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集団ドリームワークでしか味わえない連帯感(夢の学び28)

私たちが人間として成長・発達するとは、どういうことなのでしょう。
近代までは、簡単に言うと、子どもが大人にまで成長すれば、肉体の成長がそうであるように、心の成長もそこでほぼストップする(以降は下り坂?)という考え方だったようです。
しかし近代以後、「発達心理学」の「発達」により、人は死ぬまで心を成長・発達させることができる、ということがわかってきました。いわゆる「成人発達論」です。
これこそ、近代以後(ポストモダン)の、つまり「ポスト・フロイト」「ポスト・ユング」の心理学的成果のうち、もっとも意義あるもののひとつでしょう。モストモダン心理学の代表的な理論であるトランスパーソナル心理学の中には、この成人発達論が含まれています。トランスパーソナル心理学とは何かを一言で言うなら、人間の心は、「子どもから大人へ、大人から超・大人へ」という具合いに進化する、という考えです。
子どもから大人になるときにも、大人から「超・大人」になるときにも、共通に起きることがあります。つまり、それが「成長・発達」という現象を端的に定義づけることになるわけですが、それは「無意識の意識化」という現象です。私たちが心の成長を遂げるとは、無意識の中身を、少しずつ段階的に意識へと転換するプロセスだというわけです。これがいっぺんには転換されない、というところがミソです。あくまで段階的に少しずつなのです。

では、無意識の中身がすべて意識に転換された状態とは、あり得るのでしょうか。その状態を、仏教で言えば「悟り」と呼ぶわけです。
ならば、「悟りを啓いた人は、無意識の中身を意識の中に常にすべてぶら下げて歩いているのか」と思うかもしれませんが、おそらくちょっと違うでしょう。無意識の中身を取り出そうと思えば、いつでも引き出しを開けて意識の俎上に取り出すことができる、というふうに考えればいいのではないかと思います。言い換えれば、悟りを啓いた人の考えは、誰よりも広く・深く・高い、と言えるでしょう。いや、思考そのものも「超越」しているかもしれません。

さて、このような「無意識の意識化」という作業は、確かに極めて非日常的で、ある意味特殊なノウハウを要する作業です。「さあ、私は今から自分の無意識の中を覗き込んで、その中身をひとつひとつ順番に取り出し、意識の明るみで吟味しよう」と思っても、なかなかできるものではありません。
私の知る限り、もっとも簡単で確実で、万人にとって可能となる「無意識の意識化」作業は、ドリームワークです。夢はもちろん無意識の産物であるため、夢の意味を読み解く試みは、端的に言って、自分の無意識を意識的に覗き込む行為です。それに慣れていない人は、そのことに恐怖を感じ、ためらうかもしれませんが、ある意味、その恐怖を乗り越えることこそが、自分を人間的に成長させる第一歩です。そして、覗いてみれば、無意識はそれほど恐ろしいものではない、ということに気づくでしょう。スモークガラスで中が見えない黒塗りのベンツは、外から見ると確かに怖いかもしれませんが、「ガラスが下ろされて中の人が見えたら、憧れのスターだった」ということもしばしばです。

最近つくづく思うのですが、「無意識の意識化」という極めて非日常的でありながらも、人間の成長にとって必要不可欠な瞬間、しかもほとんど初対面の他人とその瞬間を共有する、という経験は、集団ドリームワーク以外では、まず味わえないだろう、ということです。おそらく、夢というワンクッションが大事で、これがもしダイレクトな心理カウンセリングのような手法だったら、(それこそマインドレイプのような)危険を伴ったりするかもしれません。ドリームワークだからこそ、無理のないかたちで無意識の深みに達することができ、しかも集団ワークだからこそ、それが安全なかたちで成立する、という気がするのです。
自分の無意識を他人に覗かれるのは怖いはずなのに、ドリームワークの場では、それがしばしば、ある種の爽快感や解放感にかわったりもします。
もうひとつ、集団ドリームワークの場で、参加者が必ずといっていいほど実感することがあります。それは、自分の無意識と、ほとんど初対面の他人の無意識とが、驚くほど共通していて、なおかつそのワークショップの場でシンクロが起き、ある種の連帯感まで生じ得るということです。しかも、この連帯感は、理屈というより、一種の皮膚感覚で感じるものです。こういう連帯感は、政治の話をしても、宗教の話をしても、得られないことです。不思議なもので、夢を媒介に連帯感を得ると、たとえその人と政治的・宗教的信条が異なっていても、その違いを許せる、ということも起こってきます。
そうした意味で、集団ドリームワークは、知的興奮に満ち溢れ、他では味わえないような独自のダイナミズムを持った、人間的でもあり、超・人間的でもある、極めてユニークなものでしょう。
これは、「無意識の意識化」が、人間にとってどれほど普遍的な営みであるかの証拠だという気がします。

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