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09.「クラスの荒れ」対策本紹介と、掃除させたら怒られた話

(画像は実家のグリーンの瞳の保護猫「与作(♀5歳)」で記事とは関係ありません)

今日の新聞記事の中にもあった。

他人の行動を参考にして自らの行動を決める『規範性』の高い日本では、何となく周りの行動を規範としています。みんなが外出を自粛していればそうしますが、時間がたって周囲の人が出歩くようになると『ほかの人も外出しているから』となってしまいがちです」

生徒集団って、これこれ。
朝の全校集会のために体育館に移動するタイミングとか、自分で判断できないんだよな。学力の低い層ほどより顕著。「みんな」が動けば動き出す。誰も動かなければ、自分も動かない。誰かが喋れば喋り出す。誰も口を開かなければ、黙っている。

まあ、大人の集団だってこの傾向はあるが。やはり農耕民族、ムラ社会の日本人の性質なのか。

そのため、教員時代はけっこう「クラス運営のためのサクラ作り」に腐心した。朝早くに登校している生徒や、「真面目な生徒」枠の子に声をかけておいて無自覚な先達役にするのだ(悪く言えば利用する)。

そういう、策略的な部分が集団指導には欠かせない、ということを担任をやってみて学んだ。

担任になると決まってからは、給料に余裕があったのもあり、Amazonでクラス運営関連本をだいぶ買い漁った。その中で記憶に残っているものをちょいと紹介。
(離任するときにほとんど元同僚に譲ってきてしまったので、覚えていることを書くだけで「紹介」と言えるかも怪しいが)

ここ数年でAmazonの教員向けコーナーも充実してきたけど、圧倒的に義務教育向けが多いんだよね。探すのには苦労したわ。

離島の高校で、2年先輩の理科の先生(警察沙汰を起こす生徒がフツーにいるクラスの担任をしていた)にしばらく貸してもらったのち、自分でも購入。
「原則」が具体的で、実行してそれなりに効果を感じた本。

結局、どんなに優秀な講師の研修とか受けたところで、そのまま自分でコピーはできないから、必須の「原則」を頭に入れたうえで、目の前にいる集団に合わせた対策を講じていくしかない。

ケーススタディ式の本文が読みやすく、具体的な言葉がけの例が載っている。いくつか実行してみて、うまくいった記憶。

シビアな現場を経験したおじさんが書いたんだろうな、という印象の本。昭和テイストが漂う。ほぼサブタイトルの内容。

おそらくこの先生の「授業の原則10か条」って感じの一覧(この本ではなくて、他の本かどこかのサイトとかで紹介されていた)は、プリントしていつも持ち歩いていた。「一度の指示で、1つ以上のことをさせてはいけない」とかそういう感じの。

この本でかなり勉強になったのが、「新クラスが始まって、生徒がまだ緊張でおとなしいうちにこっちでさっさとクラスの体制を固めてしまおう」という考え方。

座席や委員、掃除当番なんかは生徒の自由意志に任せる担任もいるけど、個人的には、進研模試偏差値のクラス平均が55くらい超えたメンバー構成でないとまず厳しいんじゃないかという印象。いずれ回らなくなったり、一見回ったとしても声の小さい子を中心に不公平感が生まれたりする。

よって、「猿山」をイメージした筆者のクラスでは、委員や係は希望を書かせた上で筆者が決め(委員長と体育委員は一応一言事前相談)、座席はくじを引かせたうえで調整したりしていた。掃除当番は「教室」「東階段」「トイレ」などだけでなく、「箒」「雑巾」「机並べ+最後にゴミ捨て」などの役割まで全て指定した表を担当掃除場所に貼った。
(特に最後、当初は「指示待ち人間を育てることにならないか」という迷いもあったのだが、「自分の役割」が明確でないと動けない子は実に多い。そして学力層によっては、周囲を見渡して「自分が今何をすべきか」を判断できるような子は皆無に近い。
「掃除の時間にきちんと清掃をする」という目的を達するためには、ここまでの対策が必要だった。実際、他のクラスの担任に好評で、「ウチも来月から真似しよう」と言う人もいた)

