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"LIAISONS DANGEREUSES"の事。

バンドの活動期間というのは多種多様で、シングル1枚で消えていく者あり、長期間安定して活動して確固たる地位を築く者、解散しては何度も再結成するバンドだってある。その活動期間で何を残せたかって事の基準ってものはないし、バンドによっては自己満足でも、ファンを満足させて何らかの足跡を残した事は、我々一般人から見れば偉業である。その偉業は、長さに比例するものではない。しかし、音楽の歴史の中で、その革新性と特異性から、後発への巨大な影響力から考えると、余りにも短すぎる活動期間で、全てを出し切って散った特殊なバンドもいたでしょう。例えば、Liaisons Dangereusesなんてどうでしょうか。

{2 / CHBB] (1981)

Liaisons Dangereusesは、ドイツはデュッセルドルフ出身の3人組バンドでした。Der PlanやDeutsch Amerikanische Freundschaft(独米友好協会の意味)=通称DAFの初期メンバーだったChrislo Haasと、Mania D.という女性ニュー・ウェイヴ系バンドで活動していたBeate Bartelが組んだユニットCHBBがはじまりでした。CHBBが無題の4作品を限定50本ずつカセット・リリースした後、そこにKrishna Goineauが加入する形で1981年にLiaisons Dangereusesが結成されています。バンド名は、フランスの作家ピエール・ショデルロ・ド・ラクロの『危険な関係(Les Liaisons dangereuses)』から取られています。

[Los Niños Del Parque] (1981)

1981年にデビュー・シングル"Los Niños Del Parque"を、オランダのレーベルRoadrunner Recordsからリリースしています。この曲は、エレクトロニクス・ノイズと特異なベース・ラインの反復と、明確なメロディ・ラインが曖昧で、歌いはするけどスポークンワードや奇声を発したりする男女のヴォーカルなどで構成されています。ノイジーでもカオティックでも無くて、少ない音数に絞ったエレクトリックな実験音響の見本市の様なクセになるサウンドは、ドイツのアンダーグランド・シーンで注目されました。KORGのモノフォニックアナログシンセサイザー、MS-20を中心に使用して制作されたサウンド、特に特異なベース・ラインは、通常の4/4拍子ではなく6/4拍子のポリリズムが採用され、このシンプルながら異質なサウンドは、後のテクノやエレクトリック・ボディ・ミュージック系のアーティストに度々サンプリングされたり、無断で使用されたりしています。このシングル1枚で、すでに音楽の歴史に大きな爪痕を残したのでした。

[Liaisons Dangereuses] (1981)

同じ1981年に、デビュー・アルバム"Liaisons Dangereuses"を、TISレーベルからリリースしています。このレーベルは、正式名称をTeldec Import Serviceといい、クラシックで有名なドイツのTELDEC(Telefunken-Decca)と、その親会社であるWarner Music Germanyの傘下レーベルでしたので、実質のメジャー・デビューでした。アルバムでも、先行シングルと同じ路線のサウンド、非常に音数の少ないサウンドでありながら、個々が効率的に機能した隙のない完璧なモノで、突然巻き起こるノイズの先鋭さには驚かされました。エレクトリックな音の断片や、リズムとベースの反復、明確なメロディ・ラインの感じられないヴォーカル、サックスの演奏などの生音っぽいサウンドも音の断片として認識し、ポピュラー・ミュージックの概念を破壊してしまいました。このアルバムはプロデュース、ソングライティング、アレンジ、演奏の殆どを3人で行っていますが(厳密には1曲だけKrishna Goineauの妹Joannaの声が収録されています)、ミキシングはConny Plankが運営するドイツのスタジオConny's Studioで行われています。バンドの特異性を引き立てる妖しいジャケットは、Mania D.のドラマーとして参加していたKarin Lunerが手掛けています。Karin Lunerは、その後アメリカに渡ってファイン・アートのフォトグラファーとして活動した人です。アルバムのリリース後、バンドは何度かライヴを行っており、若かりし頃のAnita Laneなどが参加していた様です。ドイツ国内やオランダなどを回った中で、イギリスはマンチェスターのThe Haçiendaでのライヴも行っていて、これは海賊盤として残っています。これを誰かしらが目撃したかもしれませんね。ほぼ同時期に活動していたNew Orderのベース・ラインやビートには大きな接点が感じられます。まあ、お互いにもっと以前の共通のバンドから影響を受けているのかも知れませんけどね。この小さなライヴ・ツアーを最後に、バンドは解散しています。シングル1枚、アルバム1枚、ビデオ1本という最小限のリリースで、最大限のインパクトを与えたバンドでした。Beate Bartelは、MatadorやMonika Werkstattといったバンドに参加し、プロジェクトとして元Die HautのThomas Wylderと共演していたりします。Chrislo Haasは、Anita LaneやCrime & The City Solution、Einstürzende NeubautenといったNick Cave人脈との共演が多く、自身のユニットArmed Response, Les Diabolique, Minus Delta Tなどで活動した後、2004年に48歳の若さで亡くなっています。Krishna Goineauは、Metropakt , Velodrome , Xeeroxといったユニットで活動しています。

[Live@The Haçienda] (2010)

この革新的なサウンドは、後のデトロイト・テクノに反復と変拍子という、電子楽器だからこそ実現可能なサウンド・メイキングをもたらし、テクノの歴史の幕開けに大いに影響を与えました。サウンドのダークな部分や、ダンス・ビートとしても機能するエレクリック・ビート、クールでありがならも、狂暴で爆発力を併せ持ったサウンド・スタイルは、エレクトリック・ボディ・ミュージック(EBM)に受け継がれ、ベルギーのPlay It Again Sam Recordsを中心に、Front 242、The Neon Judgement、The Weathermen、そしてSkinny PuppyやFront Line Assemblyといったバンドが明らかな影響を受けた抑制されたヘヴィなエレクトリック・ダンス・ミュージックを作り出しています。アメリカではMinistryが、ドイツではKMFDMが更に強暴化したサウンドを繰り広げ、更には大きな影響を受けて新しいサウンドを作り出したNine Inch Nailsなどへと継承されていきます。現在のテクノやEBMのサウンドと聴き比べても、Liaisons Dangereusesが古臭く感じる事はありません。本当に革新的な凄いバンドでした。

たった1枚のシングルとアルバムを残して解散しながらも、ここまで後発への影響を与えたバンドは中々いないかも知れません。それだけ、強烈な存在感とインパクトとオリジナリティがありました。このバンドのサウンドを聴くと、こんな少ない音数で、こんな凄い事をできるのだなあ、と感心します。今回は、アルバム収録曲で、意外とメロディアスな曲をエキセントリックなヴォーカルで聴くことが出来るダンサブルなこの曲を。

”Etre Assis Ou Danser" / Liaisons Dangereuses

#忘れられちゃったっぽい名曲


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