月刊読んだ本【2023.10】
人生は図で考える 後半生の時間を最大化する思考法
平井孝志 (朝日新書)
八重洲ブックセンターの八重洲本大賞ノミネート作なので読んだ。
あとは酒を喰らって死ぬだけの僕にはあまり意味のない本だった。50歳ぐらいになればなにかわかるのかな。歳を取ってから新しいことにチャレンジするという精神は素晴らしい。↑→の方向に矢印が伸びている図と↓→に伸びている図が混在していて混乱した。
ラウリ・クースクを探して
宮内悠介 (朝日新聞出版)
すごすぎる。ラウリ・クースクという天才少年の伝記を書くために彼の消息を追う話。ラウリ・クースクが架空の人物だとはもはや思えない。彼が架空の人物だとしたら、ソビエトもエストニアもあるいは作中に出てくる年号も西暦ではない架空のものかもしれない。
ソビエト時代のバルトの国の事情と、その後の民主化後の時代の話が、まるでそこで育った人かのように描写される。激動の時代に生きて、運命に翻弄されれば僕もこの物語の登場人物の一人になっていたかもしれない。でも島国である日本ではあまりそういう感覚も抱かないかもしれない。大陸の小さな国で、隣国(ソビエト時代は連邦の一部かもしれないが)の事情に左右される様子を描けるのは、著者が日本でなくニューヨーク育ちなことにも影響があるのだろうか。各地をバックパッカーみたいに旅していたのも影響しているのだろうか。世界を見れば、その様を描かないといけない使命のようなものに駆られるのだろうか。世界のどんな場所であっても、そこに描かれるのは人間で、人間の感情は共通で時代や場所など関係ないと思い知らされる。自分もその世界のごく僅かな一部でしかないと気付かされる。
九つの物語
サリンジャー/沼澤洽治 訳 (講談社文庫)
再読。訳のクセが強い。
謎解きサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか
竹内康浩/朴舜起 (新潮選書)
サリンジャー深読みおじさんによる考察。妄想力が高い。考えすぎでは、と思う反面、サリンジャーがそういう意図で書いていないとは否定できない。でも考えすぎでは? 半分は冗談みたいなつもりかもしれないけど。
なるほどとか、たしかにとか思う箇所はある。たとえば、「シー・モア・グラス」は日本語では「もっと鏡を見て」と訳されることが多いけれど、「グラス」は(ものを飲む容器としての)グラス、あるいはガラスと言うイメージが先行する。「鏡」という意味もあるかもしれないけれど。なので僕は少し違和感を抱いていた。でもこれはグラス(家)を見ろというサリンジャーのメッセージだとかそんな考察を展開していて非常に愉快な本だった。「バナナフィッシュにうってつけの日」という短編を一つの作品としてではなく、グラスサーガの一つとして見て、他の作品を参照することで、読み解いていく。試みは面白いし、サリンジャーが「バナナフィッシュ」以降、過去に遡って作品を発表したのも意図的だと感じてしまう。でも短編は一つの作品で、一つの作品として楽しむべきでは? という感情が自分にはある。他の作品を読まないと完全に理解できないのはルール違反だと僕は感じてしまう。そんな堅苦しいことは抜きにしてサリンジャーを楽しもうぜというのが本書の役割の一つだろう。それは考え過ぎでは、論理の飛躍では、と突っ込みながら読めばいいのだ。でもそれなりに筋は通っているのだからすごい。
禅の話のところで、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』が引き合いに出されていて、サリンジャーも読んだはずだみたいなことが書いてあって興奮した。歴史に残る名著だものな。
以前読んだ『『ライ麦畑でつかまえて』についてもう何も言いたくない』という本とテイストが似ていて、同様に気持ち悪いな(褒め言葉)と思った。そして著者を見たら同じ人だった。どんだけサリンジャーのこと好きなんだよ。
フェティッシュ
西澤保彦 (集英社文庫)
めっちゃ面白い。解説が秀逸でわかりみが深い。人間の生々しさというか汗臭さというかその感触を描くのがうまいよね。くせになるよね。もう西澤保彦にしか興奮しない人間になってしまっているよね。
