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もらい乳の民族学

狩猟採集で暮らしていたり,伝統的な生活をつづけている人びとで,「もらい乳」が予想以上にたくさん行なわれていることを明らかにし,新たな研究の方向性を指し示した論文を紹介します.

民族学研究の長い歴史

狩猟採集によって食物を得ている集団や,工業化の影響をほとんど受けず伝統的な暮らをしている集団の中で,人類学者たちは長らく研究をつづけてきました.ヒトがアフリカで誕生してからの約20万年間のうち,農耕牧畜の営みはたかだか約1万年,工業化にいたってはほんの数百年の歴史しか持っていません.人類進化の大部分において,ヒトは狩猟採集によって食物を得て生きてきたことになります.そのため,工業化した社会に暮らす人びとより,こうした伝統的な暮らしを送る人びとのほうが,大昔の人類に近い生活形態をもっていると考えられます※1.

狩猟採集の集団で人びとがどのように生活しているかを調べることによって,人類学では重要な発見がいくつもなされてきました.農耕社会よりも労働は短時間で余暇もたくさんあること,日々のカロリーを支える食物の多くは大型動物の狩猟でなく植物などの採集から得られること,子供の離乳が終わるのは遅く,出産間隔も4年くらい開くのが一般的であること,などなど…….

そうした民族学 (世界の諸集団の文化や社会を研究する人類学の一分野) の研究の長い歴史があってさえ,実はきちんと研究されてこなかったトピックがあるのです※2.赤ちゃんが母親以外の女性によって授乳される「もらい乳」が,今回とりあげるその例です.

もらい乳の民族学

2014年に,民族学におけるもらい乳研究に先鞭をつける論文※3が発表されました.著名な民族学者2名の共著になるこの論文では,以下3つの主な調査・議論が提示されています.
1. アフリカ・コンゴ盆地のAkaとEféという集団での行動観察
2. これまでの民族学研究におけるもらい乳報告の総ざらい
3. もらい乳の機能やメカニズムについての仮説の検証

順に見ていきましょう. 

1. AkaとEféでの行動観察

これまで「有り無し」程度の記録しかなかったもらい乳を,「いつ・誰が・どのくらい」しているのかを観察しています.AkaとEféはアフリカのコンゴ盆地に暮らす狩猟採集民で,いわゆる“ピグミー※4”と総称される人びとです.どちらの集団にも,年齢や性別の関係ない平等主義と,食物や子育てをよくシェアする特徴があります.論文の著者らはこれらの集団と生活を共にし,特に赤ちゃんを一日中「追跡」して,どのような状況で誰からおっぱいをもらうかを記録しました※5.

その結果,生後4ヶ月くらいまでの月齢では,もらい乳経験をもつ赤ちゃんが6−8割にも達することがわかりました.しかし生後半年くらいで割合は低下し,1−3歳の赤ちゃんでは,もらい乳はほとんど見られなくなりました.

Akaの3−4ヶ月児たちの例を詳細に見ると,もらい乳の相手の9割は赤ちゃんと血の繋がった女性,さらに言うと6割は赤ちゃんのおばあさん (45歳以降の閉経後の女性) にあたる女性でした.

2. これまでの報告の総ざらい

民族学の分野には,これまでに地球上のさまざまなヒト集団でなされた観察の結果がまとめられたデータベースが存在します※6.論文の著者らはこのデータベースから,もらい乳に関する情報を集めてきました.

登録されている全208集団のうち,104でもらい乳が観察されていたとの記述がみつかりました.ただ,もらい乳を普通の習慣としているのは6集団で,残りの多くでは,緊急の状況 (母親の死亡,病気,乳が出ない) でなされていました※7.

3. 仮説の検証

1と2で得られた結果をもとに,もらい乳に関するいろいろな仮説を検証しています.簡単にまとめると,検証の結果,血のつながりが強い相手からもらい乳を受ける場合が多いとする「血縁淘汰説」と,文化的な決まりごとが授乳行動に影響するとする「文化規範説」が支持されました.

新たに浮上した2つの問題

AkaやEféでは2−3歳まで授乳がつづきますが,1歳以降の赤ちゃんでは,ほとんどもらい乳が観察されませんでした.これはなぜでしょう? 狩猟採集民の授乳は赤ちゃんからのはたらきかけで起こるのが多いことから,論文の著者らは,1歳以降の赤ちゃんは母親以外の女性に乳を求めなくなるのではないかと考察しています.

