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シリーズ「新型コロナ」その48:ワクチンは本当に「切り札」か?

■ワクチンで思考停止になってはいけない

新型コロナウイルス感染症の収束へ向けて、「頼みの綱」あるいは「最後の切り札」のようにして、世界中が待ちに待った(?)ワクチンが、わが国でもいよいよ供給体制に入ったようだが、私はこの浮足立った情勢(風潮)に対し、大きな危惧を抱いている。
連日の報道においても、医師などの専門家が登場して、臨床試験のデータを根拠に、新型コロナ・ワクチンの有効性・安全性をアピールしている。もし、こうした報道が「ワクチンを打つのが、人として正しい道である」式の世論形成の土台になっていくとしたら、「ちょっと待った!」と言いたい。
ここで、もし「ワクチンに関しては医師の言うことを聞いていれば間違いない」といった前提に立つなら、「会議に際しては、男性だけで決める方が、長引かないですむ」式の誤謬に近づく。これは比喩でも何でもない。この両者は、思考の構造としては同じなのだ。
新型コロナに散々振り回されている私たちは、どこかで「ワクチンさえあれば・・・」とすがるような思いでいるフシはないだろうか。思考を停止させる道具として、ワクチンほど有効に機能するものはない。
感染症のパンデミックのような世界的パニックが起きたとき、最も危惧すべきは思考停止になることだ。ワクチンが今、その思考停止の道具になろうとしている。考えるのを止めるなら、あなたがワクチンの道具になるだろう。本当にそれでいいのか?

■コロナの死亡者はインフルエンザと同程度

まず最初に、思考停止にならないよう、ある統計データを紹介しよう。
2018年のインフルエンザによる死亡者は3325人。一方、2020年12月31日時点での新型コロナウイルス感染症による死亡者は3414人。これは、2020年の一年間での死亡者数とみて間違いないだろう。
ほとんど変わらないのだ。インフルエンザに関しては、ワクチンも治療薬も充分に供給されているはずなのに、なぜ死亡者が新型コロナと同程度なのか?
しかも、そもそもインフルエンザと新型コロナでは、致死率がまるで違うはずだ。
新型コロナウイルスの致死率は、全年齢域での平均で0.1%~4%程度と考えられている。
一方、季節性のインフルエンザの致死率は0.1%程度、2009年に流行した新型インフルエンザでも0.01%程度とされている。
この致死率の違いで言えば、2020年の新型コロナによる死亡者数は数万人レベルでもおかしくなかったはずだ。しかも新型コロナに関しては、2020年時点ではまだワクチンさえなかったわけだから・・・。
これは、いわゆる「手洗い・うがい、マスク着用、外出自粛、三密回避」といった感染症予防の基本的な対策が功を奏したとしか考えられない。

現に、新型コロナとインフルエンザのダブル流行が懸念されていた今期のインフルエンザの感染者は、目下のところ例年の0.12%にとどまっているという。

「今季インフル患者、累計でたったの793人、例年の0.12%:2020年9月からの21週間で」
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00867/

ならば、インフルエンザに対しても、毎年(冬場の流行季だけでも)新型コロナと同様の対策を講じていたら、毎年の死亡者は1000人を切るレベルに抑えられていたかもしれない。しかも、ワクチンがなかったとしてもだ。
2018年の3325人という数字はインフルエンザが直接的な死因となった死亡者の数だが、これに、インフルエンザにかかったことによって慢性疾患が悪化して死亡した人の数(これを超過死亡概念という)を足すと、毎年約1万人程度になるという。この人たちは、いったい何の犠牲になったのか。思考停止になる前に、このことは真剣に考えておく必要がある。

※ここまでの数値データは、以下のサイトから。
https://www.clinicfor.life/articles/covid-072/
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_15828.html

■ワクチンは何のために打つのか?

