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ウィルバー理論解題(その1):志向的一般化

■ウィルバー理論を一言で言うと「志向的一般化」

私は、「ウィルバーと私(その1)」において、ウィルバー理論を「この世界全体ほどに大きいが、けっこう目の粗いザル」に喩えた。
そう、ウィルバーという思想家は、あまりにもスケールがでかい。その思想を語ろうとする人は、どうしても「部分的」になってしまう。象という巨大な動物を語るのに、ある人は鼻だけ触って「ホースのようだ」と言い、ある人は尻尾だけ触って「鞭のようだ」と言い、ある人は耳だけ触って「団扇のようだ」と言うのに似ている。
象を語るには、まずはなるべく遠目で見て、その全体的な「印象」から語る方がいいだろう。そのうえで、だんだんに無理なく近づいていって、最終的には実際に細部に触れてみる(自分の実人生でその思想をひとつひとつ実践してみる)のがいいかもしれない。

その意味で、「ウィルバーって、どんな思想家? 何を考え、何を成した人なの?」という問いへの、もっとも「遠目」からの答えは、ウィルバーの主著である「進化の構造」の「序論」に書いてあることだろう。この短くまとめられた文章は、以降に続くウィルバーのすべての著作にとっての「イントロダクション」と言ってもいいものだ。

ウィルバー哲学の方法論を、もっとも「遠目」から見るなら(本人も言っている通り)「志向的一般化(オリエンティング・ジェネラリゼーション)」となる。
平たく言うと、「いろんな分野で、いろんな人が、いろんなことを言っているけれど、結局のところ誰もが合意してくれる共通項だけを抽出して繋ぎ合わせると、どうなるだろう」ということである。
ウィルバー理論が「メタ理論」だと言われる所以はここにあるだろう。しかし、一般的な「メタ」という言葉につきまとう「しょせん机上論」といったニュアンスだとすると大違いだ。ウィルバー自身は「生きられる(実践できる)理論」をあくまで「志向」している。

『本書で私が試みたことを、おそらく多くの人が「形而上学」と呼びたがるだろうが、もし「形而上学」が証拠のない思考を意味しているとすれば、そうした意味での形而上的な文章は本書全体を通して一行もない』(「進化の構造」序論より)

■「Cosmos」から「Kosmos」へ

この「序論」に、ウィルバーという思想家が、そもそもどのような疑問から出発しているかが、明確に書かれている。

「どうすれば、全き人間でありながら、同時に単なる人間であることの運命から救われるのだろうか。この神や女神から見捨てられたモダンの世界のどこにスピリットはいるのだろうか。なぜ私たちは自分の条件をもっとよくしようとしてガイアを破壊するのだろうか。なぜかくも多くの救済の試みが破滅に終わるのか。どのようにすれば私たちはより大きなKosmosに適応できるのか。どうすれば私たちは一個の全体でありながらより大きな全体の部分でありうるのか」

「進化の構造」序論

まずお断わりしておくが、「Kosmos」はスペルミスではない。物理的な宇宙を表す「Cosmos」の代わりに、物理圏、生命圏、心圏、神圏全体を表す言葉として、ウィルバーは「Kosmos」を用いている。
ついでにもうひとつ、「一個の全体でありながらより大きな全体の部分で」あるという構造を「ホロン」と言う。ウィルバーはこの「ホロン」という概念を、もっとも上流の志向的一般化の概念として用いている。つまり「この世はすべてホロンでできている」ということだ。「ホロン」とは何か、についてはいずれ詳しく。

さて、上記のウィルバーの根本的疑問には、ウィルバー哲学の次のような基本姿勢が暗示されている。
○私は人間を部分ではなく、なるべく「全体」としてとらえる。
○「単なる人間」であることから救われる道はある。
○私は「モダニズム」によってかけられた「呪い」から「スピリット」を解放する。
○私たちは、地球を破壊しなくても、自分たちの生存条件を向上させることは可能だ。
○破滅に向かわずに人類を救済する道はある。
○私たちがより大きなKosmosに適応する道はある。
○私たちは一個の全体でありながらより大きな全体の部分でありうる。

■ウィルバーはあらゆる叡智を「ホロン」で繋いだ

ウィルバーが「志向的一般化」の方法論を用いて、何を成し遂げたかと言うと・・・

「志向的一般化の方法を使ってさまざまな知の分野(物理学から、生物学、心理学、神学にいたるまで)から大きな合意点を求め、それを数珠のようにつなげてゆくことにより、驚くような、またしばしばとても深い結論に達することができる。それは確かに驚くような結論ではあるが、すでに合意された知識以外のものを体現しているのではない。知識の数珠玉はすでに受け入れられている。それを数珠に仕上げるのに必要なのは玉に通す糸だけである」(前掲書)

