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善悪二元論の否定

何気なく、感覚だけで生きているとついつい物事を0か1かで判断したくなります。

しかもそうして判断してしまうのはセンシティブな話題がほとんど。
しっかり論ずるために知るべきことが多すぎて、現代でも様々な問題が起こっていて、そんなの全部知ってられるか―!感覚的にこれは良し!悪し!

そうやって生きれたら楽だと思う。でも、そうしちゃいけない気がする。
そういう思いでいるとどっちつかずの態度しか選べない。

このところテレビの話題に辟易することが多く、
「テレビは悪」と珍しく断じている自分がいました。

芸能人の不倫だ、海外のほのぼのニュースだ、凶悪犯の特番、芸能人の悪口だ、そんな自分の人生を生きる時間を奪ってくるものは悪に違いない。

でも友達に勧められて今朝見てみたNHKの海外ニュースは面白い。

「そうそう、こういうのをやってほしかったんだよ」そう言葉がこぼれました。

「悪」だと決め込んでいたテレビの中にも自分が求めている「良い」と思えるものがあった。

アウシュヴィッツでは、嗜虐的な被収容者(カポー)がいて、善良な収容所職員がいた。

なんか嫌いだなって思ってた人のインタビューを読んだら、納得するいい話が書いてある。

大きな枠組みだけで善悪を判断しようとすると大切なことを見落とし、見誤る。

どっちつかずの態度いいじゃない。
それだけ柔軟な態度ができるってことだ。

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