私たちは、インフルエンザによる死亡者に関して、なぜこれほど無頓着なのだろう。どこかで「インフルエンザで人が死ぬなんて、滅多にない」とタカをくくっていたフシはないだろうか。
いや、「そもそもワクチンって何なのよ」と首をかしげたくもなってくる。
私の見立てはこうだ。
もし私たちが、現在の新型コロナに対するのと同程度に、インフルエンザに対しても毎年警戒と対策を怠らないようにしていたら、つまりインフルエンザの流行季に入ったら、「手洗い・うがい、マスク着用」はともかく、「外出自粛」と「三密回避」をやってしまったら、経済が回らなくなる、ということだ。言い換えれば、経済を回すために、私たちが流行病に無頓着になる必要があり、そのためにワクチンが必要になる、という三段論法なのだ。これは、「政府がそうしている」という意味ではない。私たちが、意識する・しないにかかわらず、「そういう状況を容認している」ということだ。市中に感染症が流行しているにもかかわらず、多少熱があろうが平気で学校や職場に行き、大勢で会話をしながら食事もしていたのだ。

ワクチンは、本当に感染症の蔓延を抑え込む決め手となり得るだろうか?
ワクチンの登場によって、私たちはあっさりと普段の生活に戻っていいのだろうか?
もちろん、ワクチンには、感染症のリスク軽減に関し、ある一定の効果があるだろう。しかし、相当数の人がワクチンを接種するのにかかる膨大な経費(開発費も含めて)と、ワクチンがあっても毎年一定の人が感染症で死ぬという事実と、感染症に対する私たちの警戒心を鈍化させてしまう、という負の作用を差し引いてなお、ワクチンの有効性は充分に高いだろうか。

■ワクチンの「費用対効果」

これはおそらく、ワクチンの「費用対効果」というテーマになってくる。
ワクチンの存在意義を数値に置き換えて考えるひとつの方法として、「費用対効果」は無視できないはずだが、そもそもワクチンの「費用対効果」を真の意味で計算することは可能だろうか。
まず、あるワクチンを開発し、有効性・安全性を試験し、確認できたら特定量を製造し、それを流通させ、充分な人数の人々に接種する、というすべての工程にかかる費用を計算する必要がある。これが「費用」の部分だ。これは何とか計算できるかもしれない(製薬会社が経費を発表するかはわからないが)。これを接種人数で割れば、一人当たりの必要経費単価が出てくる。もちろん量産体制に入れば、単価は下がってくるかもしれないが、とりあえず初期費用だけでも計算しておく必要はある。

一方、「効果」の部分を計算するには、どのような変数を用いるのか? もちろん第一に、ワクチン導入前と導入後で、感染者、重症者、死亡者がどの程度減ったか、という指標があるだろう。これは医療の逼迫度に直結する数字だ。ワクチンの有効性を評価するには、これらの数値が何人まで減ったら、「有効性あり」と証明できたか、の指標が必要となる。ただし、この計算には、ワクチンの接種によって副反応を起こすリスクは一切含まれない。本来なら、マイナス要因として、「効果」から差し引かなければならない変数だ。しかし、これは事実上計算できない。なぜなら、人間一人当たりの「命の値段」というところにまで行きつくことになるからだ。一人の命を救うのも、一万人の命を救うのも、同様に尊い、とするなら、事実上ワクチンの「費用対効果」など、計算しようがない。

いや、実はもっと根本的な問題がある。
そもそも、ワクチンの感染症抑止効果を純粋に評価するためには、被検者をワクチン接種群と非接種群に分け(それも数万人単位で)、どちらもワクチン以外の感染予防対策をいっさいしない前提で、一定期間経過観察をしなければならない。さもないと、ワクチンが功を奏したのか、その他の予防策が功を奏したのかが不明瞭になってしまう。しかし、このような大規模な人体実験は倫理的に問題があるし、そもそもこれだけの人数の被検者を厳格な統制のもとに経過観察することも事実上不可能だろう。つまり、ワクチンの有効性をまともに評価するには、あまりに不確定要素が大きすぎるのだ。特に、新型コロナのように無症状感染者が多いようなウイルスの場合は、ワクチン効果による抗体なのか、自然獲得抗体なのか、判別も困難だ。
単純な話、ワクチン導入前と導入後の感染者数、重症者数、死亡者数のグラフを見せられ、明らかに減っていたとしても、それがワクチン由来なのか、それともウイルスが自然に収束に向かった結果なのかは、純粋に疫学的な判断にならざるを得ない。逆に増えている、ないし横這いなら、これはワクチンの効果なし、と判断せざるを得ない。

