将校の姿をしたデザイナー。
前々回と前回、1970年前後にあった動きをクリノ・カステッリの活動から紹介した。
今回は、この頃の動きについて別の例をあげよう。
1973年、ミケーレ・デ・ルッキ(1951-) が”DESIGNER IN GENERALE”というパーフォーマンスをトリエンナーレ美術館の前で行った。将校の格好をしたデザイナーだ。
generale という言葉は「全員の」「専門的ではない」「指揮権をもつ」という意味で、in generaleとすると「一般に」ということになる。一方、generaleは大将や将官という意味もある。
ここでデ・ルッキがいくつかの意味をダブらせていることは言うまでもない。表面的には、軍の将校という(ヒエラルキーを忌避する)デザイナーとは正反対と思われる姿をしながら、デザイナーがある指針を示す存在であると主張している。しかしながら、人々のなかに入り込んだ「専門性をもたない」人間であることも同時に語っている。
また、デ・ルッキのこの時の発言からすると、ファッションのブルネロ・クチネリがよく引用するローマ帝国のハドリアヌスによる「私は美しさに責任を感じる」との言葉にも通じているだろう。
2011年、ミラノ工科大学でデザインを教えるアレッサンドロ・ビアモンティが上の写真のキャプションに記した本の編者として、デ・ルッキにインタビューしている。その冒頭でビアモンティはデ・ルッキに"Designer in Generale"の意図が何だったのかを聞いている。
彼はこう答えている。
デ・ルッキは実のところ、今に至るまでビジネスをとてもうまく回しているようにみえる。彼のデザインオフィスの様子からも、それは窺われる。ラディカルな世界に近く(というか、彼自身、メンフィスの若手メンバーだったが)いたことが、彼の考え方をより洗練化させたと思われる。
「産業(industria)」という言葉に関する態度も、それを物語る。ドイツなどの産業とは違うイメージや規模感がイタリアの産業にはあり、かなりスモールサイズな家内手工業的な領域も「産業」に入る。その前提で書き進めるが、デ・ルッキは「産業という選択肢は絶対外せない」と話す。
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