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"DIF JUZ"の事。

人生を変えてしまう程の大きな選択って、割とよくあることで、「あの時こうしていれば..」とか「人生の選択を間違えた!」とかよくある話。でも、その選択は失敗だったんじゃないの?と他人が思っても、本人が納得してればいいんじゃないって事もあるんです。運命って不思議なものですね。
Duran Duranと言えば、押しも押されぬ世界的に人気のバンドですが、1978年にバーミンガムで結成された当時にStephen Duffyが在籍し、レコーディング前に脱退したことは知られていますが、デビュー直前までギタリストとしてAlan Curtisという人物が在籍していたことはあまり知られていません。彼は、バンドをマネジメントするクラブの事を嫌っていた様で、デビュー直前に一方的に離脱してロンドンへ戻り、実兄のDaveと共にバンドを結成、それが、このDif Juzでした。

Dif Juzは、1980年に結成されています。Duran DuranをドロップアウトしたギタリストのAlan Curtisと実兄のDave Curtis、ベーシストのGary Bromley、パーカッションと管楽器を担当するRichard Thomasからなる4人組バンドで、これは不動のラインナップとなっています。元々はクラシカル・ギターを勉強していたDave Curtis、独学で試行錯誤の末に独特なギター演奏を編み出したAlan Curtis、ふたりのギタリストのせめぎ合いは、激しくぶつかる訳では無く、新たなハーモニーを生み出し、Richard Thomasの独特なサックスと多彩なパーカッション、Gary Bromleyの紡ぎだすダークでヘヴィなベースと共に、繊細ながらも革新的なサウンドを生み出しました。彼らは、"Different Jazz"、今までとは異なる新しいジャズを作り出すという意思表明として、バンド名をDif Juzと名付けますが、これは突発的なアイディアだったと後に語っています。

[4AD]

1981年に、新興インディ・レーベルだった「4AD」と契約しています。4ADと言えば、現在は大手インディ・レ-ベルですが、設立されたのは前年の1980年、まだまだ黎明期のレーベルでした。4ADは、主宰のIvo Watts-RussellとPeter Kentにより始められたレーベルで、Beggars Banquetの出資を受け、設立時から既にBauhaus , Modern English ,In Camera , The The , The Birthday Partyといった4AD及び英国音楽界を牽引していく名バンドが多数在籍していました。Peter Kentはすぐに離脱し、同じくBeggars Banquet傘下のレーベルSituation Twoを運営していくことになります。

[Vibrating Air] (1981)

Dif Juzの作品は、デモの段階からJohn Peelによってラジオでオンエアされ、ロンドン近辺のクラブを中心にギグを行った後、同年の1981年に"Vibrating Air" , "Huremics"という2枚のシングルを4ADからリリースしています。リバーブのかかった幽玄なギターと鋭角なギターの2本のアンサンブル、ダウン・テンポでダークなベース、多彩な打楽器や管楽器によるインストゥルメンタルは、正にdifferent Jazzと言えるもので、現代のポスト・ロックの元祖とも言える、早すぎるくらいに先駆的なものでした。翌年にリリースされた4ADのコンピレーション・アルバム”Natures Mortes"(邦題「暗闇の舞踏会」)に、錚々たる面々と共に収録された後、1983年に、4ADとは別のレーベルRed Flameから12インチ・シングル"Who Says So?"をリリースしています。

[Who Says So?] (1983)

レーベル・メイトのCocteau Twinsと親交の深かった彼らは、Cocteau Twinsのメンバー3人と、それぞれとコラボレーションを行っています。それが4ADに残る唯一のモチベーションだったのかも知れません。1985年には初のフル・アルバム"Extractions"をリリースしています。Cocteau TwinsのRobin Guthrieがプロデュース、Elizabeth Fraserが1曲ヴォーカルで参加しています。今作は、リバーブが深くかかった幽玄なギターとソリッドなギターのアンサンブルと、ベースと多彩な打楽器によるリズム・プロダクションと、ファジーなサックスをフィーチャーした、音空間の広がりが圧巻な作品ですが、不思議なことに、4ADのレーベル・カラーにぴったりでした。こちらは英国インディ・チャートの7位にランクされています。

[Extractions] (1985)

同年、彼らは敬愛するレゲエ/ダブのオリジネイター、 Lee 'Scratch' Perryのバック・バンドとしてツアーを回っています。その合間に実現したコラボレーションによるレコーディングは、Cocteau TwinsのRobin Guthrieがプロデュースを務めたアルバム”Time Clock Turn Back”として完成されており、怪しいカセット盤が流通した様ですが、結局は正式にリリースはされず、いかなる理由かは不明ですが、4ADが封印しています。Dave  Curtisは後に、バンド史上最高のレコーディングだったと語り、暗に4ADを非難しています。この頃、既に4ADとの埋まらない溝が生じていたのかも知れません。その後、Cocteau Twinsとジョイント・ツアーで活動を共にします。Simon Raymondeは、「この時のDif Juzは、今までに見たことのない最高のライヴだった」と語っています。オフィシャル・ライヴ音源がリリースされていないのが悔やまれてなりません。

[Out Of The Trees] (1986)

1986年には、初期2枚のシングルをカップリングしたミニ・アルバム”Out Of The Trees"を4ADからリリースしています。一部はオリジナル・レコーディングに新音源など追加してリミックスされており、オリジナルとは幾分か趣きの異なるものとなっていますが、やはり、こちらも4ADのカラーに染まっており、嫌いかというと、好きとしか言いようがありません。プロデュースやエンジニアではありませんが、"Thanks to"としてCocteau TwinsのSimon RaymondeとRobin Guthrieがクレジットされています。1987年には、4ADの名作コンピレーション・アルバム"Lonely Is An Eyesore "(邦題:「夢物語4AD」)のために”No Motion”をレコーディングしています。バンド・サウンドのテンションが最高潮に達した、全ての音色が混然一体となって迫ってくるかの様なサウンドが圧巻な名曲です。PVも作られていますが、あまり笑顔では無かった様な...。恐らくですが、この楽曲がバンドとしての最後の音源になるのではと思われます。

バンドはオフィシャルに解散宣言はしてはいませんが、 Alan Curtisの消息は不明で、Dave Curtisは健康上の理由でバンド活動を行っていません。Gary Bromleyはダブ・バンド"The Children"を経て、ソロ名義での活動を行っています。Richard Thomasは精力的に活動を行っており、This Mortal Coil , Cocteau Twins , Wolfgang Pressといった4ADの諸バンドや、Felt , The Jesus and Mary Chain , Moose , The Future Sound Of Londonなどの作品に参加、自身のバンドLost Horizonsでも活動しています。

[Lonely Is An Eyesore / V.A.] (1987)

当然ですが、Alan CurtisがDuran Duranに残るという選択は決して無かったのだろうとは思いますが、人生の選択でここまで差が付くものなのだな、とは考えてしまいます。そうでないと、Dif Juzのサウンドは生まれなかった訳で、それが世に出たことは喜びたいですが、4ADとの軋轢が無ければDif Juzとしての作品がもっと世に出たのでは、とも思えて切なくなりますが、これが運命、やはり何があるかは分かりません。ということで、けしからんかも知れませんが、彼らと4ADとの関係が良好だったら届いたであろう新たな楽曲に思いを馳せながら、4ADのコンピレーション・アルバム"Lonely Is An Eyesore"と、編集盤"Soundpool"収録のこの曲を。

"No Motion" / Dif Juz

#忘れられちゃったっぽい名曲


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