■ワクチンの「利益相反」

ごく一般論を言えば、ワクチンの費用対効果を評価する場合、「ワクチン接種にかかる全費用」と「ワクチン接種によって防げる(と推定される)経済的損失」とを天秤にかける、という手法が用いられるようだ。これは、人ひとりの命の値段を数値に還元することはできないため、「経済的損失」という指標をもってきた、と考えられる。ところが、実質的には「ワクチン接種によって防げる経済的損失」の部分は、「(と推定される)」という但し書きを付けたように、あまりにも不確定要素が大きいため、「推論」あるいは「推計」レベルにとどまらざるを得ないようだ。

国際医療福祉大学薬学部薬学科の池田俊也氏は、「<総説>保健事業の経済評価事例と活用の可能性─ワクチンを中心に─」の中で、次のように述べている。
https://www.niph.go.jp/journal/data/62-6/201362060004.pdf

「予防施策の費用対効果の推計に際しては,長期的な予後や経済影響の推計が困難な場合も多く分析結果が不確実性を伴うこと,社会の視点からの分析においては生産性損失の算出方法が確立しておらず前提条件により結果が大きく変動する場合があることなどの課題があり,今後さらなる技術的な検討が必要である.」
「医療経済評価は実測ではなく推計による場合が多いことから,前提条件や仮定の設定により結果が大きく変わってくる可能性がある.特に,製造業者が分析等に関わる場合については,利益相反(※)の開示とともに,分析の前提条件や仮定を明示することが重要である.
費用として医療費のみならず非医療費や生産性損失を含めるか否か,含める場合はどのように推計するかについても,結果に影響を与える.」

(※)利益相反(りえきそうはん)とは、信任を得て職務を行う地位にある人物が立場上追求すべき利益・目的と、その人物が他にも有している立場や個人としての利益とが、競合ないしは相反している状態をいう。

ワクチンを製造している製薬会社は、もちろん営利企業だ。その営利企業がワクチンの有効性を分析するとしたら、営利目的と、ワクチンの安全性を担保するという社会的責任とが「利益相反」していることになる。営利目的の立場に立つなら、開発費や試験にかかる経費はなるべく節約したい。一方、ワクチンの有効性や安全性を担保するという社会的立場に立つなら、開発や試験には充分な経費と時間とマンパワーをかけるべきだろう。そこに利益相反がある。
そこで、製薬会社が本当に自らの「利益相反」を正直に開示し、分析の前提条件や仮定を明示しているかどうか、そこに手抜きや杜撰さはないか、客観的に判断する必要がある。
私は、この記事を書くにあたり、何とか「一次情報」にアクセスしようとした。つまり、ワクチンの製造会社そのものが公的に発表している臨床試験の詳細な報告書がないか探したのだ。しかし結局見つからなかった。さしたる根拠も示されないまま、私たちは製薬会社が発表する(あるいは第三者機関が解析する)「ワクチンの有効率90%」といった数値を鵜呑みにするしかないわけだ。

ワクチンの費用対効果、いやそもそもの製造目的(利益追求か、社会貢献か)が曖昧である以上、製薬会社にとっては、ワクチンの開発・製造で充分な利益が見込めるか、が最も重要な「費用対効果」の指標にならざるを得ないし、国にとっては、ワクチンの普及によって、感染症が収束したか、対策に直接的な公費をかけずにすむようになったか、医療崩壊を防げたか、医療費の削減につながったか、いやむしろ、ワクチンの普及によって混乱が収まったか(世論が静まったか)という判断基準にならざるを得ない。つまりここには、ワクチンによって命を救えた人数(あるいは、かえって命を脅かした人数)などという評価概念は含めようもない、ということだ。
「ワクチンによって、多くの命が救われます」と明言する人には、その根拠をしっかり示してほしい。

