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シリーズ「新型コロナ」その35:コロナ禍で文明を滅亡させないために

■死者の人権を憲法で保障すべきか?

哲学者の國分功一郎氏は、コロナ禍によって、ものの見方がどうしても疫学的な偏りを見せ、いわば人間をもっぱら統計学的な「駒」として扱う風潮に違和感を覚えると言っている。
國分氏は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン氏が、コロナ禍による「死者の権利」の蹂躙という考えを示している例を紹介する。
コロナ禍によって「死者が丁重に扱われ、葬儀を受ける権利」が蹂躙され、遺族は面会も許されず、葬儀を出すこともできない。
これは「人間社会がもはや剥き出しの生以外の何ものも信じていない証しだ」とアガンベン氏は主張しているという。
私は、正確には「死者の権利」ではなく、「死者を丁重に弔う遺族の権利」と言い換えるべきだと思うが、もし仮にアガンベン氏の主張が、「死者も、生きている人間同様、尊厳をもって扱われる法的権利を有する」というところまで踏み込んでいるとしたら、「死者の人権を憲法で保障すべきだ」という議論にまでいくことになる。
國分氏はここで「立憲主義」という言葉を持ち出す。

「死者に敬意を払うことは、社会が大事にしてきたことをきちんと守っていくこと。今まで大事に守られてきた(先人の)ルールを守っていかなければいけないと人が思うときには、過去(歴史)のことを考える。死者の重みが、生きている人間にのしかかってくる。それが、社会の原理原則を守ろうとする気持ちを作る。
死者を敬わない世界は、『現在』だけがある薄っぺらい社会になってしまう。」

國分氏のこの言葉は、「人間の長い歴史性を踏まえずに、現在だけを見るなら、それは薄っぺらい社会になってしまう」という意味なのだろうか。もしそうなら、「歴史を敬え、歴史に学べ」といった程度の主張なので、ことさら「死者の権利」というところまで言う必要はない。だとすると、「死者を敬い、死後の世界を人間の死生観に組み込むことは、現世だけを想定する薄っぺらい社会に重厚さや豊かさをもたらすはずだ」というところまで踏み込んでいると捉えることができる。ならば、やはり「死者の人権を憲法で保障すべき」という議論にまでいきたいのだろう。この考えは、下手をすると私たちの死生観、文化・文明を、数百年前に引き戻してしまう危険性がある。

これは、「現在」を過去との比較において捉えるのか、それとも「現在」という言葉には「現世」という含みもあると見做し、死後の世界との比較において捉えるのか、という問題に置き換えることもできる。実はこの二つの比較は、同じひとつのことの異なる側面なのだ。
そもそも、現在を生きる私たちにのしかかっている先人たちが守ってきたルールとは、どんなものだろうか。それを無批判に守ることは、本当に「現在(現世)」を重厚で豊かなものにするだろうか。

間違いないことは、このコロナ禍は、私たちのものの考え方のうち、特に重要な部分に対して、もはや後戻りできない決定的なパラダイムシフトを突きつけている、ということだ。もちろんその代表的なものとして、私たちの死生観があるだろう。新型コロナウィルスの存在は、「死はすぐ隣にある」という状況を私たちに否応なく突きつけてくる。そしてもうひとつ、「非日常の日常化」(ニューノーマルという考え方)も迫っている。

過去を敬い、歴史に学ぶことが重要であることに疑いはない。しかしそれにある種の「特権」を与えるなら、そこからは何も新しいものは生まれない。
パラダイムシフトとは、過去のパラダイムの延長線上に新しいパラダイムを捉えることではないし、それまでの旧いパラダイムを、まったく異なるパラダイムでもってすっかり置き換えることでもない。旧いパラダイムを踏まえたうえで、それを乗り越える作業だ。つまり、それまでのパラダイムを内に含み込むかたちで、なおかつその旧パラダイムの持つ問題点を解決するかたちで、より拡大・拡張された構造体として新しいパラダイムを構築することだ。そこにこそ、過去と現在の総和以上の何かが生まれる。

