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カビ臭い書庫から【人類学者の日常】

人類学者の仕事場は,実験室やフィールドばかりではありません.それぞれの研究スタイルにもよるかもしれませんが,「はじめに」でtiancun氏も書かれているように,「カビ臭い書庫」も重要な仕事場なのです.今回は,そうした書庫にまつわるいくつかのお話を.


引用が私を思いもしなかった書庫へ連れて行く

論文には,著者の実験や調査で得られたデータが示されますが,同時に,そのデータを解釈し意義付けるために,先行研究の結果やデータも引用されます.ほかの研究者の書いた論文を読むと,「あっこんなことがすでに調べられていたんだ!」などの新たな発見がたまにあり,その引用元の論文を探し,その論文からさらに引用文献をたどって……というように,芋づる式に文献がみつかっていくことがあります.

たとえば今,私がたどりついたのは,1970年代に出版された書籍でした.それは,江戸時代の社会の在り方について書かれたマニアックな本だったりします.インターネットで調べると,「ほうほう,うちの大学の◯◯学部図書館にある……?さすが旧帝国大学」.そうして,広いキャンパスを自転車に乗って移動して,初めて見る建物の階段をのぼり,◯◯学部図書館に初めて足を踏み入れます.

そうして,私は,学生のときに所属していた大学で,研究所や学部や学科やはては研究室まで,いろいろな大きさのさまざまな図書館・図書室に足を運びました.真夏の暑い日にシーンとした書庫でヒヤッとしたり,閲覧室に飾られた歴代教授の肖像を順に眺め渡したり,古い建物を改築した図書館のつくりに感心したり,大きなフロアが数階にわたる巨大な書庫を働きアリのようにあっちこっちしたり.

学生のときに所属していたのはひときわ大きな歴史のある大学で,表の顔の受付と閲覧室も,裏の顔の書庫も,さまざまな個性をもった図書館・図書室がいくつもいくつも存在していました.いったい全部でいくつあるのでしょうね……私がすべてに足を運んだとは到底思えませんが,卒業時には,研究をしていなければ知ることのなかったお気に入りの書庫が,いくつか頭のなかに浮かんだのでした.


学術の営みに思いを馳せる

そうして,人類学の書籍というテーマで忘れてはならないのは,Human Relations Area Files (HRAF)*1でしょう.世界中のさまざまな人類集団について調べられた何百もの研究を,統一的に比較検討できるよう,Murdock博士をはじめとする人類学者が,地域や項目ごとに集積した巨大なデータベースです.これまでは紙ベースで管理されてきましたが,情報は電子データに移され,現在はインターネットから参照できるようになっています*2.

先日,このHRAFを参照する必要が生じました.紙ベースでまとまっているなら全体像も把握しやすいだろうと,これを所蔵している図書館に気軽な気持ちででかけました.そうして,非常にびっくりしたのです! 高さ1.5 m × 奥行き70 cm × 幅1 mくらいのスチール戸棚が40台くらい,図書館の書庫の一方の壁に沿ってどしんどしんと並んでいたのでした.7段の棚には,HRAFのデータカードがびっしり詰まっています.さまざまな研究から抜き出してきたというだけあって,本当に,書籍や論文のページが抜き出されて収容されており,フォントやレイアウトが一枚一枚異なっていました.

この紙版HRAFの圧倒的な重厚感と存在感を目にして,私は思わず,長く執念深い学術の営みに思いを馳せました.ヒトがヒトを理解したいという,数百年前からつづく連綿とした人類学の営みが,データを生み出し,その集積がこんなに荘厳な形に現れるなんて……そのとき私は,書庫の薄暗い電灯のもとで,人類学者として,間違いなく感動していました.

(執筆者: ぬかづき)


*1 「あんそろぽろじすと」でも,以下の記事でも過去に出てきましたね.

はじめてのおっぱい

もらい乳の民族学


*2 残念ながらフリーアクセスではなく,ライセンスを持っている機関経由で閲覧する必要があります.

eHRAF World Cultures

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