研究の真の目的は人類共通・・・のはず。

こんにちは、南極研究者志望のライアンです。

今日は大学の研究室の一番偉いボス(指導教官とは別です)と再来週にある卒業研究テーマ発表会のスライドについてディスカッションを実施しました。

僕の卒論テーマは、「ライアン君は外部受験だから、一年で結果が出るこの研究ね」という感じで与えられたので研究の目的やイントロダクションは指導教官が考えたシナリオに則る必要があると思っていました。

でも、違ったんですね。

研究活動って、その始まりは一芸に秀でた人がパトロンを得て自分の興味が赴くままに何かを極めることであったといいます。
でも今は「人の役にたつ」ことが求められている。だから、わかりやすく研究の目的を伝えるためにはその研究がどんなふうに人類に寄与するのかを言語化する。

でもそれが究極の目的であっては足りないんです!(偉そうに言ってますが、今日初めて理解したことでした)

生物学は、今を生きる生物を知ることが目的ではなく、「生命とは何か」など人類の究極目標を探求する学問なのです。
(きっと物理学とかも、宇宙を成り立たせる究極の方程式を探したりすることが目的なのではないでしょうか)

でも、いきなり「生命とは何か」なんていう大きすぎる山を切り崩すことはできないから、小目標として一つ一つの研究の目標を言語化しているにすぎないのです。


その話をボスから聞くまでは、
テーマ発表で研究の目的を話す際は、指導教官のモチベーションが上がるストーリーに合わせないといけないんだと早合点してやる気が下がっていました。

でも、そうじゃないんですね。
研究に携わる者一人一人違えど、究極の目的は「生命とは何か」を知ることなど大まかな方向性は一緒のはず。
だからこそ、他人から与えられたテーマでも自分のストーリーで語っていいのです。

卒業研究のモチベが変わる以上に、研究者を目指して大学院進学を控える身としてその考えを知れ(気づけ)たことに感謝です。

月曜日の再提出までに再考してゆきます。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。