次に,もらい乳の相手は赤ちゃん自身のおばあさんが多いということがわかりましたが,子供をもてる年齢を超えた女性でもお乳を分泌できるのでしょうか? 1で同時になされたAkaの人びとへのインタビューや,2のデータベースにある記述から,また現代の臨床の知見から,閉経後の女性であっても実際に乳を出せることが確認されています※8.

まとめ

著者らも,この論文にコメントを寄せた研究者たち※9も,データの取り方にまだ改善の余地があり,データ数自体も大きくないことを指摘しています.その一方で,これまできちんと注目されてこなかったが実に興味深いもらい乳という行動について,さらなる研究を喚起する良い論文であるとも論じています.

ヒトは,コミュニティや家族のメンバーが協力して,共同で子育てをする傾向の強い生物です※10.この研究で示されたように,予想以上に多くの集団でもらい乳が存在するという事実は,そうしたヒト本来の傾向とよく一致しており,たしかにうなづけるものがあります.

(執筆者: ぬかづき)


※1 そうした集団を「未開な」「遅れている」人たちと見る向きもあるかもしれませんが,そのような視点はナンセンスです.人類集団は,それぞれの環境でそれぞれに適した暮らしをしてきただけで,そこに優劣や方向性を投影するのは私たちの勝手な価値判断です (参考: ジャレド・ダイアモンド (倉骨彰 訳). 2012 (2000). 銃・病原菌・鉄. 草思社).

※2 「人は自分の見たいものしか見られない」という格言は人類学の研究にもあてはまるのかもしれません.現代的な生活に慣れた人類学者が,調査地で現地の人びとのあいだに暮らすとき,興味深い事例が目の前で起こっているにもかかわらず,そのようなことがあるとは思いもしないため,そうした事例が「見えない」ことがあるのです.同じ調査地でかつて観察をしたことのある研究者がこの論文にコメントを寄せていますが※9,彼は,たしかにみんな子育てをよく共同で行なうが,もらい乳の存在にはまったく気づかなかった,と書いています.

※3 Hewlett BS, Winn S. 2014. Allomaternal nursing in humans. Curr Anthropol 55:200–229.

※4 アフリカの熱帯雨林に暮らす特に身長の小さい狩猟採集民のことを指す総称です.侮蔑的な意味合いをもつ用語と捉える人もいます.

※5 注意すべきは,女性の乳首に吸い付く行動が記録されているだけで,母乳がでているかどうかは考慮されていない (観察だけでは明らかにできない) 点です.

※6 Human Relations Area Files,略してHRAFと呼ばれます.最近は電子化されてeHRAFとなっています (参考: Human Relations Area Files (略称 HRAF フラーフ) - 国立民族学博物館).

※7 生後すぐに初乳禁忌 (生後数日間は実母の乳をあげない習慣) があり,その期間にもらい乳が見られた集団も多かったようです.初乳禁忌についてはまた改めて記事を書きたいと思います.

※8 著者たちは,最初のうちはまさかおばあさんが乳を出しているとは考えなかった,と論文に書いています.ちなみに日本にも,『今昔物語集』19巻43話の「貧しき女の捨て子を取りて養いたる女のこと」に,おばあさんがお乳を出せるようになる話があります (参考: 森山茂樹, 中江和恵. 2002. 日本子ども史. 平凡社).

※9 この論文の発表されたCurrent Anthropologyは,本文に対して他の研究者が寄せたコメントと,コメントへの著者らによる返答をあわせて載せるユニークな雑誌です.

※10 参考に以下の書籍をあげておきます.
サラ・ブラファー・ハーディー (塩原通緒 訳). 2005. マザー・ネイチャー. 早川書房.
山極寿一. 2012. 家族進化論. 東京大学出版会.


画像は下記から取得し,改変して転載しました.
ロムルスとレムスの像: She-wolf suckles Romulus and Remus (パブリックドメイン) - Wikipedia 


これまでのあんそろぽじすとの記事は以下からご覧ください。
https://note.mu/anthropologist/m/mf200d5ddbbe8?view=list

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