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【書評】100のモノが語る世界の歴史

今回は、モノから見るヒトの営みについての本「100のモノが語る世界の歴史(※1)」を紹介します。この本は"A History of the World in 100 Objects”という、もともとはイギリスのBBCラジオで放送された番組を書き起こしてまとめたものです(※2)。約800万点にも及ぶ大英博物館の所蔵品の中から、人類全体をできる限り平等に網羅する100点を選ぶ、という企画で、それら一つ一つのモノについて、館長のニール・マクレガーさんがゲストを交えて語っています。マクレガーさんはナショナル・ギャラリーから大英博物館へと引きぬかれ、10億円近くの負債を抱えていた大英博物館を世界第2位の来館者数(※3)までに成長させた敏腕館長です。

モノを見せないでラジオで伝える、というのはなんとも難しい試みに思えますが、そこはマクレガーさんの腕の見せどころ。ヒトの声と打楽器を用いた壮大な音楽から番組は始まり、第1話はなんと電磁波の音!が最初に流れます。この電磁波音は“幽霊の音”だと話し始めるマクレガーさん。21世紀のラジオから流れる音は、西暦1054年に地球で観察された超新星爆発、その残骸が発する電磁波音なのでした(※4)。そこから話は過去へと繋がっていきます。1000年前の超新星爆発を、人々は世界各地から見ていました。中国の天文学者は文章として記録し、イラク人は星の明るさについて述べ、アメリカの先住民は星の壁画を書き、日本では藤原定家が書いた「明月記」にその記述があります。その時代の人々は何を行い、作り、考えていたのか?ここから100のモノへの旅が始まります。
番組自体、とても魅力的なのですが、話を聞いたらどんなモノなのか見てみたくなるのが人情(?)です。この本はそれぞれの作品の話の中に、写真をカラーで大きく載せてありますので、気になって仕方ない人でも読み進められる安心設計になっています。


話はタテにもヨコにも広がる

扱われるモノは約200万年前のオルドヴァイの石器から、中国の銅鈴、ハワイの羽根の兜、クレジットカードに至るまで様々です(※5)。マクレガーさんの語りの最大の魅力は、モノを通してタテ(時代)にもヨコ(地域)にも物語が広がっていくこと。言語学・哲学・法学・美学と幅広く学んだ知識を活かし、様々な視点からモノを見つめます。
例えば縄文の壺。大英博物館にある約7000年前に作られた縄文の壺も、100のモノのリストに入っています。ヨーロッパでは長い間、農耕を通じてのみヒトは1つの場所に定住することができ、それによって土器や陶器を作ることが可能になったと考えられてきました。ところがいまや、現存する最古の土器を作り出したのは縄文人であり(※6)、狩猟生活を送りながらこのような壺を使っていたことがわかっています。土器は農耕民だけのものでなく、狩猟採集民にとっても料理用・備蓄用の土器は必要だったのです。そこから話は広がり、縄文模様の装飾性(ある様式においては25年単位で年代を特定することができるとのこと!)、土器による煮炊きがいかに食生活を変えたかについて語られます。そして話はこの時代だけに留まりません。大英博物館にあるこの壺、じつは後世になって内側に金箔が張られ、茶道で用いる水指(水を蓄えておくための器)として使われていました。茶道では「見立て」といって、例えば漁師が使っていた魚籠を花入にしたり、朝鮮半島での日常雑器を茶碗に使うなど、茶道具ではないものの中に美しさを見出して茶道に取り入れるということをします。この壺もその一つで、これによって縄文時代だけでなく、江戸時代の美意識にまで思いを馳せることができるのです(※7)。


なぜ歴史をモノから見るのか?