人それぞれいろんなものに興奮するから、そういう人々が描かれていてリアルだ。他人に触れられると仮死状態になることの説明はされないのが西澤保彦的で、それが起こってしまっている世界の話を書く。そして、読者は仮死状態のことを知っているけれど、登場人物はそんなこと知らない人ばかりで、そんな人々を読者は覗いているような感覚がある。透明人間クラブに参加しているのは読者側なのだと思った。
夢みる宝石
シオドア・スタージョン/川野太郎 訳 (ちくま文庫)
新訳が出たので買った。ハヤカワ文庫版は絶版で手に入らないみたいなのでこの機会に手に取った。
タイトルはもちろんロマサガ3で知っていたけれど、内容までは知らなかった。冒険小説だった。タイトルはどういう意味なんだろうと思ったらそのままの意味だった。宝石が主人公(?)なのだ。そういう空想世界に成長物語や呪縛から逃れる話が混ざり合っている。ピエール・モネートルの歪んだ愛情の話でもある。そして自身は何者かというアイデンティティの話でもある。空想の設定ではあるけれど、そこに現実の作家や作曲家の名前が出てきて、アメリカの片田舎で起こった奇妙な出来事だと言われても納得してしまいそうである。奇妙な出来事を説明するために空想の設定を持ち出して辻褄を合わせようとしたのかもしれない。そう思わせる危うさのようなものがあった。
訳者が1990年生まれということに驚かされる。翻訳家というのはもっと老練(?)な存在にしか務まらないと思っていたからだ。ちょっと嫉妬もあるけれど、希望もある。その年齢で翻訳家をやっていけるんだと感動した。そういう人生を送りたかった。
かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖
宮内悠介 (幻冬舎文庫)
参考文献が相変わらずすごい量だ。緻密に調べ上げているんだけど、さり気なく書いてるからそれを感じさせない。調べ上げた実際にあった出来事とフィクションとを織り交ぜてひとつの作品ができるのは職人技である。安楽椅子探偵もので個人的に好みのタイプのミステリだった。
いつもだけれど、その題材は面白いのか? と彼の作品を手に取った際に思うけれど、いつも杞憂でこの題材をこんなに面白い作品に料理するなんて、いったい頭の中はどうなっているんだろうかと思う。
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか
今井むつみ/秋田喜美 著 (中公新書)
八重洲本大賞ノミネート作。
英語にオノマトペがあまりないことの説明に納得がいった。衛生枠づけ言語では動詞そのものに「どのように動作するか」が含まれている。plod(とぼとぼ歩く)、limp(片足を引きずって歩く)のように。日本語だと「歩く」という動詞があって、それを説明する語がまわりにある。英語は動詞そのものに説明が含まれている。だからオノマトペが動詞と一体化しているようなものだそうだ。
それまであまり注目されていなかったオノマトペに注目して研究していったという姿勢がすごい。言語のなりたちや歴史とかの話だけでなく、いかにして習得するか、子供はどうやって言葉を覚えていくのかというアプローチは非常に興味深い。そして非常に難しい問いだと思う。だからこそ研究しがいがあるとも言えるのだろう。
アホウドリの迷信
岸本佐知子/柴田元幸 編訳 (スイッチ・パブリッシング)
日本を代表する翻訳家の二人が、それぞれ訳したいものを訳した短編集。
表題作『アホウドリの迷信』と『アガタの機械』が特に好き。この不思議な物語の世界の住人になりたい。
ふたりとも、本当に翻訳するのが楽しいんだろうなと感じる。かっこいい。そうなりたい。二人の対談にもあるけど、日本では生まれない物語、という感じが本を読んでいるだけなのに異国へ旅をしているように思わせる。現実八割、幻想二割の作品が多く引っかかったと書かれているけれど、その危うい感じが僕も好きなんだと思った。現実を生きているのに、急に変な事が起こるような。また読み返したい。
ひとこと
全岡崎ファン歓喜!
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