鳥が好き
なぜ日本人は犬や猫を飼い、鳥を飼わないのか不思議でならない。
おそらく、犬猫はもう随分長いこと日本人の生活に居たので、
日本人は彼らの飼い方を十分心得ているからなのだろう。
家族で飼っていれば、その家の子が新しく家庭を持ったとき、
よく慣れている彼らをそこにまた迎え入れようと思うのは自然だ。
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私にとって鳥は、小さい頃から家族であった。
鳥を飼っている人は珍しいので、小さい頃は、同じく鳥を飼っている同級生に無条件に仲良くしてもらえた。
小学1年生の頃から、入れ替わり立ち替わり、かれこれ15年以上、鳥と暮らしている。
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はじめは、マメルリハという、ルリ色の身体をしたとても小さな鳥を飼っていた。
桜貝色をしたくちばしを持っていて、大切に扱わなければ死なせてしまいそうなほど儚げな見た目をしているが、
やけに自信満々な顔をしていて、胸を張って誇り高く生きている鳥だ。
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一番初めの子は、弱く、一週間ほどで死んでしまった。
次に来た子はやはりマメルリハで、初めの子とほとんど同じような見た目をしていた。3年ほど生きた。
初めの子が早すぎただけ、2番目の子はかなり長く一緒に居た感覚がある。
初めの子は早すぎたため、また1番2番がほとんど同じ見た目をしていたため、最近うちでは2番目の子が一番初めに飼った子で、それ以前はないとすら思われていた。私は違うよと訂正した。
だが訂正しながら自信を失くすのだった。私の方が記憶違いなのかもしれない。あれは夢だったのかもしれない・・・
でもどうも居たみたいだ。
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2番目の子が死んで、次迎え入れた鳥が2羽。その後いろいろあり、2羽のうち片方が死ぬと、残された方の相棒が補充される形で1羽、そしてまた1羽と迎え入れてきた。現在のペアになってもう9年になる。
歴代の鳥たちの話をもっとしたいけれど、今回はいかに鳥がペットとして素晴らしいか(それ以前に存在として素晴らしいのだが)ということをお伝えしようと思うので、この話はここまでとしよう。
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鳥を10年以上飼っていて、鳥はペットとして、本当に素晴らしい生き物だと実感する。
①毛がカワイイ
これである。毛と言うものを、生き物ならばとりあえず毎分毎秒落としてゆくことだろう。人間の毛は、排水溝に絡まるし、まず見た目があまり良くないのでその辺に落ちているだけでうーんと悩まされるのは愚か、まとめて落ちていればぎょっとすらする。
でもみんな毛を大事大事にしていて、髪の毛より上にあるものはない。昔の人は抜けた髪の毛球部に神が宿っていると信じていたとか。そもそも「神」と同じ音を当てるほどだから、昔の人はそれほど髪の毛というものを大事に扱ってきたのだろう。
すごく話が脱線してしまったが、
話を戻して、まず、落ちた人間の毛は見た目がよろしくないじゃないですか。
犬猫の毛はどうだろうか。あれもまた、針のように細く、そして短い。その上、ニットや布地のソファなどに張り付くと簡単には取れない。
でも、鳥の毛は違うのだ。
扇。
団扇のような形で、ルリ色やタマムシ色などをしている(実際にはいろいろな色がある)。見た目が美しい。ほれぼれする。模様も実に多様で、どの毛を拾ってみても毎回違う発見がある。
そして、絡み合わない。
かつてブランケットをかけて昼寝をしていたら、その上に鳥の毛が無数に落ちていたことがあった。はらはらと一枚一枚が落葉のように落ちていた。
普通糸状の毛であれば、絡み合ってグロテスクさえ感じるところであろうが、
私はそれを見て、鳥が私に毛布を掛けてくれたのだとすら思った。
小さき者たちに宿る大きな愛をひしと感じた。
(しかしすぐに血の気が引いたのは言うまでもない。これほど大量の羽毛が一度に抜けたのか?!慌てて鳥を探すと、けろっとした顔で、出血も痛がる様子もなく、ただしっぽだけが忽然と消えた彼がいた。私は頭が真っ白になった。※無事です。)
②フンがきれい
これはもう。完璧だ。
知り合いの猫は去勢していないため、そこいら中におしっこをしてしまうというから大変だ。たとえ去勢していたとしても、犬猫というのはおしっこと大をするわけで、それ専用のトイレを用意する必要があるのだろう。また、トイレットトレーニングも必要だ。
一方、鳥は、丸く小さな水分を含んだフンをする。野鳥や大型インコ、猛禽類などは知らないが、小型~中型インコに関しては、レーズンより少し小さいくらいのサイズなので、基本的にティッシュでサッと拭いて終わり。においもしない。回数こそ犬猫より多いことだろうが、ほとんど精神的負担にならない。
もちろんトイレットトレーニングも必要ない(多分)。
③散歩がいらない
これなのだ(語彙力)。
鳥は毎日放鳥時間を確保してあげる必要があるが、家の中で全てが済むので、散歩よりかはずっと気が楽だと思う。
もちろん、ずっと家に居ては鳥の方も退屈だろうから、たまにはお出かけもしたいものだ。でも、それも毎日必ずしなければならないものではない。
知り合いのワンチャンは、奥さんに毎日散歩に連れ出されている。ことに大事にされていて、疲れたらワンチャン専用のベビーカーに乗せてもらって帰宅する。
街で見かけたダックスフントは、自分の体長より短い側溝のあみあみを渡れず、飼い主に抱き上げてもらっていた。
そういうのを見聞きすると、犬の散歩は実に大変だとしみじみ思わされる。
ペットというのは一般的に、父との間に果てしない差をつけ、家庭内マウントの上位に位置する存在である。何よりも優先される存在だ。
その地位に居るものが犬であれば、人生がほぼ犬のお世話で終始するのは無理もない。
それはそれで幸せなことだが、鳥ならもっと楽しておんなじくらいの癒しをもらえるぞ。
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鳥のすばらしさをわかってもらえただろうか。
ここまで読んでくれて、どうもありがとうございました。
そうは言ってもまあ、好きな動物と一緒に暮らすのが一番幸せなのだが。
それから、ここまで熱弁しておいて水を差すようだが、
これから鳥を飼いたいと思って読んでくれた方にメッセージ失礼します。
15年来の鳥飼としては、
やはりかわいいからといって簡単な気持ちでお迎えしないで欲しいという気持ちもあります。
生き物を飼うことはそれなりの覚悟がいるからです。
あんな小さい鳥ですら、20年は生きると言われています。
最後まで幸せに育ててあげる覚悟を持って、お迎えしてほしいと思います!
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おわり
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