そもそも、何をもって感染症の「収束」と呼ぶのだろう。
もし、新型コロナの収束を、毎年のインフルエンザの流行程度にまでなった、というところに持ってくるなら、すでに収束していることになる。あとはぶり返さないように注意すればいい、という話だ。しかし、今の状態で緊急事態宣言を解除し、警戒を解けば、感染が再燃することは目に見えている。とはいえ、いつまでも「自粛」生活が続いては、経済へのダメージが深刻化してしまう。そこでワクチンが「頼みの綱」となる。
そう考えるなら、結局のところ、皆が警戒を解いて、いつもの経済活動に戻れて、毎年一定数の犠牲者で収まりがつくようになるためのワクチンということになる。
これは、あまりに皮肉な見方だろうか?
しかし、くり返すが、この状況を容認しているのは、ほかならぬ私たち自身だ。

現実問題として考えなければならないことは、このシリーズでもさんざん取り上げてきた通り、ワクチンなしでも早期に新型コロナを収束させた国はある、ということだ。そうした諸外国と日本の違いは何なのか、真剣に考える必要がある。国家元首の政治的手腕の違い? もちろん、それもあるだろう。しかし、それだけではない。国民の意識の問題でもある。

■ワクチンに感染予防効果はない

さて、ここでひとつの公的な資料をご紹介しておきたい。
「第17回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会 資料3(2020年10月2日)(新型コロナ)ワクチンの有効性・安全性と副反応のとらえ方について」
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000680224.pdf

よくも悪くも、日本の行政府がこの新型コロナ・ワクチンについてどう考えているのかが端的にわかる資料である。なるべく多くの人に目を通しておいていただきたい資料だ。
できれば、目を通すだけでなく、書いてある事柄の裏の裏まで読み解いていただきたい。場合によっては、そこに営利企業の「利益相反」の問題も読みとれるはずだ。つまり、ワクチンの費用対効果や存在意義に関し、分析の前提条件や仮定といったものが、この資料にしっかり明示されているかどうかだ。
お忙しい人のために、私が読んだ限りで、「エッ?」と思った部分を抜き出してみよう。

まず最初に「ビックリするが、よく考えれば当たり前」という内容から。
この資料では、ワクチンの効果として次の4つが挙げられている。
〇感染予防
〇発症予防
〇重症化予防
〇集団免疫効果
このうち、「感染予防」の効果に関しては、「実証が難しい」としている。第3相臨床試験を踏まえたうえでも、「ワクチンで感染が防げるかどうかは、分からない」という記述もある。この記述には「ワクチンの効果により発症しないが、感染してウイルスを持っている、という可能性も」という注釈がついている。
これは、よく考えれば当たり前のことだ。つまり、ワクチンの接種によって抗体が出来上がることは立証されているだろうが、ワクチンによって知らず知らずのうちに抗体が出来上がっている人が、その状態で市中に出て行って、もし万が一どこかで感染したら、ウイルス保持者であるにもかかわらず症状が出ない、つまり無症状感染者と同じ状態が人為的に作り出されることにもなる。そういう人が野放しになるとしたら、感染予防どころか、かえって感染を拡げる結果にもなりかねない。
そう考えると、インフルエンザで毎年相当数の人(特に高齢者や基礎疾患を持った人)が死ぬのは、インフルエンザワクチンによって無症状感染者と同じ状態になった人が相当数いるからだ、という合理的疑いも出てくる。
最近の報道などでは、ワクチン接種後も油断せずに感染予防に努めるよう推奨されている。つまり、ワクチンを接種しようがしまいが、感染予防に励むことに変わりはない、というわけだ。この事情は、まさに毎年のインフルエンザが抱える事情(ワクチンなしでも、対策次第で流行は抑えられる、という事情も含め)と共通している。ならば何のために様々なリスクを背負ってまでワクチンを接種するのか? 感染しても重症化しないため?(それも疑わしいことは、以下に述べる)

