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長い失恋


とにかくショックだった。

Pとは、本当に結婚するんだと思っていた。

私にとって人生最後の恋愛で、一生彼と一緒にいるんだと思っていた。

彼が運命の人だと決めていた。

Pとは、ずっと結婚の話もしていたし、子供を何人持って、どこに住んで・・・というような具体的な話もしていた。

Pは「子供には、日本とアメリカの両方の文化を大事に伝えたいね」といつも言っていた。

ただ彼の勉強が終わるまでに、私がアメリカで不自由なく暮らせるように、私の英語のブラッシュアップと、現地でも仕事に使えそうなスキルを考える、という話もしていた。

私がペーパードライバーだったので、「車の運転もできるようになっておくように」と宿題も出ていた。

結婚したら、子供が産まれたら、といろんな将来の予定をいつも二人で話していたのに。

・・・どうしてこんな突然に、理由も分からないまま、別れることになるのか。

やがて2年半になるPとの結末が、こんな風になるなんて想像もつかなかった。


退職翌日に、すぐ飛行機を取って、Pに会いに行った。

彼は会ってくれたが、ただ「ごめん」を繰り返すだけで、別れの理由を一切教えてくれなかった。

私は何も言ってくれないPに途方に暮れて、帰るしかなかった。


私はショックのあまり、何もできなかった。

真っ白と言うか、本当に灰のようになっていた。

毎朝起きるたびに涙が溢れて、夜は泣きながら眠った。

親や友人から心配されたが、この時期はただ家に引きこもっていた。

仕事も辞めてしまったので、何もすることもなく、廃人のようだった。


しかし、半年近く引きこもるとほぼ貯金も使い果たしてしまい、とにかく生活のために働かなくてはいけなくなった。

もうどうでもいい、と人生の全てに投げやりになっていた私は、とりあえず働ける仕事なら何でも働いた。

時給が良ければいい、とあまり選ばず、厳しめな仕事でも働いた。

心の所在が無いので、とにかく疲れるまで動きたかった。

何も考えずに、ただ疲れて眠りたかった。

必死で働いているうち、これまでの経験を評価してくれる会社もあったりして、転職も繰り返した。


私は35歳になっていた。

Pとの破談から数えると約3年以上、恋愛ごととは一切距離を置き、誘われても応じることは無かった。

母や親戚、友人からお見合いの話もきたが、全部断った。

正直、Pと別れてからは男性恐怖症気味だった。

私生活では、男性がすっかり怖くなって、男性が近くに来てもダメそうなのが周りにもわかるほどだったらしい。

満員電車での男性が近くにいるのもダメだったので、早朝便で無駄に早く出社していた。

上司が心配して、接待などからも出来るだけ外してくれるほどだった。(苦手でしょ?と。)

仕事でも、男性には必要最低限しか接触しようとしないので、そう思われても仕方がない。

会社の飲み会も必要最低限の参加で、合コンの誘いや、異業種交流会でさえも、全部断っていた。

職場では「あの年まで男性に免疫が無い、こじらせた処女らしい」とよく言われていたと後から聞いた。(苦笑)

仕事だけは真面目にこなし、成果もそれなりに上がっていたため、その流れに身を任せていたら、気が付くと管理職になっていた。


私は、それなりに一人でも楽しく生きていこう、と覚悟を決めた。

今後、結婚も多分しないだろうと考え、最期の棲家となるマンションを購入したり、保険を見直したり、年金を考えたり…といろいろな準備をしていた。

同じような予定の、独身の友人たちも出来て、あまり不安も感じなかった。

結構楽しい一人の人生になるかも、と思い始めていた。


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