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病が癒えるとは、「死角」がひとつ埋まることを意味する

医者は患者に薬を処方することができる。
しかし患者の行動まで処方することはできない。
「あなたには笑うことが必要だ。だから今すぐ笑いなさい」と言われて、喜んですぐに笑える人間はいない。
「あなたには涙を流すことが必要だ。だから今すぐ泣きなさい」と言われて、喜んですぐに涙を流す人間もいない。

では、結局のところ「薬」とは何のためにあるのか?
「あなたが今感じている感覚は辛すぎるので、少しの間薬で感覚を鈍らせましょう」ということではないのか?
「この宇宙船の内部で鳴り響いているアラームは耳にうるさいので、いったん耳を鈍らせましょう」ということではないのか?
では、いったんそうしている間に、アラームの原因を突き止めるのは誰なのだろう?
どうやら医者は、その役ではないらしい。
では、薬が必要なくなる場所まで患者を導くのは誰なのだろう?

完全な癒しへ向けて、誰が患者を導くのかはわからない。
しかし、患者がどこへ向かうべきかはハッキリしている。宇宙船の内部に鳴り響いているアラームとは、結局のところ「あなたの眼差しや思考には死角がある」ということなのだ。見えていないものほど危険なものはない。見えているなら、踏むのか避けるのか選ぶことができる。
つまり、病が癒えるとは、「死角」がひとつ埋まることを意味する。

確かに、医者は患者を治療する。
看護師は患者を看護する。
一方、家族は患者とともに生きる。
もし、家族が患者の友人を兼ねるなら、家族は患者を一定の方向へ導こうとはしないだろう。なぜなら友人とは、人を変えようとはしない存在だからだ。そのままの、ありのままの本人のファンだからだ。
本当の「癒し」とは、二度と癒しが必要でなくなる場所へ向けて、共に歩むことである。

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