そう、掃除。
掃除は大事である。

これは義務向けの感じが強かったが、高校でも十分に参考になる内容だった(というか、底辺校だとあんまり小学校と変わらなかったりする)。

特に、荒れたクラスの担任が、何人かの生徒と一緒に掃除を徹底したら全体が落ち着いた、というようなくだり(うろ覚え)。
風水的にも、埃のたまるところには悪い気がたまるというし(祖母が風水好きで昔からよく言われていた)、掃除を徹底するといいかも! と思ってクラス経営の方針に採用した。


離島の学校に赴任して驚いたのは、「掃除をしないのが当たり前」の生徒の率が圧倒的に高いことであった(あと、なぜか「図書室で本を借りるのは根暗な奴」という偏見の強さ)。

そして、さすが幼稚園から高校までエスカレーター式の地域、ちゃんと掃除をやる生徒たちも、やらない組に対して「あいつはああいうやつだから」と、容認もしくは軽蔑しきっていて、「みんなでやる」という雰囲気が全く育たないのだ。

そんな洗礼といってもいい、まず度肝を抜かれた経験といえば、初担任時の4月、最初の掃除時間に、上級生の男子数名が1年生のクラスまでやってきて、拭かれたばっかりの黒板にでかでかと「◯◯参上!!」と自分の名前を書いて去っていったことだ(◯◯がこれまた見事なキラキラネームだったのでしばらくわけがわからんかったんけど、あとで名簿を見て意味がわかった)。

もちろん無視はできず、「おいおい、きみたちよぉ」みたいな調子でまだちょっと他人行儀に非難の声をかけたが、周りの1年男子は「ヒュー、さっすが◯◯にぃ、いかすー!」みたいに盛り上がる。なんじゃこりゃであった。

(ちなみに、この地域では上級生を「先輩」とは言わず、名前の後に「にぃ」「ねぇ」とつけて呼ぶ。保護者もそれに慣れていて、誰も「先輩と言いなさい」とは言わない。一緒に本土から来たある教員は「気持ち悪っ」と感想を述べていた)

そんなクラスであったので、特に数名の男子生徒の掃除指導には苦労した。和やかなジブリのBGMが流れる掃除時間は常にバトルタイムであった。

中には、掃除時間には堂々とグラウンドにサッカーをしに行く同じ中学出身の集団もいた。
「他のクラスの生徒に手を出さない」ことには気をつけていたので(担任でもなければ部活の顧問でもない生徒を指導することは、他の教員の面子を潰すことになる、と考える教員が一部いるのだ)、自分のクラスの生徒だけ首根っこをひっつかむようにして(あくまでたとえである。身長が圧倒的に届かない)、教室に連れ戻しては箒を持たせる、を約一ヶ月繰り返した。

学年全体にも協力を仰いだところ、5月後半くらいからはその生徒も堂々と外に出て行くことはなくなった。
が、こっそり抜け出すことはままあったので、気付いた時はできるだけでかい声でその背中に「おーい++くん、どこ行くの。きみが箒しないと始まんないよー」などと声をかけた。それでも逃げる時は自慢の俊足で逃げ去った。

5月の頭、GW明けに数名が謹慎(停学)を受けて萎縮したのが功を奏したか、暑くなる頃には徐々にクラスにいわゆる「落ち着き」が生まれてきた。

そんな矢先であった。
夏休みの前は、恒例の三者面談をせねばならなかった。こういうクラスだと、保護者に書いてもらう提出物(ここでは希望の面談日時を書く紙)の回収にも苦労する。最後の提出があったのは、提出締め切りから2週間ばかりが過ぎようとしていた頃であった。

で、その最後に提出したご家庭の三者面談。まずは、どの生徒の場合も「日々の家庭学習時間の記録」(毎朝書かせる)の振り返りから入るのだが、

筆者「ちょっと、少ないですねー。部活で疲れてるんですかね^^」(※実際は毎日ほぼゼロ時間)
保護者「確かに、毎日本当に部活頑張ってますから。…(不思議な間)…でもね、ウチ思うんですよ、この子がいつも疲れて帰ってくるのは、先生の指導のせいも大きいんじゃないかって」


——は い? 


