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"KALIMA"の事。

一生続くバンドなんてのは殆ど無くて、いつかは解散か消滅してしまう儚いものだってのが多い。その後にどうなるかは個人の能力やセンスが関係するんだろうけど、かつて志を同じにして一致団結していた集団の中でも、個々の選択の違いで人生が大きく違ったって事もよくある話。解散しなくっても、残った人と去った人の人生が大きく違った場合もある。運命なのか、選択の差なのか、いずれにせよ、ちょっと切なくもなる。このKalimaなんてどうだったんでしょう。

[So Hot / Swamp Children] (1982)

Kalimaは、英国イングランドはマンチェスター出身の大所帯バンドでした。美しすぎて渋すぎる女性Ann Quigleyをヴォーカリストに、様々な楽器を担当するミュージシャンによる集合体で、ラテン、ジャズ、ファンクといった要素をふんだんに取り入れたサウンドは、クールこの上なかった。始まりとしては、1980年に結成されたバンドSwamp Childrenを前身とします。Swamp Childrenは、キーボードのCeri Evans、ギタリストのJohn Kirkham、ドラムスのMartin Moscrop、サックスのTony QuigleyとCliff Saffer、そしてヴォーカリストのAnn Quigleyからなる5人組としてスタートしています。Martin MoscropはA Certain Raioの創設メンバー、Ann QuigleyはACRのヴィジュアル・アートを担当していたので、当時はACRの兄弟バンドと思われていましたね。1981年にシングル"Little Voices"でFactory Recordsからデビュー、軽快ながら捩れたギターと、ノイズと化したヴォイスやサックスをフィーチャーした、クールで洗練されていながらも壊れたオリジナリティ溢れるファンク・サウンドで衝撃を与えました。表題曲はCavaret VoltaireのスタジオWestern Worksでレコーディングされ、プロデュースはStephen Mallinderが手掛けています。なるほど。翌1982年にはシングル"Taste Whats Rhythm"とデビュー・アルバム"So Hot"をFactoryとFactory Beneluxから、ヨーロッパ全土向けにリリースしています。セルフ・プロデュースにより制作されたこの作品は、ファンクをベースとしてジャズやラテンをミックスしたダンサブルでクールなものでした。この頃、ジャズで踊るというニュー・ジャズ・シーンが盛り上がりはじめ、Weekend, Animal Nightlife, French Impressionists, Carmelといったバンドが頭角を現し、Swamp ChildrenやA Certain RatioもクラブDJがこぞってターンテーブルに乗せ、ロンドンでもPaul MurphyやGilles Petersonがムーヴメントを押し上げました。

1983年、メンバーはそのままにバンド名をKalimaに変更しています。バンドが熟練していくに従って、バンド名がしっくりこなかったのが理由みたいです。直訳すると「沼地の子供たち」だもんなあ。新しいバンド名は、Elvin Jonesの1978年のアルバム"Remembrance"に収録されている同名の楽曲から取られ、ジャズを意識したものになっています。改名後すぐにパーカッションのChris Manis、ピアノとキーボードのAndy Connell、ベースとヴィヴラフォンのJeremy Kerrが新たに加入しています。彼らはFactoryが設立されて最初にシングルをリリースをした事で知られ、レーベルの狂騒の歴史を描いた映画「24 Hour party People」にも大々的にフィーチャーされていたレーベルきってのスター・バンドA Certain Ratioのメンバーでした。1982年に”I'd Like to See You Again”をヒットさせた後の時期で、ヘルプ的な意味があったのかもしれません。彼らの加入はバンドのサウンドを分厚くさせるだけでは無く、ファンクの要素を大々的に盛り込むなど大きく進化させました。一方、「ジャズに行きやがった」という誹謗も多かったみたいですが。

1984年にはKalimaとなってからのデビュー・シングル"The Smiling Hour”をリリースします。表題曲は、Sarah Vaughanのブラジリアン・アルバム”Copacabana” 収録曲のカヴァーで、従来のジャズ・テイストにファンク、ブラジル、ラテンのテイストを大々的に盛り込んだ楽曲で、新生バンドの発展を確信させる堂々とした作品でした。重厚なバック・コーラスは、後にジャズ・ダンス・グループ、The Jazz Defektorsとしてデビューするメンバーによるものです。カップリングのKalimaの自作による"Fly Away"は、メロディを前面に出した軽快なボサ・ノヴァ・チューンとなっています。1985年には4曲入りミニ・アルバム"Four Songs"をリリース。今作には、バンドの初期代表曲となる"Sparkle"を収録、この頃、既にバンドのスタイルは確立されていて、いずれも完成度の高い作品となっています。

[Night Time Shadows] (1986)

