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肉体は船、心は舵、魂は羅針盤

肉体は、心の赴く方向へしか進めない。心が「右へ行け」と言っているのに、肉体が左に向いているなら、よろける。
結局、船は舵の方向に逆らうことはできない。ところが、心は年中道に迷う。そのとき心は言う、「なぜ私は右に舵を切ったのだろう。なぜ左ではなかったのか?」と。その「なぜ」に、心は単独では答えを出せない。
その「なぜ」こそが、魂の示すものである。魂の示すものに、心は従う。一方、心の示すものに、魂が従うとは限らない。心が欲するものと魂が欲するものが食い違ったとき、葛藤が生じる。しかし、どのみち心は魂に逆らうことはできない。
したがって、自分の魂のありようを知りたければ、「心ならずもそうしてしまった」という事柄に注目してみるとよい。

ではなぜ心が必要なのか。肉体と魂だけで充分ではないのか。
肉体は三次元の住人である。一方、魂は次元を股にかけている。魂は肉体の事情を忖度しない。だから肉体と魂の調整役が必要になる。それが心だ。
魂は肉体に言う。「何をもたもたしている?!」
そこで心は言う。「そんなに急かさないでください。肉体には肉体の事情があるのです」

何らかの目的で人を迷子にしておきたい人間は、魂の存在を否定する。あるいは、その人間自身が自分の魂の主張に耳を貸さず、道に迷っているかだ。

魂の存在を否定する方便として真っ先に利用されるのが「科学」である。
救済を目的とした思想を宗教と呼ぶようになって以来、科学は人を救わなくなってしまった。
宗教と科学の分裂は、全人類規模で起きていると同時に、科学者の内面でも起きている。

さて、結局のところ、魂はどこを目指しているのか?
それは「海」である。「海」も含めて「自分」であることを知る人間は少ない。
海は、広くもあり、深くもある。人生航路は「横の移動」だと思い込んでいるうちは、人は海も含めて自分であることに気づかない。

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