もうひとつの疑問。現在、医療従事者が真っ先にワクチン接種対象者になっているが、もし医療従事者がワクチンを接種することで、無症状感染者と同じ状態になったとしたら・・・。ただでさえ具合が悪くて病院に来ている患者に対し、医療従事者との接触によって市中以上に濃厚な新型コロナへの感染リスクを負わせることになってしまう。それを考えるなら、医療従事者への優先的接種の論理的根拠は希薄だ。

さらに、ワクチン接種後は「接種証明書」が発行されるが、たとえば横須賀市では、これを提示することで、市内の店舗で割引サービスが受けられる、といった施策も検討されているという。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000207219.html
つまり明らかな経済活動へのインセンティブである。これも、GOTOキャンペーン同様、感染予防と真っ向から対立する施策ではないか。
人は何も懲りていないし、何も学んでいない。

■ワクチンによる集団免疫効果は実証されていない

さて、もうひとつのワクチン接種効果である「集団免疫」だが、これも同資料によると「大規模な接種後まで分からない」としている。その例として、「インフルエンザワクチンでは、一定の発症予防効果(研究より20から60%)や、重症化を予防する効果が示されているが、集団免疫効果はこれまで実証されていない」としている。どうやら、集団免疫効果は、「ワクチン自体の感染予防効果」が立証され、なおかつ「基本再生産数に応じた閾値より高い接種率」が確保されない限り立証できない、ということらしい。つまり、「ワクチンによって集団免疫が獲得できるかは、多くの人が集団免疫を獲得してみない限りわからない」という論法らしい。
これも、実は論理的に考えればわかることだが、ワクチンと集団免疫との因果関係を厳密に評価するには、相当数の被検者をワクチン接種群と非接種群に分け、両群が交じり合わないよう明確に生活圏を分けたうえで、同じ条件下で一定期間経過観察し、そのうえで両群の感染状況、重症化率、死亡率、実行再生産数などの推移を見てみなければわからないはずだ。
結局のところワクチンでは、他の人にうつしたり、感染を拡大させたりする危険性を回避できるかどうか評価しようがない、ということだ。「ワクチンを打った人たちで、高齢者や基礎疾患を持つ人を取り囲んで守ろう」といった「人間の壁」スローガンは成立しないことになる。高齢者などの福祉施設の職員にしても、「私はワクチンを打っているから、安心して入所者のお世話ができる」とは言えないことになる。もちろん医療従事者が患者に対するときも同様だ。

■発症予防も重症化予防も効果不明

「効果あり」とする発症予防にしても重症化予防にしても、疑わしいところがある。
ワクチンの接種によって抗体が発生し、それによって発症が抑えられたことを証明するためには、大きく二つの前提条件が必要になる。まずひとつは、ワクチン接種前に、その被検者が新型コロナウイルスに対して陰性であったこと。これに関しては、臨床試験において事前検査が行われた旨の記述がある。もうひとつは、ワクチン接種後、一定の期間被検者を隔離観察して、抗体の出来具合を確認すること。さもなと、ワクチン接種後にどこかで新型コロナウイルスに感染し、それによって抗体が生成された可能性を排除できないことになってしまう。しかし、ワクチン接種後、被検者を隔離観察したかどうかに関しては、同資料からは読み取れない。
純粋にワクチンによって抗体が生成されたかどうかを臨床的に実証しようとすることは、それほどたやすいことではない。特に第3相の臨床試験となると、何万人規模になるため、そうした被検者をいちいち隔離して経過観察するといったことは事実上不可能だ。では、何をもって「臨床試験に合格した」とみなすのか。一般的には、大規模人数による厳密な条件下での経過観察が不可能だからこそ、その代わりにワクチンの臨床試験に何年も時間をかけるのではないのか。今回はその手続きが大幅に省かれている。

同資料では、ワクチンの治験に関する論文報告として、次のようにまとめている。
〇一定の液性免疫(抗体)、細胞性免疫が誘導されている
〇誘導された免疫による発症予防効果や重症化予防効果の有無、免疫の持続期間については、まだ評価されておらず不明。
〇小児・妊婦・高齢者のデータが少なく、不明な点が多い。

つまり、ワクチンによって抗体ができることは評価されるものの、それ以上の有効性に関してはいっさい不明ということだ。
同資料の有効性評価の結論としては、結局のところ現時点では決め手に欠けていて、自分たちで様々な臨床試験を実施してみないとわからない、ということらしい。
つまりは、現時点でのワクチン導入は、見切り発車なのだ。私たちはそれに同意しただろうか?

