと思います。米国の大統領といえど、40数年の人生をその細かい日常生活のなかで生きてきており、その経験に基づいて世界の動向を揺るがすような重大は判断を日々行っているわけです。最初から帝王学を学んだわけではないのです。元NTTドコモの夏野氏がダボス会議でのリーダー達の発言にショックをうけたことをコラムに書いていたが、これは、「一般性への昇華の仕方」に彼我の差があるのではないか、自分ひとりで全体をみて判断するという習慣のあるなしに関わっているのではないか、そういうことをぼくは考えています。

2009/3/5

今年はバウハウス誕生90周年ということで、東京も含め世界各地で色々とイベントが予定されていることを、独シュピーゲル誌で知ったので、これについて書こうかなと思っていたのですが、いや、ここにある関連記事について書くべきでは?と思い直しました。それはシュピーゲルオンライン・インターナショナルの2月27日に掲載されているインタビュー記事です。

http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/0,1518,610306,00.html

Philipp Oswaltという44歳の建築家がバウハウス財団のディレクターに3月1日付けで就任するにあたり受けたインタビューですが、この記事のタイトルは「ユートピアでは十分ではない」というものです。インタビューとは読者の平均的イメージを想定したところから、相手に迫っていくことが定石でもあり、記者はグロピウスと新ディクレターをダブらせようとします。対してOswaltは、「教師と学生が違った意見をぶつけ合うのはバウハウスの伝統であり、順応はバウハウスの伝統ではないが、しかしながら私を輝かしい歴史の中にはめ込むほどおこがましいことをするつもりはない」とけん制します。

1925年から32年のバウハウスは、シリコンバレーの初期のようであったと形容でき、そこはハイテク地域の中心地にあたり、化学産業のメインプレイヤー、航空機メーカーなどがあるだけでなく改革スピリット溢れ、労働力が集まっていた。しかし、現在はまったく逆の状況であると語ります。産業とは縁遠く、失業率が高い。そして移民も多いのです。だから記者が「カンディンスキーも、ここには来ない?」という質問をすると、「たぶん、来ないでしょう」と考えます。

カンディンスキーは、まさしくその時代のコアそのものを目指して外国から来たわけですが、今、バウハウスがすべきなのは、世界各地からさらに若い研究者たちが集まってくる教育センターにすべくがんばらないといけないというのです。つまり、新しい世界をつくろうというナイーブなユートピア思想では不十分であることを、今のバウハウスが認識していることのようです。「何か新しい」だけでは結局は不要なものになるだけで、何が都市の現状にとってキーエレメントとなっていくかを良く精査していく必要があると、極めてクールな発言を繰り返します。

これは非常に示唆的な内容ではないかと思います。旧東欧圏にあった熱気ある新しいムーブメントが、今は実質的結果を求めだしている、それに如何にバウハウスが答えていくかということです。そして、ここでは触れていませんが、現在の東欧圏の更なる経済苦境をみると、ドイツとしては「回顧趣味に浸っている時ではない」わけで、90周年記念イベントに対する考え方も、その意図をよく読みこまないといけないなと思いました。

2009/3/11

茂木健一郎氏の「伝えたい日本」というトークの記録を読んでいて、意図することを心情的には分かるけど、これには解説を加えないといけないのではないかと思いました。少々引用しながら、ぼくのコメントを書いていきます。注意いただきたいのは、これは茂木氏への批判ではありません。効率よく日本文化を発信するための共同作業です。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/127

要するに、ある何かについての情報をいくら集めても、誰かが生きているという生き生きとした感じというのは絶対に再現できないんですよ。
私は従来の日本論というのはそのようになっていたという感じがするんです。雑誌などで行われてきた従来の日本の特集というのは、何か残骸となった ような日本です。日本を語ることは、海外向けのお土産みたいに、富士山や芸者をカタログ化することではないって言いたくなります。

リアリティが重要であることを語っています。いくら勉強しても、ちっともヨーロッパ文化が抽象的にしか見えない。そういう経験を積んだ人なら、よく分かる話です。ただ、ここで一つ指摘しておきたいのは、この残骸は「ステレオタイプ」という言葉に置き換えられると思いますが、ある理解の出発点として、そのステレオタイプから行くしかなく、それはそれでステレオタイプである何らかの理由があったのであると考えるのが妥当だと思います。しかし、その理由を深く考える必要はありません。時間の無駄です。そのステレオタイプを自分なりに修正していくことがより大事です。

