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「自由度」という言葉を一度捨ててみる

※タイトル画像はAIによるものです

開発現場で目にする曖昧な言葉たち

レベルデザイン、コンセプト、ゲームデザイナー…これらは開発現場で日常的に使われているにも関わらず、人によって解釈が異なっていることが多いワードです。

それら曖昧な捉え方をされてしまうワードの中で、最近気になっている(困っている)ワードがあります。

それは「自由度」です。

「自由度が低い」と言われたら?


言われたくないワードだ…

ゲームを評価する際に「自由度」という言葉が使われることがあります。
自由度は「高ければ高いほどいい」「低いことは悪いこと」として語られることが多い印象です。(あくまで印象)

一般ユーザーの評価のみならず、開発中のレビューでも「自由度の高低」を目にします。

レビュワー曰く「自由度が低いためつまらない」「もっと自由度を高めて面白くしてほしい」等々…

「自由度」というワードは「面白さ」と同様に、反論の難しい正論パワーワードだと感じます。

仮に「自由度=面白さ」だとしたら「自由度が低くてもいいんですよ」という発言は「面白くなくてもいいんですよ」と同義になるので、そんなことをチーム内で言うわけにはいきません。

もちろん、仕様に狙いがしっかりあれば「自由度を下げているのには理由がある」「下げているからこそ面白い」と説明することはできます。ただ、なかなか反論しづらいワードだと感じます。

本記事の目的

本記事の目的は「自由度という言葉を一度捨てる」ことです。

捨てた結果どうなるか?
何を得られるのか?
何らか考えが進み、思考の自由を得られるはずです。

はい、雑ですね…

では、「自由度」について考えてみましょう。

※「一度」としているのは、今は自由度というワードの曖昧さを嫌っていますが、よくよく考えてみれば適切なワードである可能性があるためです。

「自由度」=どんなゲームを連想する?

自由がゲシュタルト崩壊

ここで「自由度」というワードからどういったゲームが連想されるか列挙してみます。網羅的ではありませんが、パッと思いつく限りでは…

グランドセフトオート…どうぶつの森…マインクラフト…スカイリム…エルデンリング…ブレスオブザワイルド…HITMAN…デウス・エクス…

これらゲームは別ジャンルですが、評価される際に「自由度」というワードが出てきます。

行為の自由、選択の自由、移動の自由、進行の自由、成長の自由、創造の自由…「自由度」という1つのワードの中に複数の意味が含まれていることがわかります。

自由度とは何なのか?

様々なゲームの評価軸として使われる「自由度」とはいったい何なのでしょうか。

結論は避けますが、おそらく…「自由であること」だと思います。
自由度とは「自由と感じられる度合い」ということです。

…より漠然としてきました。
ここで他の人の解釈を見てみましょう。

AUTOMATONの記事

過去にゲームメディアAUTOMATONが自由度に関する動画を作っています。

ゲームにおける自由って何があると感じるの?ゲーム内世界で感じる「自由度」の仕組みを考える - YouTube

この動画はタイトルにあるように「自由度の仕組み」について分析した内容になっています。

詳細は動画を見ていただければと思いますが、
・自由度(の高さ)を感じさせる根源的な要素がある
・根源的な要素は2つある
・A:リソースのコントロールとフィードバックの程度
・B:制限の程度
という結論になっています。
(とても乱暴なまとめかつ趣旨ズレしていたら申し訳ないです…)

AUTOMATONの記事はしっかりした内容であるものの、なぜだかしっくり来ていません。

自由度というワードのあるべき姿とは?

AUTOMATONの記事を参考にするなら、「自由度」には根源的な仕組みがあり、それが取捨選択されることで様々なゲームへと展開していきます。

根源からゲームが生み出されていく

そして、展開したゲーム(ジャンル)を評する際に「自由度」というワードを使うため大きくて曖昧な捉え方になっていきます。

それぞれの自由度が見つかる

AUTOMATONの記事は「根源は何なのか」を追求した内容だと思います。

しかし、多くの人が「自由度」と呼ぶ場合「自由度の根源にある何か」ではなく、プレイしたゲームの評価軸として使用します。

つまり、多くの人が曖昧な意味で「自由度」というワードを用いているなら、それこそが「自由度」というワードの本質ではないか、と思うわけです。

「自由度」とは「面白さ」や「爽快感」といった指標のようでいて実は曖昧な「大きなワード」であり、それ以上でもそれ以下でもないということです。

自由度を捨てて「自由感」と呼んでみる

さて、巡り巡ってなんの進展もないように見えます。

・自由度という曖昧なワードがある
・自由度は様々な種類がある
・自由度の根源とは何か?(AUTOMATONの記事)
・自由度は曖昧なままでいいのではないか?

「自由度」が「面白さ」や「爽快感」のような曖昧なワードだとするなら、悪いのは「曖昧なワードであるにも関わらず具体的な指標だと感じる」ことです。

つまり「度」がよくない。

であれば「爽快感」を参考に「自由感」と呼ぶのはどうでしょうか。
呼ぶ、といっても「今日から自由感と呼びましょう!」という意味ではなく、頭の中で「自由感」に置き換えるということです。

誰かが「自由度が足りていないね」と言った場合、頭の中で「なるほど、現状は自由感が足りないんだな」と解釈し、そこから「なぜ自由感が足りないんだろう」と考えを展開していく。

何も変わっていないように見えますが、肝としては…

・相手が曖昧なワードを使って感想を述べている
・曖昧さはあるものの不快感は存在する
・不快感の正体と解消手段を探る

というように、思考を一般的な問題対処と同様に扱えることです。
「自由度」が絶対的な指標だと誤解していると「自由度が足りない?では上げないと!」と誤った判断を下してしまうかもしれません。あるいは無駄な思考コストを割いてしまうやも。

思考のセットアップ時に「自由度」という思考ベクトルの制限を排除できることは、日々の問題対処にとって有意義だと思われます。

まとめ

まあ、宿題ですね。
やはり「自由感」の根源を追求するか、あるいは業務ツール化するまで深めなければならないです。

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