■ワクチンの安全性も曖昧

では次に、安全性の面ではどうか。
ワクチン接種による様々な副反応について、各製薬会社のワクチンごとにグラフを示しながら解説されているものの、まず気になるのは、どれも第1相・第2相の臨床試験中間結果のデータである、ということだ。
たとえばアストロゼネカ社のウイルスベクターワクチンに関しては、被検者は18歳~55歳の健康成人、計1077人。まずワクチンを1回接種する。その28日後に、10人に対して2回目を接種する。その28日間に、抗体が生成したか、どのような有害事象が発生したかを試験する。
1回目の1077人に対して、2回目の10人というのは、本当に妥当な人数だろうか。28日間という期間も妥当だろうか。
様々な副反応の発生頻度がグラフで示されているものの、あまりに簡易的なグラフで、何人に発生したのか、これが何日分のデータなのか、目盛りがはっきり読み取れない。

ファイザー社のmRNAワクチンの場合は、18歳~55歳の健康成人60人、65歳~85歳の健康成人45人。この試験では、一回当たりの接種量を様々に変えた群とプラセボ群とにグループ分けされたようだ。そのうち何人が2回目(28日後)の接種を受けたかは不明。
1回目も2回目も7日以内の有害事象の頻度がグラフになっているが、やはり目盛りは読み取れない。

これはいったい誰を対象とした資料なのだろう。
私のような素人が見ても「バカにするな!」と声を挙げたくなる。
この二社の試験結果を見るなら、8日目以降に何らかの有害事象が現れても、それはワクチン由来とはみなさない、という意味だろうと受け取るしかない。
ずいぶん「重箱の隅」をつついているように思うかもしれないが、いざ補償となったら、ワクチンと有害事象との因果関係がとたんに問題になってくる。
現に、同資料では、ワクチン接種後に起きた重篤な症状とワクチンとの因果関係が立証された場合、健康被害救済の対象となることを匂わせてはいるものの、実際にどのような基準や指標で因果関係を評価するのかは明記されておらず、因果関係の立証は困難であるとしている。さらに、次のような記述もある。

「新型インフルエンザの予防接種では高齢者の接種後の死亡例が多数報告されたが、個々 の症例の評価の結果において、死亡とワクチン接種との直接の明確な関連が認められた症例は認められていない。」

こんな状態で、専門家はワクチンに関し「局面を一変させるゲームチェンジャー」と言っているようだ。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/210127/mca2101270704006-n1.htm

私たち市民にとっては、相変わらずこのコロナ禍は、自分たちに圧倒的不利なルールでのゲームに思えて仕方ないのだが・・・。

■総論:ワクチンの安全性及び有効性評価について

同資料では、「今回の新型コロナウイルスワクチンの安全性及び有効性については科学的な不確実性がある」と断り書きをつけたうえで、ワクチンの安全性及び有効性について、次のように結論づけている。