では、ウィルバーが「ホロン」という一本の糸でもって「数珠」を完成させるのに用いた「数珠玉」たちをざっと一覧しておこう。

○物理学、生物学、システム科学、自己組織化理論(ベルタランフィ、プリゴジン、ヴァレラ※など)
○心理学※(フロイト、ユング、ピアジェ、マズロー、グレイヴス、キーガン、ギリガン、コールバーグ、グロイターなど)、
○近代哲学(デカルト、ロック、カントなど)、
○観念論(ヘーゲル※、シェリングなど)、
○ポストモダニズム(フーコー※、デリダ、テイラー、ハーバーマス※など)、
○解釈学(ディルタイ、ハイデッガー、ガダマーなど)、
○社会システム理論(コント、マルクス、パーソンズ、ルーマン※など)、
○瞑想的宗教・神秘主義※(禅、チベット密教、キリスト教神秘主義、ヴェーダーンタ、スーフィズムなど)

※ヴァレラ
今まで私たちは外面的に観察できる現象に関しての「地図作り」は熱心に行ってきた。しかし、ポストモダニズムは、その地図作りに「地図作成者」本人が含まれていなかった、という反省において一致している、とウィルバーは指摘している。したがって、「地図に地図作成者本人をいかに含めるか(客観性を重視する科学にいかに主観性を持ち込むか)」が、モダニズムをホロン構造的に超克する要になる。
その方法論のひとつとして、ウィルバーは、チリの生物学者・認知科学者のフランシスコ・ヴァレラとその師匠であるウンベルト・マトゥラーナが提唱した「オートポイエーシス理論」を紹介している。これは、「生命システムとは神経系を有していようといまいと認識を行うシステムである」とする理論だ。
ウィルバーが紹介するところによると、この二人は、カエルの主観的-認知的な世界において、何が認知されているのかを、客観的な言語的記述でもって再構築しようとしたという。

※心理学
ウィルバーは、近年の「発達心理学」の成果を大きく取り上げている。欲望の発達にしろ、認知の発達にしろ、道徳性の発達にしろ、人間の意識はすべて一定の「階層的段階」を踏んで、成長・発達するという。この、人間の意識成長における「階層的段階」も「ホロン」構造になっている。

※ヘーゲル
ヘーゲル哲学のもっとも根本的な方法論は「弁証法」だが、ウィルバーは特に人間の意識の段階的進化の根本にも弁証法的な動きがあることを指摘している。人間の内面に限らず、物事の進化・発展には、ホロン構造的な動きが必ずあり、それは同時に弁証法的な動きであるとも言える。

※フーコー、ハーバーマス
初期のフーコーは、人間が「真実」と呼ぶものは「権力と慣習の恣意的な戯れにすぎない」とした。しかし、もしこのテーゼが真実だとするなら、この真実もまた「恣意的」だということになってしまう。つまりフーコーは「絶対的に正解な真実など存在しない」という考えを「正解」だとしていることになる。
このように「自分が妥当ではないと批判している論理を用いて自分の妥当性を主張しようとすること」を、ハーバーマスは「遂行的矛盾」と呼んだ。
ウィルバーも、「ポストモダニズム」が本質的に持つ「多元的相対主義」(「この世にはたったひとつの絶対的真実などない、という考えこそが絶対的真実である」)を「遂行的矛盾」だとしている。

※ルーマン
イギリスの環境論者ジェイムズ・ラヴロックらが提唱する「ガイア仮説」では、地球はひとつの巨大な有機体であり、私たち人間も動物も、その巨大な有機体を構成する無数の細胞だという。
ウィルバーは、ガイア仮説を批判する立場の筆頭として、ニコラス・ルーマンというシステム論者の考え方を紹介している。「ガイア」(母なる地球)というものが存在するとしたら、それはひとつの巨大な有機体としてではなく、固体(人間や動物)同士が行なうコミュニケーション・ネットワークとしてであり、このネットワークも「ホロン」でできている、というわけだ。

※瞑想的宗教・神秘主義
ウィルバーは、複数の著書の中で繰り返し語っているが、科学と宗教(特に心理学と宗教学)の間に糸を通す第一歩として、ヒューストン・スミス、アーサー・ラヴジョイ、アーナンダ・クーマラスワミ、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハー、チョギャム・トゥルンパらの業績を引き合いに出し、キリスト教、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教などの世界宗教およびその密教をはじめとする「世界中の偉大な叡智の伝統が持っている本質的な類似性」について「存在の大いなる入れ子(連鎖)」という概念で説明している。これも本質的にホロン型の階層構造になっている。

上記の※に関しては、今のところは全部理解しようと思わなくて大丈夫。「これらの数珠玉を繋ぎ合わせて一個の数珠を作るんだな」と思っていただければいい。そのうちひとつひとつ詳しく見ていく。

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