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徒然駄文7.令和のハサウェイ

 閃光のハサウェイを見てきた。
 小説を読んでいたのと、GジェネレーションFでプレイしたのがもう20年くらい前になるのか。


 かなり前の作品にネタバレもクソも無いと思うので書いてしまうが、ブライト艦長の息子がテロリストになって超音速で大気圏内を飛行するガンダムに乗って飛び回って連邦議会を強襲しようとして焼き鳥になる話である。
こう書いてしまうと「ダカールの日」に比べてあまりにも地味というか、アレなんだが、内容自体は、なんだか学生運動というか、新左翼の先の無い向こう見ずな、暴力を伴った政治活動をガンダムで描いたという感じ。


 ハサウェイをとりまく様々な癖の強い女性たち、映画でもちゃんと表現されていたが、良いところのお坊ちゃんではないしてもホワイトカラーの子弟で高等教育も受けているハサウェイが生身の生活者の視点の遙か上からしかモノを考えられなくなっていたことや、そうした「苦労を知らない若者たちが起こした政治運動」が未熟な戦略によって戦術的勝利をふいにして破綻していく様は、あさま山荘事件のそれにも通じるところがある。

 ともあれ、今回の劇場版「閃光のハサウェイ」はめちゃくちゃ良くできている。
 富野由悠季の書く世界の独特の色気をここまで上手に表現したアニメって今まで無かったんじゃないか。
 原作小説よりも良くも悪くも小綺麗になってしまっているギギだが、その危険な魅力もとてもよく表現されており、ハサウェイの所作に所々ブライトのそれがまじる辺りも芸が細かい。映画全体を通して、日本のロボットアニメの色々なシーンのオマージュのようなものが含まれていたり、小説のあの部分をこう描いたのかとか、初見でなくとも充分以上に楽しめる映画になっている。加えて、三部作か二部作になるようだが、この一本だけでも充分以上に満足できる仕上がりになっていて、続編への引きは、この映画の完成度の高さそのものが「次も見るぞ!」と強く思わせる要素になっているのも素晴らしい。

 メカニックについては、高出力スラスターを噴射して機体そのものを吹き飛ばし、高度を確保した時点でスカートを展開して揚力を得て戦うメッサー、怪音と共に飛び回り、高速飛行時にはまるで翼竜のように大型装甲とスタビライザーをたなびかせて空を泳ぐペーネロペー、終盤で一瞬だけビームバリアを展開した強引な超音速飛行を見せたクスィーなど、短時間ながらも見所が豊富だ。
 よく言われている、人間が真下から見上げるMS戦闘という厄災(音、衝撃、ビーム粒子の飛散など。残念ながら戦闘による地震、振動の描写がほぼ無かったね)の描写についても、よく出来ていると思いつつ、環境を気にしているマフティーが自分たちの行いで発生する災害については全く無関心であるという問題点の暗示にもなっていて面白い。こう書いてしまう僕も含めて、左翼のダメなところは、自分たちの理想や綺麗事の犠牲になる人間や痛みのことを全く無視して語ってしまうところにあり、シャアは自信の痛みや孤独、迫害体験という生身の当事者性を持っていたことに対して、ハサウェイはそうした当事者性に希薄というか、欠ける面がある。クェス自体に問題があるとはいえ、あまりに個人的過ぎるのだ。

 シャアの場合は、よそから見ても「まぁ被害者だしキレ散らかしたくもなるよね。迷惑だけど」「お前アムロ大好きだな」くらいには思うしオリジンで大嫌いになるんだけども、ハサウェイの場合は、まだそういう「視聴者を惹き付ける加害者」としてのピカレスクに欠ける部分がある。ともあれ、30歳を過ぎて見たハサウェイには、まるで学生運動だなと思わせるようなその危うい姿に惹き付けられるものがあったのだけれども。

 ともあれ、閃光のハサウェイの原作が発表された頃は、ドラえもんなんかも大長編では必ず環境問題がテーマになって、のび太の脱ドラえもん、脱ひみつどうぐというテーマと相まって、だんだん鬱陶しくなっていくのだけれども、2021年になって眺めるマフティー・ナビーユ・エリンの姿は、過激な環境保護団体や経済的な理念を欠いたままSDGsにのっかろうとする一部のはた迷惑なお人好しどもに見る厭らしさに対してへ思わず向けてしまう冷めた視線と相まって、なにかこう、絶妙に現代的・今日的な存在感に仕上がっているのである。

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