たとえば、食文化のひとつである「おまかせ」。これはすばらしい文化です。飲み屋さんに入って、お客さんが「まかせるよ」と主人にひとこと言えば、 主人はその客の年齢や好みなどを考慮しつつ、料理を出していくわけです。こうしたサービスは、日本独特のものであると思います。
これが欧米であれば、イニシアティブは客にある。ホテルもレストランも、客が何かを要求しないと何もサービスは受けられません。ところが日本の場 合には、客が望んでいるであろうことを想像し、先回りしてサービスを提供する文化をもっているのです。これは、日本流「おもてなし」の美学であると言ってもよいでしょう。
また店の側に立ってみても、「おまかせ」文化は非常に合理的なものです。メニュー方式であれば、メニューに掲載されている料理はすべて出せるように準備し ておかなくてはなりません。そうすれば、食材を無駄にすることになるかもしれない。しかしこれが「おまかせ」料理であれば、無駄がなくなります。

最近、盛んに「おもてなし」という表現で流通しています。日本料理屋の「おまかせ」に関する上記の説明は、日本のホスピタリティを表現したいのでしょうが、通じにくい内容です。まず、前提を述べれば、これは日本独自ではなく、イタリアにもある方法です。これは店側にとって合理的ですが、お客さんの年齢や好みをより尊重するならば、このような合理性は成立しません。「おまかせ」は言ってみれば店側の押し付けになるのです。客サイドに立つならば、多くの選択肢が食材として用意されていたほうが良いはずです。こういうような、なんとなく日本風の美として紹介されがちなエピソードやテーマはよく吟味するべきです。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/265

もちろんこの「和」の精神がオールマイティーになるわけではありません。どんな文化にもいい面と悪い側面があるものです。日本人の「和」の文化にしても、 逆に言えば突出した「個」が出にくいというネガティブな側面もありますし、意見集約に時間がかかるという欠点もある。しかし、自分たちの文化を眺める場合 には、そのいい面と悪い面を冷静に把握する必要がありますから、それを踏まえた上で、世界に自国の文化を発信していくことが大事です。日本文化の欠点を冷 静に把握しつつ、いい面を積極的にアピールしていくこと。それがこれからの社会には必要だと考えます。

文化の良い側面と悪い側面、これはあくまでも他の文化との相対的関係あるいは相性によって浮き彫りにされてくるものでしょう。ですから、上記は順序が逆です。冷静に自文化を眺めても、その悪い良いは閉じた世界の話です。発信する相手の文化を知って、自分の文化の良い側面あるいは売りの項目が自ずと見えてくるのです。これは、日本が雑種文化であり、多くの外来文化を受容してきたという点がアドバンテージになります。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/268

この小さな国のなかには沖縄のような南国があり、北海道のような、広大な大自然に恵まれたところがある。これほどバラエティーに富んだ環境をもつ国は他に はなかなかないでしょう。そして京都や奈良には古の景観が残されている。そういう日本の素晴らしさを再認識することが大事です。日本国内に目を向けて、 「日本とはこんなにも素晴らしい国なんだ」と国民一人一人が本気で感じること。そしてそれを世界の人たちに向けて発信することができれば、「日本ブラン ド」が世界のなかで確立できるでしょう。

日本の良さや強さを認識するのは大事です。それがブランドの力になるでしょう。自信をもつことも大切です。ただ、発信は、相手があっての発信です。空に向って叫ぶわけじゃないのです。「思い」も重要ですが、「思い」だけでブランドを作れません。双方向のコミュニケーションあってのブランドです。どういう表現言語を使用するか。これをよく検討しないといけません。

2009/3/14

ぼくは今年に入ってから、毎朝、自分に課していることがあります。それはヨーロッパ各国の新聞・雑誌オンラインを読むことです。対象国は10カ国で14-5のオンラインをチェックします。全て丁寧に読むわけにもいかないので、トップページの見出しをみて、興味のもてる記事をざっと読んでいきます。30分から1時間です。一人の視点でヨーロッパのことを理解するための訓練と考えています。