1986年にはデビュー・アルバム"Night Time Shadows"を、同じくFactoryとFactory Beneluxからリリースしています。先行シングルの楽曲は収録せず全曲を新たにレコーディングした作品で、バンドの自信を伺わせます。内容の方は、ボサ・ノヴァやブラジルアン・ポップスに偏っていたサウンドをジャズ寄りに引き寄せ、Annのクールで芯の強いヴォーカルと、ジャズ色の強いホーンとピアノ、ファンク色の強いドラムスとパーカッションによる独特なグルーヴ感を持った完成度の高いラテン・ジャズ・ファンクのヴォーカル・アルバムとなっています。各音楽紙もこぞって絶賛し、格段のデビューを果たします。しかし、ここで大きな問題が発生します。A Certain Ratioが全米ツアーを行ったため、その間はKalimaの残されたメンバーでのみの活動となってライヴもままならなくなります。既に財政難に陥っていたFactoryのために、A Certain Ratioは遅れていたニュー・アルバム"Force"の完成を急ぐためにKalimaとしての活動にスケジュールを合わせるのが困難になり、1986年のシングル"Whispered Words"を最後にJeremy KerrとMartin MoscropはA Certain Ratioの活動に専念するために脱退、Andy Connellは、MagazinやThe Chameleonsに在籍していたMartin Jacksonと共に新しいバンドSwing Out Sisterを結成するためにKalimaとACR両方を脱退、Chris Manisもバンドを去りました。実際のところ、Factoryとしては、大所帯のバンドを維持させていくだけの資金が無かったとも言われています。

[Kalima!] (1987)

バンドの継続の危機に直面したKalimaですが、Ann Quigleyはメンバーを集めて新生Karimaとして活動を継続する宣言をし、1987年にニュー・シングル"Weird Feelings"をリリースしています。その後、再度メンバー・チェンジがあり、ホーンやパーカッショニストを加えて1987年にセカンド・アルバム"Kalima!(邦題:「トゥインクル・アイズ」)"のリリースに漕ぎつけます。益々逞しくなったAnn Quigleyの、よりメロディを意識した力強いヴォーカルを前面に出し、これまでのダークで実験的な部分は後退させ、輪郭のはっきりとしたホーンやドラマティックな展開のパーカッションなど、ブラジリアン・ポップスを意識した洗練されたクリアーなサウンドを聴かせる好アルバムとなっていますが、大きな成功を収める事は出来ませんでした。

[Feeling Fine] (1990)

マンチェスターのシーンが自分たちのバンド活動にプラスとならないと判断したバンドは、ニュー・ジャズが盛り上がっていたロンドンへ拠点を移し、クラブでも熱心にプレイしました。Swamp Children時代の曲を含むシングル・コンピレーション"Flyaway"をリリースしてロンドンでの知名度を向上させ、1989年には3作目のアルバム"Feeling Fine"をレコーディング、この作品は、翌1990年になってようやくFactoryからリリースされています。ヴォーカルへの比重を更に強め、洗練されたホーンが印象的に鳴り響き、クリアーなビートや電子楽器をフィーチャーした、ブラジリアン・フュージョンを意識した爽快なサウンドが印象的な好作品ですが、ジャズやファンクのテイストは希薄になり、ニュー・ジャズ・シーンからは遠ざかってしまいました。Factoryからプロモーション費用を削られた厳しい状況だったものの、プレスの評判は上々で、クラブではGilles Petersonにプレイされるなど概ね好評でしたが、大きな成功を収めることは出来ず、今作を最後にFactoryは契約を解除しています。その2年後の1992年にFactoryの方もその歴史に幕を下ろしています。バンドは解散しますが、2001年にはトリオ編成で再結成して4作目となるアルバム"In Spirit"をリリースしていますが、あまり長くは活動しなかったみたいです。

[In Spirit] (2001)

人間の人生なんて先は見えないもので、あの時こうなっていれば...というのは少なからず多いかと思いますし、バンドだってそう。A Certain Ratioは、1977年の結成からFactoryで長らく活動した後、A&M、Rob's Records(New OrderのマネージャーだったRob Grettonのレーベル)、Creationといったレーベルを渡り歩き、その存在の重要性からは当然でしょうが、音楽業界からの寵愛を受けて断続的に活動し、2020年にはMuteと契約して復活し、現在も活動しています。KalimaとACRを同時に脱退したAndy Connellは、Swing Out Sisterを結成して大ブレイクを果たしているのは周知の通り。残されたKalimaのメンバー、特にヴォーカルのAnn Quigleyは、紆余曲折しながら懸命に活動を続け、良質な作品を残しながら、あまり成功を収めたとは言えない状況でバンド活動の継続を絶たれてしまった。バンドのメンバーにしてみれば、後に再評価されても、得るものはあまり多くはない気がします。一番活動したかった意欲的な時代に評価を得ていれば、もっと長く活動できたかも知れないし、もっと多くの作品を残せたのではないかと、ちょっと切ない気持ちになったりします。

初期Kalimaの残した作品は紛れもない名曲ぞろいですが、今回は、評価が低すぎる2作目のアルバムに収録されていた、流れるような美メロとホーンのせめぎ合いが印象的な、この名曲を。

”Now You're Mine" / Kalima

#忘れられちゃったっぽい名曲


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