自分の価値を自分で決められていない気がする
フリーター生活7日目。
引っ越し先の整理をして、疲れて昼寝して、勉強して、あっという間に日付変更間際です。学校に属してないし、バイトもしてない。ただただ家にいるだけのプー太郎。明日からもまだまだ整理作業は続きます。
しかも、家は田舎の町にあり、家の外の音がほとんど聞こえてきません。そのため商業施設とかに行かない限り外界を感じることができず、twitterだけが外への窓口になりつつあります。
外との接点が減ったことで、自己の内側に目が向くようになりました。自分ってどういう存在なのか。希望の大学院に進学して研究をする夢をあきらめきれず浪人をする道を選んだけれど本当にいいのか。今年はちゃんとことを成せるのか。世間的にどうなのか。などなど。
想えば世間を気にしすぎて生きてるような気がします。
今読んでいる小説「たゆたえども沈まず」には、1880年代のパリで活動した林忠正が登場します。小説なので実際の彼の人物像や考えがどこまで反映されているかは定かではないですが、作中の彼は開国したばかりの未開の東洋の島国出身であることを卑下せず、むしろ誇りとして西洋人と対等に接するようにしています。
果たして自分はどうだろうか。
今は大学院浪人して家にいることを気にしているし、博士課程に進学した後にどう評価されるかを今から気にしている。大学1年のころにヨーロッパ旅行にいったときは、どうにも日本人であることを言い訳にドミトリーで同室の外国人と対等ではないようなことを考えてしまっていました。
周りからの評価を気にしすぎている気がします。多分、何事かを成す人は世間からの評価ではなく、自己評価を何より大事にするのだと思います。それとは正反対。
今の外の距離が開いた場所で生活することで、その認識にも変化が生じる、かもしれない。なんて期待してます。
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