〇ワクチンの接種を行うにあたっては、リスクとベネフィットの双方を考慮する必要がある。現在のところ、開発されるワクチンの安全性及び有効性については不明な点が多いが、継続的な情報収集を進める必要がある。
〇特に留意すべきリスクは、現在開発が進められているワクチンでは、核酸やウイルスベクター等の極めて新規性の高い技術が用いられていることである。また、ワクチンによっては、抗体依存性増強(ADE)(※)など重篤な副反応が発生することもありうる。ワクチンの接種にあたっては、特に安全性の監視を強化して接種を進める必要がある。
〇一般的に、呼吸器ウイルス感染症に対するワクチンで、感染予防効果を十分に有するものが実用化された例はなかった。従って、ベネフィットとして、重症化予防効果は期待されるが、発症予防効果や感染予防効果については今後の評価を待つ必要がある。しかし、今から、安全性と共に有効性が妥当なワクチンが開発されたときに備えて準備を進めていく必要がある。
〇実際に接種を始める時期は、安全性及び有効性について国が認める薬事承認が行われた後となる。しかし、新規性の高いワクチンである場合、市販後に多数の人々への接種が開始された後になって初めて明らかになる安全面の課題も想定されるため、現実社会(Real world)での有効性を検討する疫学調査とともに市販後調査を行いながら、注意して接種を進める必要がある。そして、副反応などの発生については、特に情報収集とともに、適切な情報発信を行う必要がある。
〇なお、実際の安全性及び有効性などの性能評価については、医薬品医療機器総合機構 (PMDA)での検討とともに、厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会での議論を十分に行っていただきたい。導入後の副反応のモニタリングについても、予防接種・ワクチン分科会にお願いをしたい。有害事象の発生時の対応についても、予防接種・ワクチン分科会で行うことを確認したい。

(※)抗体依存性増強:本来ウイルスなどから体を守るはずの抗体が、免疫細胞などへのウイルスの感染を促進し、ウイルスに感染した免疫細胞が暴走した結果、かえって症状を悪化させてしまう現象。

やや皮肉な見方をするなら、ワクチンの真の有効性・安全性は、現実社会において実際に広く活用し、(いわば一般市民を被検者にして)いい面も悪い面も出揃った段階にならないと評価できない、ということらしい。ワクチン導入の結果どうなるかは、導入してみない限りわからない、ということを言いたいようだ。

■まとめ:命への責任は私たちにある

まとめよう。
まず第一に念を押しておきたいこと。ワクチン接種は強制でも何でもない。あくまで自己判断である。そこにいかなる同調圧力も働いてはならない。
ちなみに、厚生労働省のホームページには、「接種を受ける際の同意」として、次のような記述がある。

「新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。
予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。
職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。」

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_iryoujuujisha.html?fbclid=IwAR2gHKa7VHJjF-rI5uKteNDILOFaEd1lAEOsJwK-xiHJHXCnzC-xAlHlHp4

私たちは、ある感染症による死亡者がゼロになるまでは、その感染症が「収束」したとは呼ばないのか、あるいは年間の死亡者が何人までに抑えられているなら、事実上の「収束」と呼ぶのか。
あるいは、ワクチンによる死亡例がゼロにならない限り、ワクチンの有効性を評価しないのか、それとも確実に因果関係を立証できる死亡例が何人までに抑えられているなら、そのワクチンを有効と認めるのか、そのあたりの判断基準は、今後しっかりと議論する余地がありそうだ。と同時に、ワクチンの費用対効果についても、納得のいく説明がほしい。
なぜなら、ワクチンに多額の費用をかけるより、充分な社会補償とセットにした短期自粛政策の方が低コストで早期の完全収束が望めるかもしれないからだ。今後、WHOがどのような宣言を出そうが、議論を止めていいことにはならない。

医療現場が逼迫し、崩壊の危機にさらされるという事態を、私たちは今まさに経験している。その最前線の現場においては、日々「トリアージ」を余儀なくされている。目の前に二人の患者がいたら、どちらを先に治療し、どちらを後回しにするか(場合によっては見殺しにするか)という究極の選択だ。この究極の選択は、医療現場でだけ起きるわけではない。市中でも起きているが、見えないだけだ。ワクチン接種によって、私たち自身が無症状感染者と同じ状態になるなら、いちばんうつしてはいけない相手にうつしてしまうかもしれないというかたちで、無意識の「トリアージ」が起きることになる。私たちがそのことに野放図になっているだけの話だ。だからこそ、その究極の選択の責任は、最前線の医療従事者だけに担わせるわけにはいかない。
新型コロナの教訓を無駄にしてはならない。私たちの生命倫理が大きく問われているのだ。ワクチンの有効性・安全性評価にも、同じことが言える。


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