寂しさを感じた今を忘れたくない

今日はラボの引継ぎ作業や、実験卓と個人机の片づけを行いました。

研究者の卵の卵の自分が大変お世話になり、確かな基盤を固めさせてもらった1年半のラボでの生活は辛いことや楽しいこと、成長を実感した経験など数えきれないほどがあったため大事な思い出になっています。

だからこそ、だんだんと私物が減って元の机だけになっていくにつれて、”ここ”にいた自分の存在が薄れ、ラボとのつながりが一つ一つ消えていくような寂しさを感じました。

また、あと一度4月1日にラボに行く予定ですが、その時には会えないだろう方たちに挨拶も行いました。一言、一言かわすたびに「もしかしたら、今生でお話しするのは、これが最後かもしれない」という思いが胸を締め付けました。

もう一度は来るとわかっていても、ラボの部屋、研究所の外観、帰り道の風景、そのどれもがとても愛おしく大切なものに見えています。

――ああ、こんなにもラボでの生活を大切に思っていたんだ。寂しくてたまらない。

一人、電車に乗り込んでもその思いが消えることはなく、ただただその寂寥感に身を任せていました。

そのときにふと思い出したのが高校の卒業式でした。当時も高校のことが大好きすぎて、分かれることを心から惜しんでいました。

でも、今はその時に感じた寂しさを鮮明に思い返すことは難しい。いつか、数年したときか、数か月したときか、今日という日のことを思い返しても今ほどの愛おしさや寂しさを感じることはないのだと考えると余計に寂しさが増すのです。

記憶の風化に対するせめてもの反抗に、こうして今の気持ちを書き表す。数年後、この文章を読み返して懐かしさを鮮明に思い出せるように。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。