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『地下室の手記』を読んで

ドストエフスキー『地下室の手記』を読み終えたので、感想を書く。が、作品自体のネタバレはほぼしないつもりだ。というより、読んでいて思ったことを書くだけなので、作品のあらすじはおろか、作品そのものにも触れないかもしれない。

小説の巻末にある"解説"を読むのが好きだ。が、"解説"を読んでから感想文を書くと、"解説"に影響を受けた紋切り型の文が完成するリスクがある。よって、これからは「noteに感想を書き殴る→"解説"を読む」っていう順番にしていこうと思う。

『地下室の手記』の主人公は支離滅裂で虚栄心がかなり強く、独りよがりだ。全体的に共感性羞恥で苦しくなってくる。めちゃくちゃ泥酔してヤバくなっている自分を見ているようだ。しかし、ハッとさせられる主張もある。

この主人公ほど極端に激ヤバな人はあまりいないだろう。しかし、彼の恥ずかしいエピソードに似た体験や彼の抱いた絶望に近いものは、誰しも身に覚えがあるはずだ。読んでいるうちに、主人公と自分を重ねてしまい、いろいろな恥ずかしい思い出が呼び覚まされ、◯にたくなった♡

「女性にモテない男性の行動ランキング」みたいなアンケートで毎回ランクインしているのが、「店員に偉そうな態度をとっている」というものだ。私は、この小説を読んでいる間、ずっとこのことについて考えていた。

なぜ店員に偉そうな態度をとってしまうのだろう。その答えは、おそらく「気になる異性の前だから」である。1人で牛丼チェーンにいるときまで店員に横柄な態度をとる人は少ないだろう。男は、気になる女の前だからこそ店員にキレているのである。そして、女性は「店員に偉そうにしている男の姿」のみを目撃してしまう。

しかし、ここで疑問が生まれる。彼は目の前の異性に好かれたいはずなのに、なぜその異性に嫌われるような行為をするのか?まさか、偉そうにすることがかっこいいと勘違いしているのか?たしかに、「女に強さをアピールしてみせよう」という意図で店員に強く当たるDQNもいるかもしれない。しかし、大抵のDQNでさえ「抵抗してこない相手に無駄にキレたり偉そうにするのはダルいしダサい」ということは了承しているはずである。

そう。私の考えでは、大抵の「店員に偉そうにする男」は、それが"恥ずかしくてモテない行為"だということを承知で、その上で店員に偉そうに"してしまう"のである。

このような行為や欲望は、たしかに非合理的なものである。しかし、非合理的なバグを抱えているのが人間の本質なのだ。その欲望のせいで自分の身が破滅しようとも、なぜか人間はその欲望に向かって走っていき、無事爆死するのだ!

私が思うに、そういう非合理的な欲望は、緊張しているときや追い詰められたとき、「アーーー」ってなっているときに突然生まれる。普段は理性で抑えられるが、ふとしたタイミングでタガが外れる。そして、支離滅裂な行動をしてしまう。酔っ払ってやらかす。

そういった狂気(←陳腐な表現でスミマセン)は、誰もが多かれ少なかれ持っているものである。そして狂気に従って行動すると大抵はろくな結果にならない(失敗する)。しかしながら、そのような狂気・気まぐれこそが人間を人間たらしめているのであり、狂気を排除しようとするのはむしろ健康的ではない。コントロール不可能なものであるからこそ「うまく付き合っていこうとする」というのが自然だと思う。

【ここから先は何を言ってるか分からないかもしれません】

思うに、(俺たちみたいな)地下室人間は基本的に地下室にいていい。しかし、地下室から出たり入ったりするべきだ。「私は死にながら生きている」「俺には未来はない」と頭で思っていてもいいから、とりあえずたまに地下室から出て、体を動かしたり遊んだり他人の話に耳を傾けるべき(それを受け入れたり隷従する必要はない)。そして、期待しては裏切られ、なにかやってみては失敗し、うまくいかず、なにもかも裏目裏目でボロボロに傷つき果て、またしばらく地下室に閉じこもればいい。すべてに絶望し、過去のトラウマがリフレインされ、憎しみが強化されたさらにその先には、再び「退屈」と「欲望」が訪れる。それは「狂気」とセットなんだけど、いろんな方法を諦めずに試すんや!

生きてると、被害者って立場だけに留まることはできない。間違いもする。必ず加害者にもなる。好きな人を傷つけ、後悔する。でも、それはちゃんと生きてる証拠。40だろうが60だろうがいつでも何度でもやり直せる。暗くならんでさ!次行こうよ次!NEXT!


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