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帰省先は別世界だった

札幌駅を出てから特急と新幹線を乗り継いで8時間、9ヶ月ぶりに訪れた東京は「都会」だった。

高校在学時、週3で校舎の屋上から見ていた新宿の高層ビル街。当時の東京は自分が住んでいる街であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。大学2年生になってからその風景を見て抱いた感想は「うわ、めっちゃ都会じゃん......」だった。月3回は新宿に訪れていた高校2年生の僕に「3年後の君は新宿を異世界だと思っているよ」と伝えてあげたい。ついでに「実家の部屋番号間違えるよ」とも伝えてあげたい。


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「法事あるけど来る?」という、内容に反して如何せんカジュアルなLINEが母親から来たことをきっかけに、東京へ帰ることにした。今年の冬に帰ったときは1年くらい帰らないかもなぁと思っていたが、成人してから親に顔も見せていないし、通話すらしていないし、帰っておくかぁとなった。

ただ毎回飛行機で帰るのは飽きたので、陸路で帰ることにした。最短経路を調べると、所要時間9時間と出てきた。どうやら実家は遠いらしい。


帰省当日、札幌駅を7時前に出る特急北斗に乗って、北海道新幹線との乗り換え駅である新函館北斗駅に向かう。特急とはいえ新函館北斗駅までは300km程度あるので3時間以上かかる。どうやら北海道はデカいらしい。

崩れていた生活リズムを強制的に戻したため、結局乗車中は睡眠に費やした。苫小牧駅に着いた記憶は無いのに、起きたら八雲駅だった。函館本線の車窓は何度も見ているので、睡眠で時間を潰せたのはむしろ好都合だったのかもしれない。


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10時30分頃、特急北斗は新函館北斗駅に到着した。ホームで余韻に浸っているうちに、ディーゼル特急ならではの音を立てながら北斗はみるみると加速し、僕の視界から消え去った。

新函館北斗駅の電光掲示板には「東京」と書かれた行先表示が並ぶ。札幌駅の行先表示には北海道の駅名しか並ばないので、本州の目的地がドンと書かれているだけで「もう近いじゃん」という安易な感想を抱く。まだ北海道から出ていないのにね。

ちなみに新函館北斗駅から下車する大宮駅までは4時間弱なので、北海道を出るまでと北海道を出たあとの所要時間はほぼ変わらない。やっぱり北海道はデカいらしい。


そういえば、できるだけ安く新幹線に乗りたかったので、はじめてオンラインで新幹線の切符を買った。新幹線の改札にピッとICカードをかざすことも、何なら長時間新幹線に乗るのも新鮮だった。仙台に着いた頃、普通列車で1日10時間以上移動するのは苦痛だったんだなと気づいた。なんで旅するごとにこんなキツい移動をしていたのだろうか。

列車に乗っている間はずぅぅぅぅぅぅっっっっっっと暇なので、本を読んで昼ご飯を食べて時間を潰す。気づけば平野に広がる大都会が見えていた。摩天楼という言葉にふさわしい高さは、時が経過するにつれて高くなっていくが、この街は常にその高さと張り合っているような印象を受ける。


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文化祭の日、母校の屋上から見た新宿ビル群


大宮駅から埼京線に乗り換えて、摩天楼の足下へと向かう。高校生の頃はほぼ毎日新宿のビル街を見ていた。その当時は高いとすら思わなかったのに、僕の感性はタイムマシンで近未来にやってきたかのような刺激を受けていた。

久しぶりにやってきた新宿駅は少し変わっていた。東口と西口を繋ぐ自由通路が出来ていたらしく、導線も変わったのではないだろうか。それでも普段使っていた京王線の地下ホームは、僕が東京に住んでいたときと変わらなかった。


実家のある調布市は東京でも多摩東部と呼ばれるエリアに位置する。新宿からは京王線の特急で20分弱、今までかけてきた時間と比べたら僅かなものだった。毎朝毎晩使っていたこの路線から眺める景色は、既に懐かしいものに移り変わっていた。当時の当たり前が、当たり前では無くなっていた。

そのうちこの区間は高架化するらしく、線路の両脇には工事用地としての空き地が増えた気がする。沿線から踏切が消えたその日に、通学の懐かしさも消えてしまうんだろうな。風景と繋がっていた自分の過去が消えていく。心の中の、モネの「印象・日の出」くらいぼんやりと美化された記憶が、僕に遺る唯一の過去になってしまう日も遠くない。


調布駅に着いたのは16時前だった。中央口から出ると左前方にグリーンホールが見える。どうやら今年も成人式はここでやるらしいが、僕は中学の同期で会いたいと思う人が片手の指に収まる程度だし、今回の帰省でも会うことができたので行かない気がする。高3のクラスで集まる気はしないし、そうなるともはや帰る意味が無い。結局札幌で同期と簡易成人式をする気がしてならない。

平日夕方に帰ってきたにもかかわらず、実家には両親がいた。母はともかく、父がこの時間にいるのはかなり違和感がある。この状況下でテレワークになったらしく、僕の寝室は父の仕事部屋に改造されていた。勉強机は、僕が小1から高3までの12年間にわたり、物置としての役割を全うしていたが、ようやく本来の用途に近い使用法をされていて何か申し訳なくなった。


久しぶりに食べる母の手料理は言うまでもなく美味しかった。札幌で買ったサッポロクラシックを片手に、家族と語り合う夜ご飯はきっと一生ものだ。ビール1缶で酔うわけも無いのに、親との年齢差はずっと25のままなのに、20年近く同じ屋根の下で暮らしていたのに、今までに無い距離が近づいた感覚があった。


「おやすみ」とひとこと言ってから、レイアウトの変わった「元」自室でこれを書いた。全てが新鮮に見えたかつての住処は、もう別世界だった。

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