円滑な人間関係のため、他人の領分について断言するのはよくないと思う話

こんばんは、人間関係調節にはそこそこ気を使っているライアンです。

今日は人間関係を築くうえでこれまで感覚的に大切にしていたことを明文化できたのでそれについて改めてまとめてみようと思います。

特に人間関係について意識を払うようになったのは大学入学以降です。
自分の行動力が上がったので純粋に人に会う機会も増えたし、
それまで気にしていなかった発言の裏の意図にも気を払うようになったのでこれまで気づかなった違和感などにも目がむくようになりました。

皆さんも、話を続けたい人とそうでない人がいるというのには納得いただけると思います。

もしかしたら個人差があるかもしれないですが、
僕が話しにくいと感じるのは求めていない断言をしてくる人です。

勿論こちらが意見を求めた場合には断言してもらった構わないです。


でも、別に意見は求めていないタイミングにおいて「○○だ」というように断言をされる。
自分の進路の話をした時に、「俺の経験ではこうだ。お前もこうするべき。」

単純に疲れます。

それは僕が根源的に、人間は一人一人が独立した存在であると思っていて、
その人の意思や決定に対して他者が介入してくること自体がぶしつけであると考えていることも影響していると思います。

勿論この「他者」というのには家族も含みます
家族は誰かの所有物ではなく、一人一人が何かしら成すべき天命を帯びて生まれてきた存在。
故に、その個人の人生や決定について干渉するのは家族すらよくないと思っているのです。
(幸いうちの家族は反発しても最終的に納得してくれることが多いのでこの点では恵まれていると思います。)

それらを踏まえて今までの自分の言動などを鑑みると
誰かの決定や、最終的に自分に直接の影響が来ない事柄については断言をさけていることに気が付きました。
何か言うときも「○○だと思う」「○○って感じる」あくまで主語を私(I)にしたIメッセージ。

そうするだけで中身が変わっていなかったとしても相手の受け取り方は大きく変わります。

なので、話が中々続かない。と悩んでいる方には
・求められていない意見は言わない
・何か言うときも、主語を私にして「と思う」「と感じる」などで結ぶ
というコミュニケーションが善いと(私は)思います。

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