当然のことながら、全てその国の言葉でのオンラインを読めません。国によって英語のダイジェスト版を読まざるを得ないのはいたし方ないです。その場合、かなりのバイアスがかかっているのが明らかに分かることもあります。しかし、例えば英国の新聞でリトアニアの記事を読むだけでなく、リトアニアの英語の新聞を読むことで、若干の多元性は獲得できるのではないか。そう考えるのです。

ぼくは英語圏に住んでいないので、世の中全て英語で情報がとれるという考え方を幸いながらもつことはありません。イタリアの新聞が書いているイタリアの事件が、英国紙で報道される内容とギャップがあるのを感覚として知っていれば、英語で分かることは限定されたことである、という注意を払います。英語の雑誌が書いている日本記事に違和感をもつのと同様です。これが英語国民ではない人間の強みだと思います。

拙著『ヨーロッパの目 日本の目』で言いたかったのは、こういうことです。一人の目でヨーロッパを見て総括的に語ることを恐れてはいけないということです。それぞれの国の言葉や文化を知る、それぞれの人間を担当とし、それらを統括しないといけないのではないか?という思いに多くの人がとりつかれている。これはよくない。そう考えたのです。そういう恐怖心を無意識にでももっていると、いつまでたっても、自分で行動することができません。

書斎で思索に耽るためではなく、実際にコトをおこすためのヨーロッパ文化の理解が必要だとぼくは考えました。そのためには、いちいち人に頼るのではなく、自分で「これだ!」という分かり方をしないといけないのです。これはミラノサローネの見方もそうです。誰かエキスパートのトレンドリサーチや総括を聞かないと、自分の意見や感想を述べられないということではいけません。どんどん発信すべきです。去年、ミラノサローネ2008でブログ検索をしても、そういったエントリーが思いのほか少なかったです。ただ、他人の感想も注意深く聞くことを忘れてはいけないのでしょう。

2009/3/15

昨日、「一人で全体をみる」ことの重要性を書きました。そのために、ぼくはヨーロッパ各国の新聞オンラインを毎日読むトレーニングをしているわけですが、「どこかの誰かが正解をもっているのではないか?」という思い込みから解放されることが第一歩だと思います。その思い込みがあると、ひたすらリサーチの繰り返しになります。サッカースタジアムを設計する・・・じゃあ、イタリアや英国のスタジアムを片っ端から視察してみようということになります。そういうリサーチが全面的に悪いというわけではなく、必要ではあるのですが、リサーチからだけではコンセプトは出てきません。リサーチのやりすぎはマイナスでさえあります。

『ヨーロッパ学入門』(朝日出版社)という本はヨーロッパ文化をコンパクトにまとめています。言語学、思想史、美術史、音楽史とさまざまな分野の専門家が解説をしています。ぼくは、これはこれでいいのだが、ビジネスには一人で分かるヨーロッパ文化の見方が必要なのだと思いました。こういうことを考えながら、昨晩、小学校の子供たちの8歳の誕生会に出かけました。教会の付属施設で開催されたのですが、子供たちの破裂するエネルギーに圧倒されました。まったくストレートに感情が出てきます。カオス状態です。

サッカーはカオスのなかでどこにボールを瞬時に出すか、これが重要です。このイタリアで育つ子供たちは、このカオスに慣れています。誰に意見を聞くでもなく、自分で判断を下さざるを得ない状況に頻繁に放り出されます。ぼくの他のブログ、「ヨーロッパ文化部ノート」で最近話題になったことで、考え方の道筋に独創性がある子供に高い評点を与えるという、という内容がありますが、このような教育方針が、カオスに強くなる子供たちをつくっていきます。

昨晩は6人の子供の誕生日を一緒にやったので、ケーキのろうそくも、皆で一斉に消します。でも、それぞれお互いを気にせず、一生懸命です。

そして、こういう誕生会は、アニマトーレと呼ばれる専門の人間にお金を払い、子供たちに多様なゲームをやらせて楽しませるのが、かなり一般的です。こういう人達も、子供たちに綺麗に列を作るようには言いません。全体の盛り上がりを重視します。こういう環境で育って、「人の意見を聞かないと落ち着かない」という子供が育つだろうか・・・いや、そうならないだろう、と考えながここを後にしました。


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