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05:供養にお金は掛からない

当支援センター家族葬では読経が終わり住職が退場すると戒名説明をしますが、その前段で必ず伝える言葉があります。

「今の読経は宗教儀式としての供養で家族の供養ではありません。では家族としての供養とはの前に供養とはそもそも何でしょうか」

「供養」をネット検索すると『死者の霊に供え物をして死者の冥福めいふくを祈ること』とあるから物を供えたり、何かする事だと思って当然ですが、この文章がそもそも勘違いのもとだろう。

供え物をしたり、僧侶の読経や塔婆を供えたりしないと供養した気にならないのでしょうが、それは供養を形に現わしたものに過ぎず供養の基本は『故人を忘れない事』だと思って間違いありません。

また『供養』は仏教用語ですが日本人には馴染の深い言葉で無信仰者や他宗教信仰者でも何となく意味は分かるので「供養」で通します。

供養の基本は「故人を忘れない事、時々で良いから思い出してあげる事」ですから、その気があれば、いつでも、何処でも、誰にでも出来る事です。

ネット検索の『死者の霊に供え物をして、死者の冥福めいふくを祈ること』が間違ってる訳ではありませんが言葉が足りません。

『死者の命日、正月、彼岸、盆などに故人を思い出し、死者の霊に供え物をしたり、死者の冥福めいふくを祈ること』なら正解です。

また故人が祖父母、両親、配偶者等なら最高の供養がひとつだけあり、それは故人から見た家族にしかできません。

もし貴方が故人で配偶者や子供や孫がいるとしたら貴方にとって最高の供養とは何ですか? 言い方を変えれば貴方にとって一番の心配と不安はどんなことで、どうしたら安心できますか? これを自分に当てめれば自ずと正解に辿り着くはずです。

自分の葬式が盛大に成るか成らないかですか? 
豪華で大きな墓を建てて貰うことですか?

もし「うん」と答えたら貴方は残念な人です。もっと人間性を磨いて、人としての心を叩き直す必要があると思ったほうが良いでしょう。

大抵の人は自分の葬式より残る家族の生活を心配します。だから残る家族が最高の供養をしたいなら「毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続けること、これ以上の供養はありません」もっと言えば「供養にお金は掛かりませんが心が無いとできません。それが供養です」

あの世が在るか無いかは死んでみなければ分りませんが、人は死ぬと「無」にかえり何もないと考えるより、人には前世ぜんせがあり、現世げんせがあり、来世らいせがあると考えるほうが夢がある。

果たせなかった夢や希望、若くしての病死、共白髪まで添えなかった夫婦等々、現世では叶えられなかった事のある人も終幕前に来世では実現させようと前向きになれることもあるでしょう。

時々故人が夢枕に立ったり、何気なく故人を思い出したら「心配してくれてるんだねありがとう。元気だから心配ないよ」と心の中で答え、夢枕に立って欲しいのに立ってくれないと嘆く人は、貴方なら大丈夫と安心しているから夢枕に立たないと思えば良いのです。

もっと言うと墓参りが大事な訳ではありません。昔流行はやった「私のお墓の前で泣かないでください~♪ そこに私はいません~♪ 眠ってなんかいません~♪ という歌を覚えてますか? この歌は正しいと思うし墓参りに行くとは故人を思い出したからの行動なのです。

故人を思い出すことが供養なら、供養は国内どころか世界の何処にいても出来ます。周囲に誰も居なければ配偶者、両親、祖父母や友人に思いや愚痴を話しかけるのも良いでしょう。

但し供養の代行は出来ません。
最近は墓参り代行なる商売もありますが自分が故人ならでうでしょう。突然見ず知らずの人が来て墓を洗って、花を立て、線香を供えてくれたら「ありがとう。ところであんた誰?」って思うんじゃない!?

墓については後述ごじゅつしますが問題が多いのが実態、年老いて自由に墓参りに行けなくなっても手を合わせたいなら、少量の粉骨を自宅で手元供養するのがお勧め、いつでも手を合わせられる唯一の方法です。

これで供養にお金は掛からないと書いた理由が何となく理解して頂けたでしょうか――、ついでに言うと読経の意味は分からないでしょ? 生きてる時に分らないものは死んだって分りません。でも貴方が思い出してくれるのは分るし、自分が忘れ去られてないと思えたら嬉しくないですか。

また年老いた両親だけの生活、独居生活の親や祖父母に旅行に行って来るようお金を渡す――、これも思い遣りや優しさのひとつで間違いありませんけど、老いた人間が望むのは頻繁に来てお茶したり、子供や孫達と団欒だんらんの時を過ごすほうが何倍も幸せを実感できるはずです。

多分、生きてる時も死後でも一緒、生きてる人と死んだ人の感性って根本的には一緒じゃねぇかなぁ、死んだら別とは思え無いんだよね。

それとさぁ旅立った直後だけでなく、何年経っても自分を忘れずにいてくれる配偶者や子供達や孫達なら守ってあげたいと思うじゃない。結局は生きてる今と一緒で自分が相手の事を考えれば相手も自分の事を考えてくれるようになる。まずは自分が相手のことを思いやるのが先なんだと思う。

ついでに言うと供養したいと思って支払った金は誰が使う? 故人は使えないし故人に使われることもない。僧侶や葬儀社など生きてる人間が自分達の為に使うんだよ。あの世にお金は無いのにお金で供養を買おうとする事自体が間違いだと思うんだよなぁ。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」

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