■インカ帝国の二つの精神文化

死者にも生きている人間と同等(あるいはそれ以上)の権利を持たせることの危うさについて、ひとつ例を出したいと思う。

話は600年前に遡る。現在の南米ペルーを中心に古代インカ帝国が勃興した。
インカと言えばミイラ信仰を思い出すが、そもそもなぜ死んだ人間を「ミイラ」というかたちで遺さなければならなかったのか。
何と驚いたことに、インカの歴代皇帝たちは全員ミイラにされることで、死後も自分の領地を保持して、臣下の者たちにかしずかれ、着替えや食事まで供され、晴れた日には輿(こし)に乗せられて市中を練り歩き、ミイラ同士が出会うと、お互いに挨拶を交わすように扱われていたという。
インカの皇帝は神格化された存在、いわば「現人神(あらひとがみ)」だった。だから、官僚は同時に神官でもあった。
歴代の皇帝が、ミイラというかたちで、いわば「永遠の命」を与えられ、死んでもなお領地や財産を所有し、臣下の者がそれらを恒久的に管理するとなると、「現役」の皇帝は前任の皇帝から遺産を相続できないことになる。そのように歴代のミイラ皇帝が現役皇帝よりも幅を利かせてくると、歴代皇帝に仕える従者(神官)たちの権力も増してくる。その結果、新しく即位した皇帝は、自分の財産を得るために領土拡張の遠征を余儀なくされることになる。こうしてインカ帝国の覇権主義が生まれた。
事実上インカの最後の皇帝となった十二代目の皇帝は、ミイラ皇帝とその従者たちの領地や財産を没収しようと企て、歴代のミイラ皇帝たちを葬り去ろうとした。それが内乱へと発展し、その混乱の最中にスペインが侵攻してきて、インカ帝国は滅亡した。いわば膨らみすぎた征服欲による自滅だ。覇権帝国の成立から数えると、インカは勃興から滅亡までわずか100年。この経緯を見ると、ミイラ化は権力者の独断で行われていたのではなく、民衆の側も納得ずくだったことがうかがえる。

歴代皇帝をミイラ化して永遠の命を与え、崇拝しているだけなら、「いにしえの文明」というだけで話は終わるかもしれないが、問題はそう単純ではない。
実はミイラにされていたのは皇帝だけではなかった。インカの遺跡からは、一般人のミイラも数多く発掘されている。
1999年、アルゼンチン北部、アンデス山脈のジュジャイジャコ火山の山頂で、約500年前のインカ帝国時代の子どものミイラが3体発見された。古代インカの「カパコチャ」という生贄の儀式で生き埋めにされたものだろうと言われている。
3体のミイラの生化学分析を行ったところ、この3人の子どもはいずれも一般庶民から選ばれているらしく、生贄として捧げられる一年前からコカの葉(コカインの原料)、「チチャ」というトウモロコシを発酵させた酒などを与えられていたという。
発見された3体のミイラのうち、特に13歳とみられる少女は、「アクラス」と呼ばれる神に選ばれた女性の一人だったと見られている。アクラスは思春期の処女から選ばれることになっていて、儀式を司る巫女の管理の下、生贄の準備として家族から引き離された場所で一年間生活させられた。
コカやチチャといった、一種の酩酊状態を引き起こす、いわば向精神作用物質は、当時支配層が管理していて、誰もが手軽に入手できるものではなかった。儀式の当日も、生贄の少女は、そうしたコカやチチャの作用で意識が朦朧としていたか、あるいはすでに意識を失っていたのではないかとみられている。実際少女は、眠っているような安らかな表情のまま発見されている。
こうした生贄のミイラは、神の国に派遣される大使として尊ばれ、死後信仰の対象にされたという説もある。つまり、生贄として選ばれることは、ある意味名誉なことであり、生贄の儀式とは、その死者が神と合一して、永遠の命を得て、神そのものになることを祝うものだったのではないか。
こうした、一般人をも巻き込むミイラ信仰は、実は覇権国家が成立する以前からこの地に根づいていて、そうした死生観あるいは世界観が帝国統治の役に立つとみなした時の皇帝が、帝国全体の文化として取り入れた、という順番とも考えられる。
つまり、インカの人たちのミイラ信仰は、必ずしも政治的な統治の都合で普及したわけではなく、民衆のオリジナルの精神文化だった可能性が高い。
インカの人たちは、皇帝を「現人神」として崇め、心の拠りどころとしていただけでなく、神に選ばれた人間に、ミイラ化というかたちで永遠の命を与えることで、自分たちの民族的アイデンティティをそこに重ね合わせていたのではないか。彼らは、「現人神」の系譜が自分たちの目の届く範囲で連綿と受け継がれること、そして一般人から選ばれた者がミイラ化によって神格化すること、この2つを儀式でつなぐことで、やがては自分たちもその列に並ぶのだという民族的なアイデンティティを持っていたのではないか。さらにそのアイデンティティは、「死は神との合一である」という死生観にまで昇華されていたのかもしれない。

■インカ帝国滅亡の原因を反面教師にする

さて、いくら過去を敬い、歴史に学ぶ必要があるからといって、私たちは帝国主義や生贄文化を現代に復活させるわけにはいかない。
過去を踏まえ、歴史に学ぶかたちで、21世紀の私たちは、死者との付き合い、あるいは神との関係性を、どのようにパラダイムシフトすべきか。
ここはひとつ、インカ帝国滅亡の原因を反面教師としよう。