ここまで話してきておいて今更ですが、なぜヒトの営みの歴史をモノから見る必要があるのでしょうか?歴史はその言葉が示す通り、文字記録が重要な資料となります。けれど文字を持つ人達がいたのは世界のほんの一部の地域・時代に限られているので、様々な非対称性が生まれてきます。キャプテン・クックの探検隊がオーストラリアの先住民に出会った時の記録として、探検隊の側は報告書と航海日誌が残されている反面、先住民の側は木製の盾しかありません。その時起きたことを再現しようとすると、文献と同じぐらい深く、盾から過去を読み取らねばならないのです。「人類全体をできる限り平等に網羅する」100点を選ぶということは、モノを通して文字なき人々の歴史の声も汲み取るとういう意味が込められています。
更に、モノは文字にはない、様々な可能性を秘めています。縄文の壺のように、作られた後になってたびたび変わることはモノの重要な特徴であり、当時は思いもしなかった意味を持つようになります。また、地域・時代を超えて、モノから世界を見ることによって分かる事実もあります。ある時代において同時発生的に起きた変化、ある間隔で繰り返される現象。例えば西暦300年頃、なぜか同時期に、ヒンドゥー教・キリスト教・仏教が崇拝対象(神やイエスやブッダ)をモノとして具現化するようになったこと。あるいはエジプトとスーダンの地域間での、主に水資源をめぐっての3000年以上に渡る断続的な争い。
ヒトは変化しているようで、変わらない。


大英博物館の野望

最後にこの記事のトップ画像になっている絵を紹介したいと思います。この絵、何の動物か分かりますか?
これはアルブレヒト・デューラー(1471年-1528年)が描いた犀の木版画です。デューラーは犀を一度も見たことがありませんでしたが、犀に関する様々な書簡や版画を頼りににこの絵を完成させました。本物の犀と全く同じではありません。肩に角があったり、甲冑のような皮膚だったりと、間違っている部分もあります。けれど一目見れば犀だとわかるし、それにとてもユニークです。繊細な筆致で描かれていて、思わず見とれてしまう美しさがあります。
マクレガーさんは、大英博物館の野望をこの絵が表していると言います。
『この犀は強烈に感情に訴え、実物に迫るものがあるので、ページから逃げ出すのではないかと恐ろしくなるほどだ。そして、それはもちろん―痛快なほど?痛ましいほど?安堵するほど?(そのどれかは私にはわからないが)―間違っているのだ。だが、しまいにそんなことは問題ではなくなる。デューラーの「犀」は、自分たちの手の届かない世界にたいする尽きることのない好奇心と、それを探求し理解せずにはいられない人間の欲求への記念碑として存在しているのだ。』
ヒトは変化しているようで、変わらない。それでも積み重なって残るものはあって、それがヒトの歴史になっていく。1000年前では知り得なかった世界の歴史を、今の私達が享受できるのは有り難いことです。

(執筆者:mona)


※1 ニール・マクレガー著, 東郷えりか訳『100のモノが語る世界の歴史』筑摩書房 (2012)

※2 BBCのpodcastで同じものが聴けます。

※3 http://www.museus.gov.br/wp-content/uploads/2014/04/TheArtNewspaper2013_ranking.pdf

※4 かにパルサー(かに星雲の中心部にある中性子星)が発する電磁波で、現在でも6300光年先から地球に届いています。

※5 100のモノのリスト(画像有り)

※6 中国北部でも同時期の土器が見つかっています。
Wu, X., Zhang, C., Goldberg, P., Cohen, D., Pan, Y., Arpin, T., & Bar-Yosef, O. (2012). Early Pottery at 20,000 Years Ago in Xianrendong Cave, China. Science. doi:10.1126/science.1218643
また、※1の翻訳書の中で「縄文の壺」として扱われているのでそのままの表記を用いましたが、釉薬がかかっているようなシロモノではなく、「壺形土器」と考えるのが適当だと思われます。

※7 正確には、金箔が押されたのは17世紀から19世紀までのいずれかの時期とのことです。

(トップ画像)
デューラー『犀』

(補足)
ニール・マクレガーさんのTEDでのトークです。キュロスの円筒印章にまつわるタテとヨコの物語が面白くて、こんな風に学べば高校の世界史も楽しめたのかな…と悔やまれます。
http://digitalcast.jp/v/12510/

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