まず、「ウチ」が「我が家」の意ではなく、この人の一人称であると理解するのに少し時間を要した。その間にも、目の前の少し年上の女性は(離島は基本的に母親が皆若い)どんどんまくし立てる。

「掃除なんてみんなしてないのに、先生がこの子にばっかり、恥をかかせるように大きな声で名前呼んで追い回して、みんなの笑い者にしてるって。他の子からも聞きました、ちゃんと証言録音したんですよ。そういうのって許されるんですか? よっぽど教育委員会に訴えようかとも思いましたけど、まずは直接言ってあげたほうがいいかなって思って、本当は顔も見たくなかったんですけど、今日はこうして来たんです」

(↑実際はもっと、そりゃあもう色々な要素があったのを要約している)

「……はあ、そうでしたか。++くんにそんなにつらい思いをさせていたのなら、謝ります。(内心:「なんだこの茶番w」)ただ、別の中学から来ている子とかで、毎日雑巾持ってしっかり掃除している子もいますからね。そこはクラスの中で平等にしたいと思って、させていただいてます」

「だからって、なんでうちの子ばっかり、〜〜〜(略。つかもう覚えてない)(←ここでの「うち」は「我が家」の意味だな——そんなところに意識を集中させるしかなかった。あと、この「うちの子ばっかり」がこの人の口癖だということを後に知る。ずっと「なんで私ばっかり」って言って生きてきたのだろう)

そりゃ、理由を言えば、お子様が、クラスで一番掃除しないからとしか言えないんですけど? ——と言いたい気もしたが、ここまでくるとむしろ頭の中はひんやりとしていた。教室の外、廊下に並べた椅子のあたりに人影が見えたので、
「そろそろお時間も来てますので、一学期の通知表をお渡ししますね^^」
と、なおも納得いかないらしい表情はできるだけ見ないようにして、通知表を渡して、終わった。

今思い出して打っていても、なかなかに震えが来たわ。
すごいよねというかむしろ、可哀想。そう、この人と関わるときは努めて可哀想、と思うようにした。

それでもなかなかの追撃はあった。いつかの記事でも書いたが、土日の夜に携帯にクレーム電話とかしてくるのはたいていこの人であった。

「集金封筒がまだ配られてないようなんですけど? 来週から集金期間ですよね? 前もそうじゃなかった? あなたは独身だし公務員だからいいんでしょうけど、うち(我が家の意)みたいな普通の家じゃね、兄弟もいるしお金なくて困るのよほんと! いい加減にしてくれない?」

……これが土曜日の20時すぎ、お風呂上がりとかにかかってくるのである。

(確かに、筆者はそもそも物の管理が苦手であるからして、かつ集金封筒の管理から何からお金に関することも全部担任にやらせる事務体制——のちに生徒による盗難事件が起きてから改められたが——のため、集金期間が始まってから封筒を渡すことは、実際多かった。でもここまで言うのはここだけやったわ)

とはいえ、此方のご家庭がひときわ際立って燦然と輝いているだけで、他にもいたからね。こういうの。毎日朝から晩までこういうのの相手が続く日々。
これで教育に対する熱が冷めない人がいたら、ほんと尊敬する。実際いたし。まじ尊敬。

上記のような話をすると、先にも登場した一緒に異動してきた同僚は、

「いやー、さすがだね! ついには独身貴族差別、公務員差別まで始めましたか、はっはっは」

と笑った。(彼のクラスの生徒は筆者のクラスよりずっと知力の高い子が集まっていたのでこういったトラブルはなかったが、父親が生徒の教材代や夏服代まで使い込む家庭とかもあってそれはまた大変そうであった)

「でもね、先生のクラスは最近ちゃんと人の話が聞けるようになりましたよ。隣の組はほんと授業中うるさいけど。いやいや、お利口お利口。授業行くのが苦じゃないもん。英語のN先生も言ってましたよ」

——こう言われて、「嬉しい! もっと頑張っちゃうぜ!」と思えるような人は、きっと教員に向いているのだろう。

筆者はそうではなかったので、別記事に書いたとおり、徐々に転職へと意識が向いていった。
(だって、無駄だもんよ。こんな人たちの相手をして過ごすなんて。人生の時間がもったいない! タイムイズマネー! ということで、年収は2〜300万下がったって無駄なことに時間を割かずに済む仕事に就けて今は本当に幸せです)

以上、もしかしたら1番の転職の原因と言ってもいいかもしれなかったエピソードの天日干しであった。お粗末。

次回「10.パワハラしていいのは、パワハラされる覚悟がある奴だけだ」(予定は未定)

読んでくださり、ありがとうございます。 実家の保護猫用リスト https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/25SP0BSNG5UMP?ref_=wl_share