特定の宗教的な教義が政治的な思惑と結びついて、一種の社会制度になったとき、それは民衆の心情からは遠くかけ離れ、民衆を抑圧するものに変貌する。インカ帝国が滅亡した根本的な原因はそこにある。
政治も宗教も、個人の心情や日常の生活から遠くかけ離れれば離れるほど、支配的で抑圧的なものになっていく。私たちの死生観を古代から現代へとパラダイムシフトするときに、この部分を乗り越えることがポイントだと、私は考えている。
言い換えると、人間がいかに呪術的あるいは神話的な世界観を乗り越えるか、というテーマでもある。

さて、古代から現代に至るまで、あらゆる人間が不可避的に抱く根本的な不安や恐怖は、死に対するものだろう。今まで当たり前に存在していたはずの「自分」が、肉体の死によって消滅してしまう(かもしれない)恐怖・・・。その恐怖に打ち勝つために、人は宗教を発明したとも言える。皇帝という最高権力者を「現人神」として祀り上げ、選ばれた人間に死をもって永遠の命をもたらし、神の国に送り出そうとする試みは、死の恐怖を信仰へと昇華させようとする呪術的・神話的世界観の現れともいえる。
呪術的・神話的世界観と近代的な法体系とが結びついたら、「死者に憲法上の人権を与える」という考え方が生まれても不思議ではない。

この世界観を反面教師にするとはどういうことかと言えば、ひとつは「死を特別視しない、儀式化しない」ということだ。ややもすると、非日常的で特別な儀式の対象として扱われがちな「死」の概念を、いかにパラダイムシフトするか。言い換えれば「死の日常化」ということだ。
もうひとつ、「死者や特別なパワーを持つ存在を神格化しない」ということだ。言い換えれば「神との合一の個人化」ということだ。支配的でも抑圧的でもないかたちで神との合一を図るために、いわば個人の意識を「超意識化」する、と言ってもいいかもしれない。すなわち、私とあなた、普通の人と特別な人、目に見えるものと見えないもの、過去と現在、神と人間、日常と非日常、そうしたものの間に分離ではなく統合が起きるということだ。

■コロナ禍が突きつける二つのパラダイムシフト

ちょっと想像してみていただきたい。
インカの皇帝たちがもし、儀式も政治も関係なく、目に見える世界も見えない世界も関係なく、自分自身が繋がるべきすべてのものと繋がっているという実感が持てたなら、そのようなかたちで死(あるいは皇帝としての失墜)に対する恐怖を乗り越えられていたなら、他国を征圧して領土を広げようなどという気になっただろうか。
現役皇帝にとって、一方に、とっくに死んでいる歴代ミイラ皇帝に与えられた特権によって自分が隅に追いやられてしまうという不安があり、もう一方に、繋がるべきものときちんと繋がっているという充足感や安心があったとしたら、どちらが文明を滅ぼし、どちらが存続させるのか、それはあまりに明白だ。
これこそが、コロナがもたらそうとしている死生観におけるパラダイムシフトだ。
コロナの蔓延は、死を、そして死者を、私たちの日常レベルに引き寄せた。と同時に、宗教や政治、あるいはある特定の権力者(一般大衆からかけ離れた存在)をエンパワーするのでなく、いわば宗教や政治をより個人化し、私たちが特権階級に明け渡してきてしまったパワーを、もう一度自分たちの方へ引き戻すことを志向させている。

インカ帝国が滅亡して500年近くが経った今でさえ、覇権主義は相変わらずのさばっている。大国は、あわよくば他国に進攻して自分の領土にしようとしている。軍事的進攻でなければ、経済的進攻だ。スタイルや方法は変わっても、精神は変わっていない。
現代文明が行き止まりにきていて、そこを超えて先へ進む活路が見出せないなら、まさにインカがそうであったように、まかり間違えば滅亡へと突っ走りかねない。物質文明がここまで進化しておきながら、人心の部分は相変わらず古代に留まっているのだから。いや、それどころか、大国の小国に対する軍事的・経済的介入は、テロというかたちの反作用を生み出し、テロが激化すればするほど、「聖戦」という名の報復も激化する。その悪循環は相変わらず巨大な不安や恐怖を生み出し続けている。
この巨大な悪循環を突破する活路は、意外に個人の中にある。一人の人間が生きるということの背後にある目に見えない無数の繋がりを、いわば目に見える状態にしようとする試み、それこそが今求められているのであり、それこそが、人間の未知なる可能性を拓き、現状を超えていこうとする力、分裂から統合へ向かおうとする推進力になるに違いない。


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